「信士」より「居士」が良い

  • 追加
  • 父の13回忌が終わりました。
    父が亡くなった時の事を思い出します。

    長男である兄がお寺に戒名をいただきに行きました。戒名の申請用紙に必要事項を書き込み、提出しました。いただいた戒名は「○○○○信士」でした。
    ちなみに、父は代用教員から教員となり40年余の長きにわたり地元の中学校の先生をしており、教頭にもなれず(ならず)平教員でした。
    しかし、役職が無く、常に生徒と触れ合う立ち位置だった為、送り出した卒業生の数は多かったと思います。
    さらに、教育熱心だった為、人望も厚く、「先生のお子さん」という居心地のいい時代を過ごすことが出来ました。

    告別式が終わり、落ち着いた頃、父の姉が何気なくこう言ったのです。
    「居士欲しかっただろうにね。」と。信士より居士の方が格上という認識はありましたが、どちらでも構わないといった程度の認識でした。
    私は思わず弁解する口調で言いました。「親父は教頭にもならず、一生一教員として生きた人だから、名誉を欲するとは思えません。」
    すると、父の姉が何も知らない癖にと言わんばかりに上から目線で、「好き好んで”平”だったわけじゃないでしょう?教頭になりたかったけどなれなかったんじゃないの?」
    と、やり返してきました。

    その時まで、先生の中でも、教頭・校長を目指して生徒の方を向いていない先生が多い中、父は名誉に目もくれず、ひたすら生徒の方を向いていたその姿勢に誇りを尊敬の念を禁じえませんでした。
    父の姉の話に、そうかかもしれないと思いました。教頭になれずやむを得ず生徒の方を向いていて、亡くなった時、居士をもらえなかった無念を思っている父の姿が脳裏をかすめ、
    聖人君子だと思っていた父が何と欲望が満たされずにもがいている。そう思うと、人間的な一面を垣間見て亡くなった父がさらに好きになりました。

    目次に戻る⬆


    成功者も結局過去に多くの失敗をしている可能性が高いということ

  • 追加
  • 世の中で成功している人は数多くいます。実業家や経営者で名が通っている人は国内外を含めてかなりの人数がいると思いますが、そういった人はすごい人だと感銘を受けることでしょう。しかし、そういった成功者は成功しかしていないわけではありません。

    成功者は成功した部分だけがクローズアップされるので、まるで失敗なんかほとんど経験していないかのような錯覚に陥ることもあります。しかし、それは成功者が失敗していないわけではなく、失敗した部分に注目されていないだけなのです。

    そして、どれだけ過去に失敗を重ねていても、1つの大きな成功があれば、その人は成功者として世の中から扱われます。そうなると、結果的に成功している人も過去に何度も失敗をしている可能性が十分にありますし、現実的にそういう人もかなりいると思います。

    したがって、失敗ばかりをしている人というのは自分に才能がないと思う必要がないと思います。成功者になるためには数少ない成功のためのチャンスを逃さないことが重要なのです。

    ミスをする回数などは減らしていく努力も必要ですが、ミスする回数が多いとしても自信をなくす必要はなく、自分が無能と思う必要もなく、いつか成功するチャンスが巡ってくるかもしれないと、そういう気持ちでいましょう。

    成功者になれるか?どうかは失敗の回数が少ないか?どうかで決まるのではなく、成功のチャンスを掴めるか?どうかだと思いますし、むしろ過去に失敗した経験が多くあれば、その失敗に学べるはずで、そこからも成功のチャンスが広がるかもしれないのです。

    そういった考え方で私は仕事をしていきたいと思います。失敗を減らす努力をしながら、過去にした失敗をそのままにするのではなく、失敗を財産として生かして、成功へとつなげていきたいです。

    目次に戻る⬆


    努力してもダメなときに努力の仕方を変える重要性

  • 追加
  • 仕事をしている人は基本的に全ての人が頑張っています。努力をしているはずです。しかし、努力が実を結ばないことは仕事では多々あります。

    そういったときに差が出る社員の行動があります。その努力をさらに続ける人、努力の仕方を変える人という、大きく分けて2つのパターンがあるのです。後者を柔軟に行える人こそが優秀なビジネスパーソンと言えると思います。

    結果の出ない努力を続けることは言ってしまえば誰でもできます。結果が出なくても良いならば、それ自体何ら難しいことではないからです。しかし、努力の仕方を変えるというのは誰でもことではありません。

    努力の仕方を変えるということをしても、絶対に結果が出るとは言えないでしょう。しかし、努力の仕方を変えるということは今までの努力がなぜダメだったのか?の原因を分析し、その原因から今度は上手くいくはずだと思える方法をきちんと考えるというプロセスが必要です。

    これは誰でもできるわけではなく、論理的に物事を考える力が備わっていないとできないことなのです。そして、努力してダメだったことというのは、努力の仕方を変えることで結果が出る確率が上がります。つまり、そういった能力がある人の方が会社にとっても重要であり、ビジネスパーソンとしても有能と言えるのです。

    私が目指している理想の社員というのはそれになります。努力をすることは当たり前ですが、努力してもダメだったときにどのように軌道修正するか?が重要だと思うのです。柔軟に対応して、事態を良い方向に向かわせられる能力こそが、私たちに必要だと思います。

    私はそういった社員になるべく、努力をしながらも状況を正確に見つめて、常に最善の手段を選択していけるように頑張っていきたいと思っています。こういった部分は私だけではなく、全ての社員に必要であり、同じく理想としてほしいと思うのです。

    目次に戻る⬆


    働く人にとって自分の代わりはいくらでもいることを肝に銘じる大切さ

  • 追加
  • 私たちは普段会社で何気なく働き、身分を保障されていると思っている人が多いかもしれません。しかし、会社で働く私たちの代わりは意外と多くいるものです。私たちは就職活動を通じて会社から選ばれた必要な人材という認識の人も多いかもしれませんが、その認識は妥当ではないのです。

    会社としては必要な人数を採用するということを迫られてはいるものの、それがこの人じゃないといけないとは思っていないでしょう。最低限のスキルなどを持った人の中で最も良いと思った人を採用したに過ぎないのです。だから、自分と落ちた人の能力差はそこまでないと思った方が良いのです。

    そして、自分が会社に就職できて、これで安泰だと油断をしていると、会社からそういった評価を受けることになります。そういった評価というのは、こいつの代わりは他に探せばいくらでもいるから、待遇を悪くしても構わないとか、無下に扱っても構わないというものです。

    代わりはいくらでもいるという状態というのは、この人が会社を辞めても、同じ能力を持った代わりは簡単に見つけられるということであって、最悪辞められても困らないという状況になります。そう思われたら、自分に対する会社の期待はほぼなく、評価もされないでしょう。扱いも悪くなり、自分の存在意義は失われ、自尊心もどんどんなくなるかもしれません。

    したがって、自分がここで働く意義や自分だからこそできることというのを見出し、そのための努力をして会社から認めてもらって、自分が会社にとって不可欠な存在になることができれば、それは会社にとっても大きいですが、自分にとっても意味があることになります。

    そういった状況を作ることが私たちが会社でやるべきことであり、今日も目指していく姿ではないでしょうか。自分が働く意味を会社に訴えていくことが自分と会社の成長を促すのですから、私はそういった社員でいたいと心から思っています。

    目次に戻る⬆


    常に他人の話を聞いてそこから動き始めることを心がけよう

  • 追加
  • 仕事をするうえで正解の選択肢というものはなかなか見出しづらいです。目指すべき正解のような存在はありますが、その正解に向けてとるべき手段に関しては、必ずしも正解があるとは限らないのです。

    したがって、私たちが仕事をするときにはできるだけ多くの選択肢を用意し、それぞれを吟味して、最も望ましいものを選ぶということが大切になります。やはり選択肢が多ければ多いほど、その中から選ぶものが正解に近づける可能性が高まると思いますから。

    選択肢が少ないと、選ぶ余地がほとんどなく、それが全く向いていない手段だったりすることもあるのです。だから、普段から選択肢を多くすべく、いろいろな人の話を聞くということをした方が良いと思うのです。

    例えば、ある問題にぶつかったときにそれを解決する手段として自分が思いついたもの以外にもっといい方法があるかもしれません。そういったものに出会うには自分1人で考えていても無理なケースがあるのです。他の人に相談した結果、得られる手段という場合も十分あると思います。

    他人の話を聞くことで得られるヒントがあるということは仕事においては頻繁にあると思います。そして、そういったものから少しでも良い兆しが見えてくるということがあるのです。だから、他人の話を聞くということは本当に大切だと思います。

    他人の力を借りることで自分にはない力を発揮することもできるはずで、それをして良いのがビジネスなのです。だから、常に他人から話を聞いて、アドバイスを貰って選択肢を多くするということを私は心がけていきたいと思っています。それが会社のためにもなると思いますから。

    目次に戻る⬆


    変人と評価されることを恐れてはいけない

  • 追加
  • 世の中には変人と言われるような人たちがいます。変人という言葉は一般的にあまりいい意味では使われていませんが、変人のみが天才へとレベルアップできる存在なのです。そこを忘れてはいけません。

    人と違っている部分があると、そこを蔑みの意味を込めて変人と言われますが、変人というのは実績を残せていないからこそ、そのように言われるのです。実績を残すことができれば、それは天才という見方に変わります。あのイチロー選手もかつてはそうでした。

    彼が日本のプロ野球にいた頃、いわゆる振り子打法を批判する声が多くありました。しかし、彼はその振り子打法で結果を出し、今の地位を築き、天才と称されるまでに至ったのです。実績を残せばみな変人から天才へと進化できます。

    そして、大いなる実績を残すことができるのは変人のみなのです。いわゆる凡人は多くの人がすることと同じことをします。だから、変人とは言われないものの、天才にもなれないのです。みんなと同じことしかしないということは平均的なレベルで収まってしまうからです。

    変人こそが天才になれる逸材であり、その可能性を秘めているという意味では変人と言われることを恐れてはいけません。また、人と違うなと感じる部分をマイナスに捉えてることもすべきではないのです。

    みんなと同じことをするならば、それは他の人にやらせておいても良いわけで、自分にしかできないことを考えることが結果的に会社の利益につながる場合もあります。そういう部分を突き詰めることが優秀なビジネスマンになるために重要だと思うのです。

    人と違うこと、他に人は思いつかないようなことこそが天才へと進化できる要素になるかもしれないのですから、人と違う考えなどを持てることは1つの才能です。私は否定されることを恐れないで、人と違う自分だけの部分に価値を見出して、仕事をしていきたいと思っています。

    目次に戻る⬆


    子どもの教育と仕事を切り離して考える時代は終わった

  • 追加
  • 今の時代、家族である子どもの教育と仕事は切り離して考えることができないと思います。

    昭和の時代までは、父が仕事に出て母が子育てをすることで両立していたのかもしれません。しかし、平成の時代に入ってからは共働き世帯が増え、父母ともに働くケースは珍しくなくなりました。そして、子どもがいればその間に子育ても平行させて行わなければいけません。ですから、仕事ともに子育てできる環境をどれだけ充実させられるかが、社会には求められています。

    最近では保育園が次々と開園したりなど、いわゆる待機児童問題についての取り組みがだいぶ活発化していますよね。ただ、それでもまだ保育園は足りていない状況です。そこで、企業内保育所や、あるいは企業と連携した保育施設の取り組みが期待されています。

    企業内保育所があって出勤するとともに子どもを預けられれば、働きやすくなるのはいうまでもありません。これならたとえ子どもに体調不良等で何かあってもすぐに駆け付けられますし、その利便性は企業にとってもプラスなはずです。

    実際にはスペースや人材の確保や認可の問題などがあるため、良い取り組みだからといってすぐに着手はできないです。ですが、今の時代に対応していくならそのような取り組みから目を逸らすことはできませんので、よく考えなければいけませんよね。

    また、その実現には私のような一社員から問題に向き合う姿勢が大事ですし、子どもがいるいないにかかわらずみんなで答えを出す問題だと私は考えています。

    目次に戻る⬆


    勉強の極意は理解をすること

  • 追加
  • どんな分野の勉強もそうですが、何事も理解をしなければ学ぶことは出来ません。
    テストでいい点を取るためにその場しのぎの勉強をしていれば応用が利かなくなり、テストだけが出来る人になってしまいます。
    そのまま世の中に出てしまえば、臨機応変に対応が出来ずに子どもの人生を破滅させてしまう事になっていきます。
    そこまで大げさなと感じるかもしれませんが、それほどに人生を左右されてしまう可能性はあります。
    子どもの可能性は無限大です。
    活かすも殺すも大人次第なのです。

    私たちがしていかなければならないのは子どもにその分野の意味を理解させ、考えさせることが重要なのです。
    そのことにより、自分で理解を深めるので応用が利き、今後社会に出たときには大きく羽ばたいていけるはずです。

    専門的な分野にこだわることはありません。
    国語、数学、理科、社会、英語など学校で習う分野で興味を持ったものを伸ばしていくような教育が必要だと思います。
    1つの分野を極めれば全てにつながるので、発展をさて応用をすることが出来るのです。
    特別なことは必要ありません。
    興味を持たせて理解をさせればいいのです。

    大人が指導をすれば子どもは言うことを聞いて思い通りに動かす時代は終わりました。
    子どもが自発的に学び、理解をする手助けを行うことが今の教育には必要だと思います。
    しかし、古いやり方を否定するわけではありません。
    古いやり方は指導するうえで必要かと思います。
    ですが、子どもへ大人が出来る最大の援助をすることによって、やがて大きな人へ成長をしていくのです。
    それが大人である私たちの喜びではないのでしょうか。

    目次に戻る⬆


    子供を預けて働くのは、保育園ママだけじゃない

  • 追加
  • 子供が通っている幼稚園の話ですが、この度同じ法人で保育園を開設することになったそうです。
    そこでは1歳児と2歳児のお子さんを預かり、その子達が成長したら幼稚園の延長保育を活用してもらい、保育園と同じように共働きの家庭をサポートするのです。

    これは、2つの問題点を解決していると思います。
    まずは、「保育園落ちた日本死ね」というワードが流行しましたが、単純に保育園の数が増えるということは待機児童問題の解決に繋がります。
    しかも既に幼稚園を経営している法人が設立した保育園であれば、保護者の方も安心して預けられると思うはずです。

    もう1つは、幼稚園の入園者現象問題です。
    幼稚園も保育園に通う子が多くなり、園児確保に必死だそうです。
    今じゃどの幼稚園も延長保育があるのは当たり前。
    その上で保育時間を長くしたり、延長保育を平日だけではなく土曜日にも実施する等して、働くお母さんに幼稚園に預けるという選択肢を提供しています。
    勿論働かないお母さんであっても自分のリフレッシュや、兄弟の用事で延長保育を利用することができます。
    延長保育を利用することで利用料金が発生し、それが幼稚園の収入に繋がるわけですから、一定の利用者が見込めるのであればこれは長く続いていく傾向なのでは?と思います。

    お客様の数が少なくなったから、どんなサービスで新規のお客様を開拓するか、幼稚園の経営にも、マーケティングの要素があるんだなと感じた出来事でした。

    目次に戻る⬆


    コイについて考える

  • 追加
  • コイは日本人にとっては馴染みの深い魚で、見たことがないという方はまずいないのではないでしょうか。
    鯉こくなど食材として使われることもありますし、観賞用の品種であるニシキゴイが公園の池などで飼われていることも多いです。

    ただし、現在日本の川や池などで見られるコイは外来種、もしくは在来種と外来種の交雑種です。
    元々日本にも在来種のコイがいました。しかし、海外から持ち込まれた外来種のコイが放流され、今では純粋な在来種のコイはごく一部の水域にしか残っていません。

    さて、日本でも環境問題が取りざたされるようになって久しく、様々な形で環境保護活動が行われています。
    それ自体は良いことなのですが、間違った形での活動が行われてしまうこともあります。その一つがコイの放流です。
    コイは雑食性で、昆虫、小魚、水草など様々なものを食べます。悪食と言ってもいいでしょう。つまり、元々コイがいなかった場所に放流することは、却って環境を破壊することになりかねないのです。

    ブラックバスやブルーギル、あるいはミシシッピアカミミガメなどは「放流してはいけない外来種」であるという認識が根付いてきていると思います。
    ですが、コイに関しては先程も言った通り昔から日本人が親しんできた魚なだけに、「そこらへんの川に放しても構わない」という意識の方も多いのではないでしょうか。
    真に環境を守るためには、こういった意識の改革が必要だと思います。

    そして、悪いのは放流する人間であり、決してコイが悪いわけではないということも忘れてはいけないと思います。

    目次に戻る⬆


    「卑怯なコウモリ」から得られる教訓

  • 追加
  • イソップ童話をご存知でしょうか。古代ギリシア人のアイソーポスによって書かれたと言われている寓話集です。
    様々な教訓を得ることができ、皆さんの中にも子供の頃読んだという方も多いのではないでしょうか。

    イソップ童話の中でも有名な話に、「卑怯なコウモリ」があります。鳥と獣が戦争を起こした時に、コウモリは両方にいい顔をしたため信用をされなくなり、戦争が終わった後には居場所を失って夜にだけ活動するようになったという話です。
    「卑怯なコウモリ」から得られる教訓は、裏切りを繰り返すような者はやがて信用を失うということですね。
    どっちつかずの態度をとる人間のことを「コウモリ野郎」と言ったりすることもあります。

    しかし実は、この話にはもう一つの教訓が隠されています。
    元はと言えば、獣と鳥が戦争を起こしたのが元凶なわけです。コウモリが獣と鳥の双方に諂ったのは、戦火の中で生き抜くために仕方なくやったこととも考えられるのではないでしょうか。
    自分たちで戦争を始めておきながら、和解後にはコウモリをのけ者にした獣と鳥たちこそ本当の卑怯者なのかもしれません。
    争いが起きた時、巻き添えで犠牲になるのは弱い者だということを忘れてはいけないと思います。

    ちなみに、現実のコウモリは哺乳類なので鳥ではなく獣の仲間です。しかも、全哺乳類の中でも約4分の1を占めるほど種数も多いのです。
    しかし、昔の人にとっては獣とも鳥ともつかない不思議な生き物だったのでしょう。

    目次に戻る⬆


    安全のABC

  • 追加
  • 建設業界でよく表題として扱われる言葉の中に「安全のABC」という言葉があります。

    Aとは「当たり前のことを」。
    Bとは「ぼんやりとせずに」。
    Cは「ちゃんとやる」、または、「しっかりとやる」。
    というように表現するようです。

    Aの当たり前のことというのは、誰の目にも明らかなこと、当然のことを指します。

    Bのぼんやりとせずにの意味することは、集中して、他の考え事をせずに。

    Cのちゃんとやる、しっかりとやるとは、手順を省略したり、横着をしない、ルールを守るといった部分となります。

    この安全のABCを守ることでヒューマンエラーを起因とした怪我や事故を未然に防がことができます。安全というのは特別な対策をとれば確保できるものではなく、一人一人がしっかりと意識を持って行動することが肝要だということのようです。

    この安全のABCを実生活に当てはめてみると、電車を利用する際には駅に入りホームを通行します。
    駅のホームを歩行する際には線路側の端を歩くよりホームの中央付近の通路を通行したほうが安全だとわかります。
    これがAの部分です。

    通行する際には黄色い線の内側を通行するよう場内アナウンスが耳に入ります。これを考え事をしたり、ぼーっとしながら歩いていたりするとアナウンスが耳に入らなかったり、聞こえていても黄色い線を超えてしまっていたりするケースもあり得ると思います。これを防ぐのがBの部分です。

    歩行中に歩きスマホをしながらホームから落ちて怪我をしたというニュースを耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、これは、自分は大丈夫、という意識や、これくらい平気だろう、という意識からくる「ルールの逸脱」といえます。
    ちゃんとやる、しっかりとやる・守ることでこうした不安全な行動を律する想いがCの部分の意味するところと言えるでしょう。

    この考え方はどの業界でも通ずる部分があると考えられ、また、安全だけでなく、クレームトラブル関係の防止やコンプライアンスに関しても同じような考え方が出来ます。

    皆さんもやるべきことをやるべき姿勢でしっかりと履行し、高いパフォーマンスを発揮することができるよう心がけて頂ければと思います。

    目次に戻る⬆


    企業の一体感を育むもの

  • 追加
  • 戦後の日本経済を牽引し、日本を世界有数の経済大国に押し上げた企業群の代表の一つ、トヨタ自動車株式会社は、バルブ崩壊以後、経済低迷の長期化、日本経済の主役交代など経済界の激変の中で、今もなお日本を代表する世界的優良企業のその座に揺るぎはありません。

    トヨタのこの強さはトヨタ独特の「土着性」に起因すると、トヨタで働いた経験を持つある作家がいっています。

    トヨタの本社は愛知県豊田市。
    政界との繋がりや世界的な経済活動に有利である東京に拠点を移す事無く、企業の発祥地に拘る理由は、労使は勿論のこと関連企業を含む組織全体の一体感を重要視する経営思想にあります。

    この一体感は企業発祥から受け継がれた伝統が基礎になる、とトヨタは考えるのです。
    モノづくりのスペシャリスト養成学校であるトヨタ工業学園では、トヨタのDNAを伝える為に、トヨタの源流である創始・豊田佐吉から始まるその歴史を先ず勉強します。
    モノづくりの中核になるトヨタ社員の一体感を育むのが目的です。

    それ程に企業の一体感を大切にするあるエピソードがあります。
    初代社長・豊田利三郎と二代目社長・豊田喜一郎の50回忌での昼食会。
    約100人の参列者の席順の最前列が、血の繋がらない関連企業の代表だったのです。次にトヨタの経営者グループで、豊田家の人々は末席でした。

    創業家だからといって、無暗には決して前へは出ない。
    トヨタの企業グループ全体の一体感を大切にする精神がここに現れています。

    企業一丸などのセリフは往々にして謳われますが、口先だけのスローガンでない本当の意味での一体感とは、こういう所に見えるものです。

    目次に戻る⬆


    読み聞かせというツール

  • 追加
  • 絵本の読み聞かせは子育てをしている人、また子供に接する機会が多い人は経験しているのではと思います。

    その絵本の読み聞かせですが、幼児期の人格形成に大きな役割を担っていると言われおり、今や、産まれて間もない新生児や胎児に読み聞かせをすることも有効なのだとか。

    フレデリック大王の実験をご存知でしょうか。
    触れ合いをせずに赤ちゃんを育てるという実験が、修道院でなされたのです。
    赤ちゃんが修道士を見ても、目を合わせない。
    笑いかけても、笑い返さない。
    結果は、実験が終わる前に赤ちゃんが死亡してしまったそうです。

    子供にせがまれて絵本を読むとき、私たちはいつもではしないような、オーバーアクションであったり、声に抑揚をつけてみたり、絵本の中の登場人物になってみたりして、子供が楽しんでくれるよう読んでいませんか。

    それは、直接的なスキンシップはありませんが、子供たちとの触れ合いになっていると思います。
    自分の声色で驚いたり笑ったり、その子供を見て読み聞かせている大人もまた笑顔になったり、わざと怖い顔になってみたりというコミュニケーションが生まれます。

    大人になってからも、是非、機会があれば読み聞かせてもらって下さい。
    小学校や幼稚園の行事で、何度か絵本の朗読をしてもらったことがあるのですが、大人でもやはり楽しいのです。
    安心して感情移入ができるというか、心地よいのです。

    そして普段では見落としがちなことや、忘れていたことなどを「あ、そうだった」と思い出させてくれるのです。

    身近に子供がいない人は、なかなか絵本に触れる機会もないかもしれません。
    もし本を手に取る機会がありましたら、ついでにパッケージで選んでもタイトルで選んでもなんでもいいので、一冊手に取って読んでみてください。
    きっと初心に返れると思います。

    何が大事なことなのかを見極める力を、過去にも未来にも必要とされる場面は沢山あります。
    シンプルにそして、初心に返る、大事なことではないかと思います。
    その一つのツールとして、またコミュニケーションのツールとしても、絵本の読み聞かせを活用していくのも手だなと思っています。

    目次に戻る⬆


    他人の子を見てて驚いたこと

  • 追加
  • 道ですれ違ったり、電車やバスに乗った時に小さな子供を連れた夫婦をよく見かけると思います。
    子供がいきなりぐずりだしてしまった時の親の対応というのはよく見ると様々で、時には驚かされるものもあります。

    私がよく見かける子供をあやす手段のひとつに、お菓子を与えるというものがあります。
    これは効果てきめんです。何故なら小さな子供にとってお菓子はごちそうだからです。
    でもよく考えてみると、乳歯が生えるか生えないかの年齢の子供にアメやスナック菓子を与えるのはどうなのだろうかと思ってしまう。
    あとは、その場は良いとしても、夕食の時間になっても子供はお腹いっぱいでご飯が食べられないのではないかということです。
    親としては電車の中で騒がれる方が困るとは思いますが、お菓子を与える作戦が通用しない時にはどうするんだろうかと気になります。

    もう一つ、私が驚いた親の対応として、ひたすら無視をするというものがありました。
    子供が泣きながら親を呼ぶのに対し、親はスマホをいじって子供を見ないのです。
    あれは見ていて心が痛みました。
    確かにわがままを言いだしたのは子供かもしれません。
    しかし子供とは大人のように行動はしてくれないのは十分知っているはずです。
    まして電車のように目的地に着くまで待つ乗り物に乗れば、子供はまだ着かないのかとぐずりだすものです。

    安易にお菓子を与えて子供を黙らせる親も、子供の訴えを無視している親も、その行動の一つひとつが子供の人格形成に影響を及ぼしていることをわかっていただきたいものです。

    と、他人に対してならいくらでも言えるし言いたいところではありますが、冷静に考えると、やはり子育ての理想を押し付けたところで、通用しない家庭はあるのが現実だと思い知らされます。

    目次に戻る⬆


    人は石ではありません

  • 追加
  • 新卒社員の採用を青田買いなんて言うこともあります。
    まだ、収穫の時期に至らない、青々とした田んぼの稲を買うからです。

    あるいは新卒社員、新入社員を「ダイヤの原石」なんて言いかたもします。
    原石ですから、宝石としてどんなふうに仕上がるかはわかりません。
    大きな指輪となってエンゲージリングになるかもしれません。
    貴人の胸元を飾るペンダントになるかもしれません。
    その他大勢と取り混ぜて、安物のアクセサリになるかもしれません。それはわかりません。

    原石から商品になるまでには、カットしたり、研磨したりという工程があります。
    同様に、新人も学生気分を切り落とすために、厳しく指導されるかもしれませんし、ほめてほめそやして磨きをかけられるケースもあるでしょう。
    叱られたり、おだてられたりするのは、原石をカットしたり磨いたりする工程に似ています。

    しかし、新入社員は人間です。石ではありません。
    人と石の大きなちがいは、人は自分で自分を磨くことができるという点です。
    人間の場合、その輝きは外からだけでなく、内側からも発しています。先輩や上司に磨かれるだけでなく、自分で自分を輝かせることを忘れてはいけません。

    自分自身を輝かせるためには、外からだけでなく、内側からも磨きをかけること。
    外からの磨きはやがて曇ってしまうこともあるでしょうが、内側から発する輝きは、底光りして決して失われません。
    このことを忘れないように、自分を磨くことに努めたいと思います。

    目次に戻る⬆


    本当は怖いグリム童話について

  • 追加
  • いわゆる「おとぎ話」というものは、親や大人によって子どもの眠る前に読み聞かせてあげるための虚構の世界を描いた物語のことを指していることが一般的となっています。だからこそ、子供の興味を引くような、またフィクションの虚構の世界観に満ち溢れたストーリーが展開されることも至極当然だと思われています。

    ところが、じつはおとぎ話の代表格であるグリム童話であっても、原作とは違った結末になるよう、話が書き換えられていたのだそうです。
    グリム童話とはヤーコプ・ルートヴィヒ・カルル・グリムとヴィルヘルム・カール・グリムからなるグリム兄弟によって編集された童話集ですが、たとえば、有名なところで次のような原作とその後の書き換えによる違いがあると言われています。

    赤ずきんちゃんは、狼に食べられてしまったままで、救出されることはなかったとされていますし、シンデレラの話では、足のサイズがガラスの靴に合わなかった継母たちは、自分がお姫様だと主張できなかったと落ち着くことになりますが、原作のなかでは、継母らは、自らの足の指先を切断してまでも、血をにじませながらも、ガラスの靴を履いてみせようとしたといった話になっているのだそうです。

    また、それだけでなく、白雪姫は毒リンゴを食べて生き返ることはなかったとされていますし、そもそも白雪姫に嫉妬して彼女を亡き者にしてしまうよう命じたのは、実の母親であったとされています。

    これらは子どもが耳にすることで幼い記憶のなかに残忍性のようなものを芽生えさせる害悪となる可能性があるとして意図的に書き換えられたとされていますが、現代社会での猟奇的な事件を目の当たりにしていると、一概にはそうとも言えないのではないかと言う気がしてしまうのもまた事実です。

    目次に戻る⬆


    犬を2匹飼っていると、平等に可愛がる大切さがわかります

  • 追加
  • 我が家には室内で飼う小型犬が2匹います。4歳と2歳ですが、4歳の犬は5か月から我が家にいて、2歳の犬は2か月から我が家にいます。4歳の犬は家族みんなで可愛がり、しつけもしました。今でもおやつなどは『待て!』というと『よし!』というまでずっと待っています。そして『お手』など、色々教えたことはしっかりできます。

    そうしているうちに2匹目が欲しくなったわけで、2匹目の子犬が来た時は、初めの犬は大人になっていたので、皆子犬ばかり可愛がっていました。その時初めの犬の顔を見ると、可愛がられる子犬を羨ましそうに見ているように見えました。ここはまずいと思い、両方とも可愛がるようにしました。

    しかし、2か月から飼いはじめた子犬は甘えん坊で、大人の犬や、家族にもすぐじゃれつき、どちらかというと子犬中心にどうしてもなってしまいました。大人の犬は、じっと我慢して、可愛がられる子犬を見ていました。

    そして子犬が1歳半を迎えた頃、性格が変わり始めました。人間でいう思春期あたりです。大人の犬を可愛がると、嫉妬して怒りだし、大人の犬に噛みつくようになったのです。大人の犬は、子犬だった犬が向かって来ても、あまり相手にせず、争いごとを避けるように場所を移動します。可愛がり過ぎた子犬は飼い主たちは、自分のものだと思っているようでした。

    この光景を見ていると、犬も人間同様、嫉妬する生き物だと分かりました。人間よりは我慢する程度は低いと思います。それでも我慢する犬もいれば、感情をむき出しにする犬もいるわけです。

    家庭内での子供への接し方や、会社内での同僚や部下への接し方も平等さが問われるものだと痛感しました。犬を参考にする事は良くない事かもしれませんが、犬を見て思い知らされた感がありました。この一件以来、家庭内、職場での接し方に最新の注意を払うようになりました。

    目次に戻る⬆


    子どもへの教育を参考にした仕事の効率的な学び方とは

  • 追加
  •  子どもを教育する難しさは親なら誰でも痛感することですが、1ついえるのは子どもの探求心や好奇心を生かした教育というのはとても良いですよね。

     子どもは好奇心旺盛で、どんなことにも前向きに興味を持つ傾向があります。今の子どもはどこかドライでいろいろなことに興味を向けられないのではないか、そんなふうに危惧する親もいておかしくないでしょう。でも、それは的を射ていない先入観だと思いますよ。

     たとえば、子どもに田植えの体験授業をさせる小学校がありますが、田植えをしている時の子どもは本当に楽しそうにしています。田植えですから泥んこになるのですが、それを嫌がるどころかむしろおもしろがっていたりします。もちろん男の子も女の子も関係ありません。

     この体験を通して学べるのは、普段食べているお米がどうやって作られるのかという過程ですよね。これを貴重な体験を通して学べるのですから、良い教育なのは間違いないといえるでしょう。頭で覚えるよりも体を動かして覚える、とても素敵な授業だと思います。

     そして、この教育方法は仕事にも活かせるのではないでしょうか?大人になれば子どもの時のような好奇心はさすがにないかもしれませんが、体験を通して学ぶことの重要性は大きいです。

     座学研修や講義のような一方的な研修は、もしかしたら効率があまり良くないのかもしれません。それよりも体験を通して仕事を学ぶ形が、理想的だといえるでしょう。子どもへの教育をモデルにし、ぜひとも参考にしていきたいですね。

    目次に戻る⬆


    無理にでも自分の不満を探して成長していく姿勢が大切

  • 追加
  • 人は不満を持つとその不満をいかにして解消できるか?について考えようとします。それが原動力となり、成長を果たすのです。つまり、不満は人にとってプラスの力を持つということになります。

    電通の元社長である吉田秀雄は「現状に不満を持つべきであり、現状に不満がない人間は使い物にならない」と口にしたことがあります。不満がないということは現状に一応満足しているということになります。ただ、それは別の言い方をすれば成長が止まっている状況なのです。

    したがって、不満を持つようなことが癖になっているような人、自分に足りないところはどこなのか?常に探すことができるような人は常に成長を続けられる可能性があります。それだけビジネスマンとしても魅力的で、会社としても重宝する人材になると言えるのです。

    だからこそ、仮に現状にある程度満足していても、その状況で自分に足りないところはないか?不満に感じる部分はないか?と、無理やりにでも探すということを私はしていきたいと思います。

    テストで100点をとってもそれに満足するのではなく、今回はたまたま自分の得意分野が出ただけだと考えるなど、慢心することなく、次もまた100点をとれるような姿勢でいることが重要ということです。

    どんなにいい結果を出しても、次はそれをさらに超えられるような結果を出せるように頑張る気持ちで私はこれからを過ごしていきたいと思いますが、これは全ての社員にとっても持っておいてほしい気持ちです。自分の成長を止めることなく、常に上を目指す気持ちを持って仕事をしていきましょう。

    目次に戻る⬆


    関連ネタ & スポンサーリンク