資格取得のメリットと業務

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  • 会社組織の中にいると、さまざまな情報が入って参ります。資格取得についても、自ずから情報が入ってくる今日このごろなのではないでしょうか。

    やれ、TOEICだ、いやいや簿記だ、などと、気が焦って頭の中があれやこれやの大騒ぎになってしまうこともあるかもしれません。

    かくいう私も、一時はあれもこれもやらなくてはならないという気持ちになり、予備校代やらテキスト代がかさんだあげく、大した成果は残せなかったという経験があります。

    そんな中、本当に自分の業務に役立つスキルは何だろうと自己吟味した結果、大切なことは意外と少ないと気づきました。その結果、難関と言われる資格に合格することができたわけです。

    資格取得は、素晴らしいことですが、自分の自信のなさを覆い隠そうとしても、なかなか勉強が捗りません。焦るだけでかえって無駄が多いということにならないためにも、吟味は大切です。

    しかし、本当に必要なことを見定め、それについてきっちりと知識や技能を身につけるならば、資格の勉強自体にも意味がでてきます。

    ですから、やみくもに資格資格と言うのではなく、その前に自分の業務には何が必要なのかを考えてみましょう。

    そのさい、自分の欠落ばかりに目を向けても、気分が焦るばかりです。そうではなくて、今の自分を認めた上で、何がプラスされるとより良くなるだろう、という前向きな視点を持つことが大切です。

    明るく、前向きな気持ちで取り組むことで、資格取得までの道も、取得後の業務も輝き始めるのです。

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    身に付けたものを、使うということ

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  • 『文章の中にある言葉は、辞書の中にある時よりも美しくなければならない』という名言があります。作家の芥川龍之介の言葉です。

    辞書にある言葉は、単語でしかありません。

    文章はそれらの一つ一つの単語を組み合わせたものであり、誰かに何かを伝えるためのものです。
    芥川龍之介は作家なので、美しい文章で物語を読み手に伝えるということが目標です。

    私たちの生活や学びも、似たところがあるのではないでしょうか。

    何かひとつの技能を身に付けるとします。あるいは何かひとつの物事を知って記憶したとします。それらは、芥川のいう『辞書の中の言葉』でしかないのではないでしょうか。

    実際に何か目的をもって学んだことや身に付けたことを使おうとするとき。それはそれぞれの要素を組み合わせ、ひとつずつの要素だったときよりも『美しく』なければいけません。

    つまり、目的にあった技術を選択し、組み合わせ、実用的に利用することができなければならないのです。

    ただただ、知識を増やしただけでなく、それをいかに使うかを考えていかねばならないと、私は思っています。

    そしてもちろん、様々な形に組み合わせることができるように、より多くの知識や技術を要素として身に付けておかねばなりません。

    学生の間は与えられた知識を個々に暗記し、それで勉強したことになっていました。

    しかし、本質はその覚えたものをそれぞれに繋ぎ会わせて利用することができるという部分にあったのではないでしょうか。

    私も仕事のなかで様々なことを学び、身に付けてきました。それを実際に適切に使えることでこそ、ひとつひとつの学びは輝くのだと、改めて自覚をもって過ごしたいと思います。

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    先輩の姿

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  • 私が入社したての新人社員だったころ、Kさんという先輩がいました。

    Kさんは私を早く一人前にしたいが故か、または単に自分の手間を省くためか、私にあれもこれもとたくさんの仕事をおしつけてきました。

    はじめは新人社員としてがんばろうと張り切っていた私でしたが、Kさんの要求に耐えきれなくなって、ついに反抗してしまいました。いわゆる切れたというやつです。

    「Kさん、私にはもうそんなつまらない仕事はさせないでください。手間も時間もかかるしもっと別の仕事で頑張らせてください」

    てっきりKさんは怒るのかなと思っていましたが、意外にも静かな口調で、「そうか、ちょっと考えておくわ」と言われました。

    それから少し時間がたったのち、会社の終業のカネが鳴りましたので、私はいつものようにKさんに挨拶をしてから帰宅しようとしたのですが、その日はKさんの姿が見えません。どうしたものかと探し回りまして、しばらくしてKさんの姿を見つけた私はハッと息をのみこみました。

    なんとKさんが先ほど私が切れてイヤだと言った仕事を黙々としているではありませんか。私は恥ずかしいやら申し訳ないやら何とも言えない気持ちになりまして、思わずKさんのところへ駆け寄りました。

    私「Kさん、もうやめて下さい。この仕事は私がやっぱりやりますから。」
    Kさん「実はね、自分はこういう仕事が昔からけっこう好きなんだよね。だから気にしないでもいいんだよ。」

    その後、私の仕事に対するモチベーションが何倍、いや何十倍も跳ね上がったことは想像に難くないと思います。

    先輩が後輩を指導するときはあれこれうるさく言ってもダメなんです。自分で真摯な姿を見せることが大事だと思います。

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    「全然大丈夫」「やばい美味しい」は誤用ではありません

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  • 「全然」という言葉のあとには、必ずと言って良いほど、「~ない」の形で全否定を表す文法が、とりわけ第二次世界大戦後の現代語でもっとも一般的な用法とされてきました。これは、日本語の専門家であったり、研究をしている方でなくとも、ごく普通の感覚でも当たり前のように思えることですが、最近は若者を中心として「全然大丈夫」などといった、肯定的な意味で使われることが増えてきていることが注目に値します。
    夏目漱石も「全然」を否定を伴わず使っていた
    この事自体を間違った日本語であると指摘する声があることも事実ですが、じつは昔は「全然+肯定」の表現が普通に使われていたようです。
    明治から昭和戦前にかけて、「全然」は否定にも肯定にも用いられてきたことがあり、あの夏目漱石でさえも「全然」を否定を伴わず使っていたという文献が残っているのです。

    また、「やばい」という言葉も江戸時代の作家十返舎一九の作品にも見られるように、当時から当たり前のように使われていたものと思われます。当時は、いわゆる「危険である、危ない」という意味で使用がされていたようですが、最近の若者は「とても」のような意味合いでむしろ肯定的な意味で使う人が少なくありません。

    とある老舗の飲食店で、若者が「やばい、やばい」と連呼しているので、食材に不備や問題があったのかと心配になった店主が、尋ねてみたところ、「やばいくらい美味しい」ということであったとの笑い話もあるほどです。

    日本語だけに限らず言語のすべてに言えることですが、時代とともに用法が変わっていくことは当然の帰結であり、だからこそ言語が生き物であると言われる由縁になっているのではないかと思いました。

    今後は、間違いを指摘する前には、ググってみようと思いました。

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    マナーは人の為だけではないのですね

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  • 一昨日の朝家を出る時に近所の人がゴミ出しをしているのを見かけました。挨拶をすると笑顔で返してくれました。
    ふと見ると袋の色が指定日のものと違うのに気が付きました。
    「今日はその可燃物の日じゃありませんよ。」というと、「可燃物の袋がないから違う色にしただけ。持って行ってくれるからいいのよ。」と言われました。
    余計なお世話だったかなと思い会社に向かいましたが、色が違うと収集の人が困るのではと感じていました。

    翌日、昨日の人が家の前で何かしていました。挨拶をすると、昨日とは全く違う顔つきでした。
    思議に思って聞いてみると犬の糞があったらしく掃除していたんだそうです。
    「全くマナーがなってないわよね。自分の犬ならちゃんと処理しなさいよね。」とかなりのご立腹の様子でした。
    「大変でしたね。」と声をかけてその場を離れました。

    最近犬の糞なんて見た事が無かったので、誰かのイタズラなんだろうなと思いました。
    イタズラされるなんてなんか恨みでも買っちゃったのかなと思った時、ゴミの事を思い出しました。
    昨日はマナー違反してた人が、今日はやりかえされて怒ってるんだと思うと少し可笑しく思えました。

    でも考えてみれば因果応報かもしれませんよね。
    たかだかゴミ袋の色と言っても、誰かが凄い迷惑をかけられてる事もあるかもしれません。
    結局マナーの悪い人はそれなりに悪いマナーに苦しめられる事になるのでしょう。

    マナーは人の為だけでなく、自分の為にも大切なんだなと思いました。
    これからは自分だったらどう思うだろうと考えてマナーを守っていきたいと思います。

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    全ての色に役割がある

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  • この言葉は松下電器の創業者である松下幸之助の言葉です。

    経営の神様と呼ばれた松下幸之助は人間を熟知していました。
    彼の部下に酒好きで喧嘩早い人物がいたのですが、松下はその人物に先端事業を任せようとして周囲から猛反発を受けてしまいます。
    その時松下はこう答えました。
    「あいつには悪いところもあるけれど、優れたところもある。よく働くものはよく食うものだ。飯を食うなというと働かなくなるよ」と。
    でも松下は必ずしも個性的な人間ばかりを集めていたわけではありません。
    そこで松下は個性だけでは集団が成り立たなくなるリスクも考え、一見何の特徴もない部下にもどんどんチャンスを与えていきました。

    どんな人にもその人にしか出来ない役割があり、その役割を見抜いた時強いチームが出来るという考えから「全ての色に役割がある」と松下幸之助は発言したのです。

    そしてこれは全ての職種、人物に当てはまることだと思います。

    世の中の仕事一つ一つが私達の生活を支えてくれる礎であることには変わりません。
    時には自分の意見を戦わせることも重要だと思います。
    その衝突の中でお互いの長所欠点をよく知り合うことが出来、そして欠点を補い合うこともできるようになると考えます。
    また、そこから共同の仕事の発展が生まれる。
    そうしてより良く仕事の士気も上がり、よりいいものも作れるのではないでしょうか。

    これからは周囲とのコミュニケーションを大事にしながら日々仕事に邁進していきたいと思います。

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    仕事の典型的な失敗例です。あなたはどう思いますか?

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  • 居酒屋で、後ろのサラリーマン二人のお話が興味深くて、つい聞き耳を立ててしまいました。

    上司が部下にお説教していました。上司のセリフのままです。

    今日はご苦労だったな。帰りたいだろうけど、ちょっと言っておきたい事もあるんで付き合ってくれ。
    お前の為にもな。

    今日の書類、切るかもしれない仕入先への、まあ言えば詰問状みたいなもんだ。
    仕入先も大切な取引先だからな、そことの取引を止めるかどうかに係わる大事な書類なんだ。
    その事は作るの頼んだ時にお前に言ったよな。

    そんで、金曜日に発送する事もいったよな。明日がその金曜日なんだよ。
    なのに、木曜日の今日まで、俺が尋ねるまで、何も言って来ないてのはどういう事なの? 

    明日、オレに見て貰うつもりだったて言ってたけど、俺の明日のスケジュール、分かってんの?調べた?俺に聞いてきた?やってないだろ。
    だったらもし俺が何かの用事で明日1日いなかったら、お前どうすんだよ。
    俺のチェックなしで発送するの? あんな大事な書類をさ。

    そんなじゃ大事な仕事、お前に任せられないじゃんか。
    いちいち、何日までに書き上げて、何日までに俺に見せてって、細かく俺が指図しなきゃダメなの? それじゃ新入社員と同じだよ。

    もう何年になるんだよ、お前。
    こんなさ、仕事の基本的なやり方が出来ないんじゃ、ホント、信用できないぜ。危なくって何も頼めないじゃんか。

    そりゃ、お前も忙しいのは分かってるさ。でも俺だってお前以上に忙しんだよ。
    悪いけど、お前一人をじっと見てるわけにはいけないんだよ。俺にはお前以外にも何人も部下が居るんだよ。

    だからさ、別に上司だからって偉そぶってるわけじゃないけどさ、報・連・相はお前からやってくれよな。
    頼むよ、ホント。分かった?

    有りがちな、大変判り易い失敗例ですね。人の振り見て我が振り直せです。

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    「信士」より「居士」が良い

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  • 父の13回忌が終わりました。
    父が亡くなった時の事を思い出します。

    長男である兄がお寺に戒名をいただきに行きました。戒名の申請用紙に必要事項を書き込み、提出しました。いただいた戒名は「○○○○信士」でした。
    ちなみに、父は代用教員から教員となり40年余の長きにわたり地元の中学校の先生をしており、教頭にもなれず(ならず)平教員でした。
    しかし、役職が無く、常に生徒と触れ合う立ち位置だった為、送り出した卒業生の数は多かったと思います。
    さらに、教育熱心だった為、人望も厚く、「先生のお子さん」という居心地のいい時代を過ごすことが出来ました。

    告別式が終わり、落ち着いた頃、父の姉が何気なくこう言ったのです。
    「居士欲しかっただろうにね。」と。信士より居士の方が格上という認識はありましたが、どちらでも構わないといった程度の認識でした。
    私は思わず弁解する口調で言いました。「親父は教頭にもならず、一生一教員として生きた人だから、名誉を欲するとは思えません。」
    すると、父の姉が何も知らない癖にと言わんばかりに上から目線で、「好き好んで”平”だったわけじゃないでしょう?教頭になりたかったけどなれなかったんじゃないの?」
    と、やり返してきました。

    その時まで、先生の中でも、教頭・校長を目指して生徒の方を向いていない先生が多い中、父は名誉に目もくれず、ひたすら生徒の方を向いていたその姿勢に誇りを尊敬の念を禁じえませんでした。
    父の姉の話に、そうかかもしれないと思いました。教頭になれずやむを得ず生徒の方を向いていて、亡くなった時、居士をもらえなかった無念を思っている父の姿が脳裏をかすめ、
    聖人君子だと思っていた父が何と欲望が満たされずにもがいている。そう思うと、人間的な一面を垣間見て亡くなった父がさらに好きになりました。

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    成功者も結局過去に多くの失敗をしている可能性が高いということ

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  • 世の中で成功している人は数多くいます。実業家や経営者で名が通っている人は国内外を含めてかなりの人数がいると思いますが、そういった人はすごい人だと感銘を受けることでしょう。しかし、そういった成功者は成功しかしていないわけではありません。

    成功者は成功した部分だけがクローズアップされるので、まるで失敗なんかほとんど経験していないかのような錯覚に陥ることもあります。しかし、それは成功者が失敗していないわけではなく、失敗した部分に注目されていないだけなのです。

    そして、どれだけ過去に失敗を重ねていても、1つの大きな成功があれば、その人は成功者として世の中から扱われます。そうなると、結果的に成功している人も過去に何度も失敗をしている可能性が十分にありますし、現実的にそういう人もかなりいると思います。

    したがって、失敗ばかりをしている人というのは自分に才能がないと思う必要がないと思います。成功者になるためには数少ない成功のためのチャンスを逃さないことが重要なのです。

    ミスをする回数などは減らしていく努力も必要ですが、ミスする回数が多いとしても自信をなくす必要はなく、自分が無能と思う必要もなく、いつか成功するチャンスが巡ってくるかもしれないと、そういう気持ちでいましょう。

    成功者になれるか?どうかは失敗の回数が少ないか?どうかで決まるのではなく、成功のチャンスを掴めるか?どうかだと思いますし、むしろ過去に失敗した経験が多くあれば、その失敗に学べるはずで、そこからも成功のチャンスが広がるかもしれないのです。

    そういった考え方で私は仕事をしていきたいと思います。失敗を減らす努力をしながら、過去にした失敗をそのままにするのではなく、失敗を財産として生かして、成功へとつなげていきたいです。

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    努力してもダメなときに努力の仕方を変える重要性

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  • 仕事をしている人は基本的に全ての人が頑張っています。努力をしているはずです。しかし、努力が実を結ばないことは仕事では多々あります。

    そういったときに差が出る社員の行動があります。その努力をさらに続ける人、努力の仕方を変える人という、大きく分けて2つのパターンがあるのです。後者を柔軟に行える人こそが優秀なビジネスパーソンと言えると思います。

    結果の出ない努力を続けることは言ってしまえば誰でもできます。結果が出なくても良いならば、それ自体何ら難しいことではないからです。しかし、努力の仕方を変えるというのは誰でもことではありません。

    努力の仕方を変えるということをしても、絶対に結果が出るとは言えないでしょう。しかし、努力の仕方を変えるということは今までの努力がなぜダメだったのか?の原因を分析し、その原因から今度は上手くいくはずだと思える方法をきちんと考えるというプロセスが必要です。

    これは誰でもできるわけではなく、論理的に物事を考える力が備わっていないとできないことなのです。そして、努力してダメだったことというのは、努力の仕方を変えることで結果が出る確率が上がります。つまり、そういった能力がある人の方が会社にとっても重要であり、ビジネスパーソンとしても有能と言えるのです。

    私が目指している理想の社員というのはそれになります。努力をすることは当たり前ですが、努力してもダメだったときにどのように軌道修正するか?が重要だと思うのです。柔軟に対応して、事態を良い方向に向かわせられる能力こそが、私たちに必要だと思います。

    私はそういった社員になるべく、努力をしながらも状況を正確に見つめて、常に最善の手段を選択していけるように頑張っていきたいと思っています。こういった部分は私だけではなく、全ての社員に必要であり、同じく理想としてほしいと思うのです。

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    働く人にとって自分の代わりはいくらでもいることを肝に銘じる大切さ

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  • 私たちは普段会社で何気なく働き、身分を保障されていると思っている人が多いかもしれません。しかし、会社で働く私たちの代わりは意外と多くいるものです。私たちは就職活動を通じて会社から選ばれた必要な人材という認識の人も多いかもしれませんが、その認識は妥当ではないのです。

    会社としては必要な人数を採用するということを迫られてはいるものの、それがこの人じゃないといけないとは思っていないでしょう。最低限のスキルなどを持った人の中で最も良いと思った人を採用したに過ぎないのです。だから、自分と落ちた人の能力差はそこまでないと思った方が良いのです。

    そして、自分が会社に就職できて、これで安泰だと油断をしていると、会社からそういった評価を受けることになります。そういった評価というのは、こいつの代わりは他に探せばいくらでもいるから、待遇を悪くしても構わないとか、無下に扱っても構わないというものです。

    代わりはいくらでもいるという状態というのは、この人が会社を辞めても、同じ能力を持った代わりは簡単に見つけられるということであって、最悪辞められても困らないという状況になります。そう思われたら、自分に対する会社の期待はほぼなく、評価もされないでしょう。扱いも悪くなり、自分の存在意義は失われ、自尊心もどんどんなくなるかもしれません。

    したがって、自分がここで働く意義や自分だからこそできることというのを見出し、そのための努力をして会社から認めてもらって、自分が会社にとって不可欠な存在になることができれば、それは会社にとっても大きいですが、自分にとっても意味があることになります。

    そういった状況を作ることが私たちが会社でやるべきことであり、今日も目指していく姿ではないでしょうか。自分が働く意味を会社に訴えていくことが自分と会社の成長を促すのですから、私はそういった社員でいたいと心から思っています。

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    常に他人の話を聞いてそこから動き始めることを心がけよう

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  • 仕事をするうえで正解の選択肢というものはなかなか見出しづらいです。目指すべき正解のような存在はありますが、その正解に向けてとるべき手段に関しては、必ずしも正解があるとは限らないのです。

    したがって、私たちが仕事をするときにはできるだけ多くの選択肢を用意し、それぞれを吟味して、最も望ましいものを選ぶということが大切になります。やはり選択肢が多ければ多いほど、その中から選ぶものが正解に近づける可能性が高まると思いますから。

    選択肢が少ないと、選ぶ余地がほとんどなく、それが全く向いていない手段だったりすることもあるのです。だから、普段から選択肢を多くすべく、いろいろな人の話を聞くということをした方が良いと思うのです。

    例えば、ある問題にぶつかったときにそれを解決する手段として自分が思いついたもの以外にもっといい方法があるかもしれません。そういったものに出会うには自分1人で考えていても無理なケースがあるのです。他の人に相談した結果、得られる手段という場合も十分あると思います。

    他人の話を聞くことで得られるヒントがあるということは仕事においては頻繁にあると思います。そして、そういったものから少しでも良い兆しが見えてくるということがあるのです。だから、他人の話を聞くということは本当に大切だと思います。

    他人の力を借りることで自分にはない力を発揮することもできるはずで、それをして良いのがビジネスなのです。だから、常に他人から話を聞いて、アドバイスを貰って選択肢を多くするということを私は心がけていきたいと思っています。それが会社のためにもなると思いますから。

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    変人と評価されることを恐れてはいけない

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  • 世の中には変人と言われるような人たちがいます。変人という言葉は一般的にあまりいい意味では使われていませんが、変人のみが天才へとレベルアップできる存在なのです。そこを忘れてはいけません。

    人と違っている部分があると、そこを蔑みの意味を込めて変人と言われますが、変人というのは実績を残せていないからこそ、そのように言われるのです。実績を残すことができれば、それは天才という見方に変わります。あのイチロー選手もかつてはそうでした。

    彼が日本のプロ野球にいた頃、いわゆる振り子打法を批判する声が多くありました。しかし、彼はその振り子打法で結果を出し、今の地位を築き、天才と称されるまでに至ったのです。実績を残せばみな変人から天才へと進化できます。

    そして、大いなる実績を残すことができるのは変人のみなのです。いわゆる凡人は多くの人がすることと同じことをします。だから、変人とは言われないものの、天才にもなれないのです。みんなと同じことしかしないということは平均的なレベルで収まってしまうからです。

    変人こそが天才になれる逸材であり、その可能性を秘めているという意味では変人と言われることを恐れてはいけません。また、人と違うなと感じる部分をマイナスに捉えてることもすべきではないのです。

    みんなと同じことをするならば、それは他の人にやらせておいても良いわけで、自分にしかできないことを考えることが結果的に会社の利益につながる場合もあります。そういう部分を突き詰めることが優秀なビジネスマンになるために重要だと思うのです。

    人と違うこと、他に人は思いつかないようなことこそが天才へと進化できる要素になるかもしれないのですから、人と違う考えなどを持てることは1つの才能です。私は否定されることを恐れないで、人と違う自分だけの部分に価値を見出して、仕事をしていきたいと思っています。

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    子どもの教育と仕事を切り離して考える時代は終わった

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  • 今の時代、家族である子どもの教育と仕事は切り離して考えることができないと思います。

    昭和の時代までは、父が仕事に出て母が子育てをすることで両立していたのかもしれません。しかし、平成の時代に入ってからは共働き世帯が増え、父母ともに働くケースは珍しくなくなりました。そして、子どもがいればその間に子育ても平行させて行わなければいけません。ですから、仕事ともに子育てできる環境をどれだけ充実させられるかが、社会には求められています。

    最近では保育園が次々と開園したりなど、いわゆる待機児童問題についての取り組みがだいぶ活発化していますよね。ただ、それでもまだ保育園は足りていない状況です。そこで、企業内保育所や、あるいは企業と連携した保育施設の取り組みが期待されています。

    企業内保育所があって出勤するとともに子どもを預けられれば、働きやすくなるのはいうまでもありません。これならたとえ子どもに体調不良等で何かあってもすぐに駆け付けられますし、その利便性は企業にとってもプラスなはずです。

    実際にはスペースや人材の確保や認可の問題などがあるため、良い取り組みだからといってすぐに着手はできないです。ですが、今の時代に対応していくならそのような取り組みから目を逸らすことはできませんので、よく考えなければいけませんよね。

    また、その実現には私のような一社員から問題に向き合う姿勢が大事ですし、子どもがいるいないにかかわらずみんなで答えを出す問題だと私は考えています。

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    勉強の極意は理解をすること

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  • どんな分野の勉強もそうですが、何事も理解をしなければ学ぶことは出来ません。
    テストでいい点を取るためにその場しのぎの勉強をしていれば応用が利かなくなり、テストだけが出来る人になってしまいます。
    そのまま世の中に出てしまえば、臨機応変に対応が出来ずに子どもの人生を破滅させてしまう事になっていきます。
    そこまで大げさなと感じるかもしれませんが、それほどに人生を左右されてしまう可能性はあります。
    子どもの可能性は無限大です。
    活かすも殺すも大人次第なのです。

    私たちがしていかなければならないのは子どもにその分野の意味を理解させ、考えさせることが重要なのです。
    そのことにより、自分で理解を深めるので応用が利き、今後社会に出たときには大きく羽ばたいていけるはずです。

    専門的な分野にこだわることはありません。
    国語、数学、理科、社会、英語など学校で習う分野で興味を持ったものを伸ばしていくような教育が必要だと思います。
    1つの分野を極めれば全てにつながるので、発展をさて応用をすることが出来るのです。
    特別なことは必要ありません。
    興味を持たせて理解をさせればいいのです。

    大人が指導をすれば子どもは言うことを聞いて思い通りに動かす時代は終わりました。
    子どもが自発的に学び、理解をする手助けを行うことが今の教育には必要だと思います。
    しかし、古いやり方を否定するわけではありません。
    古いやり方は指導するうえで必要かと思います。
    ですが、子どもへ大人が出来る最大の援助をすることによって、やがて大きな人へ成長をしていくのです。
    それが大人である私たちの喜びではないのでしょうか。

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    子供を預けて働くのは、保育園ママだけじゃない

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  • 子供が通っている幼稚園の話ですが、この度同じ法人で保育園を開設することになったそうです。
    そこでは1歳児と2歳児のお子さんを預かり、その子達が成長したら幼稚園の延長保育を活用してもらい、保育園と同じように共働きの家庭をサポートするのです。

    これは、2つの問題点を解決していると思います。
    まずは、「保育園落ちた日本死ね」というワードが流行しましたが、単純に保育園の数が増えるということは待機児童問題の解決に繋がります。
    しかも既に幼稚園を経営している法人が設立した保育園であれば、保護者の方も安心して預けられると思うはずです。

    もう1つは、幼稚園の入園者現象問題です。
    幼稚園も保育園に通う子が多くなり、園児確保に必死だそうです。
    今じゃどの幼稚園も延長保育があるのは当たり前。
    その上で保育時間を長くしたり、延長保育を平日だけではなく土曜日にも実施する等して、働くお母さんに幼稚園に預けるという選択肢を提供しています。
    勿論働かないお母さんであっても自分のリフレッシュや、兄弟の用事で延長保育を利用することができます。
    延長保育を利用することで利用料金が発生し、それが幼稚園の収入に繋がるわけですから、一定の利用者が見込めるのであればこれは長く続いていく傾向なのでは?と思います。

    お客様の数が少なくなったから、どんなサービスで新規のお客様を開拓するか、幼稚園の経営にも、マーケティングの要素があるんだなと感じた出来事でした。

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    コイについて考える

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  • コイは日本人にとっては馴染みの深い魚で、見たことがないという方はまずいないのではないでしょうか。
    鯉こくなど食材として使われることもありますし、観賞用の品種であるニシキゴイが公園の池などで飼われていることも多いです。

    ただし、現在日本の川や池などで見られるコイは外来種、もしくは在来種と外来種の交雑種です。
    元々日本にも在来種のコイがいました。しかし、海外から持ち込まれた外来種のコイが放流され、今では純粋な在来種のコイはごく一部の水域にしか残っていません。

    さて、日本でも環境問題が取りざたされるようになって久しく、様々な形で環境保護活動が行われています。
    それ自体は良いことなのですが、間違った形での活動が行われてしまうこともあります。その一つがコイの放流です。
    コイは雑食性で、昆虫、小魚、水草など様々なものを食べます。悪食と言ってもいいでしょう。つまり、元々コイがいなかった場所に放流することは、却って環境を破壊することになりかねないのです。

    ブラックバスやブルーギル、あるいはミシシッピアカミミガメなどは「放流してはいけない外来種」であるという認識が根付いてきていると思います。
    ですが、コイに関しては先程も言った通り昔から日本人が親しんできた魚なだけに、「そこらへんの川に放しても構わない」という意識の方も多いのではないでしょうか。
    真に環境を守るためには、こういった意識の改革が必要だと思います。

    そして、悪いのは放流する人間であり、決してコイが悪いわけではないということも忘れてはいけないと思います。

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    「卑怯なコウモリ」から得られる教訓

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  • イソップ童話をご存知でしょうか。古代ギリシア人のアイソーポスによって書かれたと言われている寓話集です。
    様々な教訓を得ることができ、皆さんの中にも子供の頃読んだという方も多いのではないでしょうか。

    イソップ童話の中でも有名な話に、「卑怯なコウモリ」があります。鳥と獣が戦争を起こした時に、コウモリは両方にいい顔をしたため信用をされなくなり、戦争が終わった後には居場所を失って夜にだけ活動するようになったという話です。
    「卑怯なコウモリ」から得られる教訓は、裏切りを繰り返すような者はやがて信用を失うということですね。
    どっちつかずの態度をとる人間のことを「コウモリ野郎」と言ったりすることもあります。

    しかし実は、この話にはもう一つの教訓が隠されています。
    元はと言えば、獣と鳥が戦争を起こしたのが元凶なわけです。コウモリが獣と鳥の双方に諂ったのは、戦火の中で生き抜くために仕方なくやったこととも考えられるのではないでしょうか。
    自分たちで戦争を始めておきながら、和解後にはコウモリをのけ者にした獣と鳥たちこそ本当の卑怯者なのかもしれません。
    争いが起きた時、巻き添えで犠牲になるのは弱い者だということを忘れてはいけないと思います。

    ちなみに、現実のコウモリは哺乳類なので鳥ではなく獣の仲間です。しかも、全哺乳類の中でも約4分の1を占めるほど種数も多いのです。
    しかし、昔の人にとっては獣とも鳥ともつかない不思議な生き物だったのでしょう。

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    安全のABC

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  • 建設業界でよく表題として扱われる言葉の中に「安全のABC」という言葉があります。

    Aとは「当たり前のことを」。
    Bとは「ぼんやりとせずに」。
    Cは「ちゃんとやる」、または、「しっかりとやる」。
    というように表現するようです。

    Aの当たり前のことというのは、誰の目にも明らかなこと、当然のことを指します。

    Bのぼんやりとせずにの意味することは、集中して、他の考え事をせずに。

    Cのちゃんとやる、しっかりとやるとは、手順を省略したり、横着をしない、ルールを守るといった部分となります。

    この安全のABCを守ることでヒューマンエラーを起因とした怪我や事故を未然に防がことができます。安全というのは特別な対策をとれば確保できるものではなく、一人一人がしっかりと意識を持って行動することが肝要だということのようです。

    この安全のABCを実生活に当てはめてみると、電車を利用する際には駅に入りホームを通行します。
    駅のホームを歩行する際には線路側の端を歩くよりホームの中央付近の通路を通行したほうが安全だとわかります。
    これがAの部分です。

    通行する際には黄色い線の内側を通行するよう場内アナウンスが耳に入ります。これを考え事をしたり、ぼーっとしながら歩いていたりするとアナウンスが耳に入らなかったり、聞こえていても黄色い線を超えてしまっていたりするケースもあり得ると思います。これを防ぐのがBの部分です。

    歩行中に歩きスマホをしながらホームから落ちて怪我をしたというニュースを耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、これは、自分は大丈夫、という意識や、これくらい平気だろう、という意識からくる「ルールの逸脱」といえます。
    ちゃんとやる、しっかりとやる・守ることでこうした不安全な行動を律する想いがCの部分の意味するところと言えるでしょう。

    この考え方はどの業界でも通ずる部分があると考えられ、また、安全だけでなく、クレームトラブル関係の防止やコンプライアンスに関しても同じような考え方が出来ます。

    皆さんもやるべきことをやるべき姿勢でしっかりと履行し、高いパフォーマンスを発揮することができるよう心がけて頂ければと思います。

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    企業の一体感を育むもの

  • 追加
  • 戦後の日本経済を牽引し、日本を世界有数の経済大国に押し上げた企業群の代表の一つ、トヨタ自動車株式会社は、バルブ崩壊以後、経済低迷の長期化、日本経済の主役交代など経済界の激変の中で、今もなお日本を代表する世界的優良企業のその座に揺るぎはありません。

    トヨタのこの強さはトヨタ独特の「土着性」に起因すると、トヨタで働いた経験を持つある作家がいっています。

    トヨタの本社は愛知県豊田市。
    政界との繋がりや世界的な経済活動に有利である東京に拠点を移す事無く、企業の発祥地に拘る理由は、労使は勿論のこと関連企業を含む組織全体の一体感を重要視する経営思想にあります。

    この一体感は企業発祥から受け継がれた伝統が基礎になる、とトヨタは考えるのです。
    モノづくりのスペシャリスト養成学校であるトヨタ工業学園では、トヨタのDNAを伝える為に、トヨタの源流である創始・豊田佐吉から始まるその歴史を先ず勉強します。
    モノづくりの中核になるトヨタ社員の一体感を育むのが目的です。

    それ程に企業の一体感を大切にするあるエピソードがあります。
    初代社長・豊田利三郎と二代目社長・豊田喜一郎の50回忌での昼食会。
    約100人の参列者の席順の最前列が、血の繋がらない関連企業の代表だったのです。次にトヨタの経営者グループで、豊田家の人々は末席でした。

    創業家だからといって、無暗には決して前へは出ない。
    トヨタの企業グループ全体の一体感を大切にする精神がここに現れています。

    企業一丸などのセリフは往々にして謳われますが、口先だけのスローガンでない本当の意味での一体感とは、こういう所に見えるものです。

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