教育ネタ Topics

子供を預けて働くのは、保育園ママだけじゃない

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  • 子供が通っている幼稚園の話ですが、この度同じ法人で保育園を開設することになったそうです。
    そこでは1歳児と2歳児のお子さんを預かり、その子達が成長したら幼稚園の延長保育を活用してもらい、保育園と同じように共働きの家庭をサポートするのです。

    これは、2つの問題点を解決していると思います。
    まずは、「保育園落ちた日本死ね」というワードが流行しましたが、単純に保育園の数が増えるということは待機児童問題の解決に繋がります。
    しかも既に幼稚園を経営している法人が設立した保育園であれば、保護者の方も安心して預けられると思うはずです。

    もう1つは、幼稚園の入園者現象問題です。
    幼稚園も保育園に通う子が多くなり、園児確保に必死だそうです。
    今じゃどの幼稚園も延長保育があるのは当たり前。
    その上で保育時間を長くしたり、延長保育を平日だけではなく土曜日にも実施する等して、働くお母さんに幼稚園に預けるという選択肢を提供しています。
    勿論働かないお母さんであっても自分のリフレッシュや、兄弟の用事で延長保育を利用することができます。
    延長保育を利用することで利用料金が発生し、それが幼稚園の収入に繋がるわけですから、一定の利用者が見込めるのであればこれは長く続いていく傾向なのでは?と思います。

    お客様の数が少なくなったから、どんなサービスで新規のお客様を開拓するか、幼稚園の経営にも、マーケティングの要素があるんだなと感じた出来事でした。

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    コイについて考える

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  • コイは日本人にとっては馴染みの深い魚で、見たことがないという方はまずいないのではないでしょうか。
    鯉こくなど食材として使われることもありますし、観賞用の品種であるニシキゴイが公園の池などで飼われていることも多いです。

    ただし、現在日本の川や池などで見られるコイは外来種、もしくは在来種と外来種の交雑種です。
    元々日本にも在来種のコイがいました。しかし、海外から持ち込まれた外来種のコイが放流され、今では純粋な在来種のコイはごく一部の水域にしか残っていません。

    さて、日本でも環境問題が取りざたされるようになって久しく、様々な形で環境保護活動が行われています。
    それ自体は良いことなのですが、間違った形での活動が行われてしまうこともあります。その一つがコイの放流です。
    コイは雑食性で、昆虫、小魚、水草など様々なものを食べます。悪食と言ってもいいでしょう。つまり、元々コイがいなかった場所に放流することは、却って環境を破壊することになりかねないのです。

    ブラックバスやブルーギル、あるいはミシシッピアカミミガメなどは「放流してはいけない外来種」であるという認識が根付いてきていると思います。
    ですが、コイに関しては先程も言った通り昔から日本人が親しんできた魚なだけに、「そこらへんの川に放しても構わない」という意識の方も多いのではないでしょうか。
    真に環境を守るためには、こういった意識の改革が必要だと思います。

    そして、悪いのは放流する人間であり、決してコイが悪いわけではないということも忘れてはいけないと思います。

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    「卑怯なコウモリ」から得られる教訓

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  • イソップ童話をご存知でしょうか。古代ギリシア人のアイソーポスによって書かれたと言われている寓話集です。
    様々な教訓を得ることができ、皆さんの中にも子供の頃読んだという方も多いのではないでしょうか。

    イソップ童話の中でも有名な話に、「卑怯なコウモリ」があります。鳥と獣が戦争を起こした時に、コウモリは両方にいい顔をしたため信用をされなくなり、戦争が終わった後には居場所を失って夜にだけ活動するようになったという話です。
    「卑怯なコウモリ」から得られる教訓は、裏切りを繰り返すような者はやがて信用を失うということですね。
    どっちつかずの態度をとる人間のことを「コウモリ野郎」と言ったりすることもあります。

    しかし実は、この話にはもう一つの教訓が隠されています。
    元はと言えば、獣と鳥が戦争を起こしたのが元凶なわけです。コウモリが獣と鳥の双方に諂ったのは、戦火の中で生き抜くために仕方なくやったこととも考えられるのではないでしょうか。
    自分たちで戦争を始めておきながら、和解後にはコウモリをのけ者にした獣と鳥たちこそ本当の卑怯者なのかもしれません。
    争いが起きた時、巻き添えで犠牲になるのは弱い者だということを忘れてはいけないと思います。

    ちなみに、現実のコウモリは哺乳類なので鳥ではなく獣の仲間です。しかも、全哺乳類の中でも約4分の1を占めるほど種数も多いのです。
    しかし、昔の人にとっては獣とも鳥ともつかない不思議な生き物だったのでしょう。

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    安全のABC

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  • 建設業界でよく表題として扱われる言葉の中に「安全のABC」という言葉があります。

    Aとは「当たり前のことを」。
    Bとは「ぼんやりとせずに」。
    Cは「ちゃんとやる」、または、「しっかりとやる」。
    というように表現するようです。

    Aの当たり前のことというのは、誰の目にも明らかなこと、当然のことを指します。

    Bのぼんやりとせずにの意味することは、集中して、他の考え事をせずに。

    Cのちゃんとやる、しっかりとやるとは、手順を省略したり、横着をしない、ルールを守るといった部分となります。

    この安全のABCを守ることでヒューマンエラーを起因とした怪我や事故を未然に防がことができます。安全というのは特別な対策をとれば確保できるものではなく、一人一人がしっかりと意識を持って行動することが肝要だということのようです。

    この安全のABCを実生活に当てはめてみると、電車を利用する際には駅に入りホームを通行します。
    駅のホームを歩行する際には線路側の端を歩くよりホームの中央付近の通路を通行したほうが安全だとわかります。
    これがAの部分です。

    通行する際には黄色い線の内側を通行するよう場内アナウンスが耳に入ります。これを考え事をしたり、ぼーっとしながら歩いていたりするとアナウンスが耳に入らなかったり、聞こえていても黄色い線を超えてしまっていたりするケースもあり得ると思います。これを防ぐのがBの部分です。

    歩行中に歩きスマホをしながらホームから落ちて怪我をしたというニュースを耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、これは、自分は大丈夫、という意識や、これくらい平気だろう、という意識からくる「ルールの逸脱」といえます。
    ちゃんとやる、しっかりとやる・守ることでこうした不安全な行動を律する想いがCの部分の意味するところと言えるでしょう。

    この考え方はどの業界でも通ずる部分があると考えられ、また、安全だけでなく、クレームトラブル関係の防止やコンプライアンスに関しても同じような考え方が出来ます。

    皆さんもやるべきことをやるべき姿勢でしっかりと履行し、高いパフォーマンスを発揮することができるよう心がけて頂ければと思います。

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    企業の一体感を育むもの

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  • 戦後の日本経済を牽引し、日本を世界有数の経済大国に押し上げた企業群の代表の一つ、トヨタ自動車株式会社は、バルブ崩壊以後、経済低迷の長期化、日本経済の主役交代など経済界の激変の中で、今もなお日本を代表する世界的優良企業のその座に揺るぎはありません。

    トヨタのこの強さはトヨタ独特の「土着性」に起因すると、トヨタで働いた経験を持つある作家がいっています。

    トヨタの本社は愛知県豊田市。
    政界との繋がりや世界的な経済活動に有利である東京に拠点を移す事無く、企業の発祥地に拘る理由は、労使は勿論のこと関連企業を含む組織全体の一体感を重要視する経営思想にあります。

    この一体感は企業発祥から受け継がれた伝統が基礎になる、とトヨタは考えるのです。
    モノづくりのスペシャリスト養成学校であるトヨタ工業学園では、トヨタのDNAを伝える為に、トヨタの源流である創始・豊田佐吉から始まるその歴史を先ず勉強します。
    モノづくりの中核になるトヨタ社員の一体感を育むのが目的です。

    それ程に企業の一体感を大切にするあるエピソードがあります。
    初代社長・豊田利三郎と二代目社長・豊田喜一郎の50回忌での昼食会。
    約100人の参列者の席順の最前列が、血の繋がらない関連企業の代表だったのです。次にトヨタの経営者グループで、豊田家の人々は末席でした。

    創業家だからといって、無暗には決して前へは出ない。
    トヨタの企業グループ全体の一体感を大切にする精神がここに現れています。

    企業一丸などのセリフは往々にして謳われますが、口先だけのスローガンでない本当の意味での一体感とは、こういう所に見えるものです。

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    読み聞かせというツール

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  • 絵本の読み聞かせは子育てをしている人、また子供に接する機会が多い人は経験しているのではと思います。

    その絵本の読み聞かせですが、幼児期の人格形成に大きな役割を担っていると言われおり、今や、産まれて間もない新生児や胎児に読み聞かせをすることも有効なのだとか。

    フレデリック大王の実験をご存知でしょうか。
    触れ合いをせずに赤ちゃんを育てるという実験が、修道院でなされたのです。
    赤ちゃんが修道士を見ても、目を合わせない。
    笑いかけても、笑い返さない。
    結果は、実験が終わる前に赤ちゃんが死亡してしまったそうです。

    子供にせがまれて絵本を読むとき、私たちはいつもではしないような、オーバーアクションであったり、声に抑揚をつけてみたり、絵本の中の登場人物になってみたりして、子供が楽しんでくれるよう読んでいませんか。

    それは、直接的なスキンシップはありませんが、子供たちとの触れ合いになっていると思います。
    自分の声色で驚いたり笑ったり、その子供を見て読み聞かせている大人もまた笑顔になったり、わざと怖い顔になってみたりというコミュニケーションが生まれます。

    大人になってからも、是非、機会があれば読み聞かせてもらって下さい。
    小学校や幼稚園の行事で、何度か絵本の朗読をしてもらったことがあるのですが、大人でもやはり楽しいのです。
    安心して感情移入ができるというか、心地よいのです。

    そして普段では見落としがちなことや、忘れていたことなどを「あ、そうだった」と思い出させてくれるのです。

    身近に子供がいない人は、なかなか絵本に触れる機会もないかもしれません。
    もし本を手に取る機会がありましたら、ついでにパッケージで選んでもタイトルで選んでもなんでもいいので、一冊手に取って読んでみてください。
    きっと初心に返れると思います。

    何が大事なことなのかを見極める力を、過去にも未来にも必要とされる場面は沢山あります。
    シンプルにそして、初心に返る、大事なことではないかと思います。
    その一つのツールとして、またコミュニケーションのツールとしても、絵本の読み聞かせを活用していくのも手だなと思っています。

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    他人の子を見てて驚いたこと

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  • 道ですれ違ったり、電車やバスに乗った時に小さな子供を連れた夫婦をよく見かけると思います。
    子供がいきなりぐずりだしてしまった時の親の対応というのはよく見ると様々で、時には驚かされるものもあります。

    私がよく見かける子供をあやす手段のひとつに、お菓子を与えるというものがあります。
    これは効果てきめんです。何故なら小さな子供にとってお菓子はごちそうだからです。
    でもよく考えてみると、乳歯が生えるか生えないかの年齢の子供にアメやスナック菓子を与えるのはどうなのだろうかと思ってしまう。
    あとは、その場は良いとしても、夕食の時間になっても子供はお腹いっぱいでご飯が食べられないのではないかということです。
    親としては電車の中で騒がれる方が困るとは思いますが、お菓子を与える作戦が通用しない時にはどうするんだろうかと気になります。

    もう一つ、私が驚いた親の対応として、ひたすら無視をするというものがありました。
    子供が泣きながら親を呼ぶのに対し、親はスマホをいじって子供を見ないのです。
    あれは見ていて心が痛みました。
    確かにわがままを言いだしたのは子供かもしれません。
    しかし子供とは大人のように行動はしてくれないのは十分知っているはずです。
    まして電車のように目的地に着くまで待つ乗り物に乗れば、子供はまだ着かないのかとぐずりだすものです。

    安易にお菓子を与えて子供を黙らせる親も、子供の訴えを無視している親も、その行動の一つひとつが子供の人格形成に影響を及ぼしていることをわかっていただきたいものです。

    と、他人に対してならいくらでも言えるし言いたいところではありますが、冷静に考えると、やはり子育ての理想を押し付けたところで、通用しない家庭はあるのが現実だと思い知らされます。

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    人は石ではありません

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  • 新卒社員の採用を青田買いなんて言うこともあります。
    まだ、収穫の時期に至らない、青々とした田んぼの稲を買うからです。

    あるいは新卒社員、新入社員を「ダイヤの原石」なんて言いかたもします。
    原石ですから、宝石としてどんなふうに仕上がるかはわかりません。
    大きな指輪となってエンゲージリングになるかもしれません。
    貴人の胸元を飾るペンダントになるかもしれません。
    その他大勢と取り混ぜて、安物のアクセサリになるかもしれません。それはわかりません。

    原石から商品になるまでには、カットしたり、研磨したりという工程があります。
    同様に、新人も学生気分を切り落とすために、厳しく指導されるかもしれませんし、ほめてほめそやして磨きをかけられるケースもあるでしょう。
    叱られたり、おだてられたりするのは、原石をカットしたり磨いたりする工程に似ています。

    しかし、新入社員は人間です。石ではありません。
    人と石の大きなちがいは、人は自分で自分を磨くことができるという点です。
    人間の場合、その輝きは外からだけでなく、内側からも発しています。先輩や上司に磨かれるだけでなく、自分で自分を輝かせることを忘れてはいけません。

    自分自身を輝かせるためには、外からだけでなく、内側からも磨きをかけること。
    外からの磨きはやがて曇ってしまうこともあるでしょうが、内側から発する輝きは、底光りして決して失われません。
    このことを忘れないように、自分を磨くことに努めたいと思います。

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    本当は怖いグリム童話について

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  • いわゆる「おとぎ話」というものは、親や大人によって子どもの眠る前に読み聞かせてあげるための虚構の世界を描いた物語のことを指していることが一般的となっています。だからこそ、子供の興味を引くような、またフィクションの虚構の世界観に満ち溢れたストーリーが展開されることも至極当然だと思われています。

    ところが、じつはおとぎ話の代表格であるグリム童話であっても、原作とは違った結末になるよう、話が書き換えられていたのだそうです。
    グリム童話とはヤーコプ・ルートヴィヒ・カルル・グリムとヴィルヘルム・カール・グリムからなるグリム兄弟によって編集された童話集ですが、たとえば、有名なところで次のような原作とその後の書き換えによる違いがあると言われています。

    赤ずきんちゃんは、狼に食べられてしまったままで、救出されることはなかったとされていますし、シンデレラの話では、足のサイズがガラスの靴に合わなかった継母たちは、自分がお姫様だと主張できなかったと落ち着くことになりますが、原作のなかでは、継母らは、自らの足の指先を切断してまでも、血をにじませながらも、ガラスの靴を履いてみせようとしたといった話になっているのだそうです。

    また、それだけでなく、白雪姫は毒リンゴを食べて生き返ることはなかったとされていますし、そもそも白雪姫に嫉妬して彼女を亡き者にしてしまうよう命じたのは、実の母親であったとされています。

    これらは子どもが耳にすることで幼い記憶のなかに残忍性のようなものを芽生えさせる害悪となる可能性があるとして意図的に書き換えられたとされていますが、現代社会での猟奇的な事件を目の当たりにしていると、一概にはそうとも言えないのではないかと言う気がしてしまうのもまた事実です。

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    犬を2匹飼っていると、平等に可愛がる大切さがわかります

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  • 我が家には室内で飼う小型犬が2匹います。4歳と2歳ですが、4歳の犬は5か月から我が家にいて、2歳の犬は2か月から我が家にいます。4歳の犬は家族みんなで可愛がり、しつけもしました。今でもおやつなどは『待て!』というと『よし!』というまでずっと待っています。そして『お手』など、色々教えたことはしっかりできます。

    そうしているうちに2匹目が欲しくなったわけで、2匹目の子犬が来た時は、初めの犬は大人になっていたので、皆子犬ばかり可愛がっていました。その時初めの犬の顔を見ると、可愛がられる子犬を羨ましそうに見ているように見えました。ここはまずいと思い、両方とも可愛がるようにしました。

    しかし、2か月から飼いはじめた子犬は甘えん坊で、大人の犬や、家族にもすぐじゃれつき、どちらかというと子犬中心にどうしてもなってしまいました。大人の犬は、じっと我慢して、可愛がられる子犬を見ていました。

    そして子犬が1歳半を迎えた頃、性格が変わり始めました。人間でいう思春期あたりです。大人の犬を可愛がると、嫉妬して怒りだし、大人の犬に噛みつくようになったのです。大人の犬は、子犬だった犬が向かって来ても、あまり相手にせず、争いごとを避けるように場所を移動します。可愛がり過ぎた子犬は飼い主たちは、自分のものだと思っているようでした。

    この光景を見ていると、犬も人間同様、嫉妬する生き物だと分かりました。人間よりは我慢する程度は低いと思います。それでも我慢する犬もいれば、感情をむき出しにする犬もいるわけです。

    家庭内での子供への接し方や、会社内での同僚や部下への接し方も平等さが問われるものだと痛感しました。犬を参考にする事は良くない事かもしれませんが、犬を見て思い知らされた感がありました。この一件以来、家庭内、職場での接し方に最新の注意を払うようになりました。

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    子どもへの教育を参考にした仕事の効率的な学び方とは

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  •  子どもを教育する難しさは親なら誰でも痛感することですが、1ついえるのは子どもの探求心や好奇心を生かした教育というのはとても良いですよね。

     子どもは好奇心旺盛で、どんなことにも前向きに興味を持つ傾向があります。今の子どもはどこかドライでいろいろなことに興味を向けられないのではないか、そんなふうに危惧する親もいておかしくないでしょう。でも、それは的を射ていない先入観だと思いますよ。

     たとえば、子どもに田植えの体験授業をさせる小学校がありますが、田植えをしている時の子どもは本当に楽しそうにしています。田植えですから泥んこになるのですが、それを嫌がるどころかむしろおもしろがっていたりします。もちろん男の子も女の子も関係ありません。

     この体験を通して学べるのは、普段食べているお米がどうやって作られるのかという過程ですよね。これを貴重な体験を通して学べるのですから、良い教育なのは間違いないといえるでしょう。頭で覚えるよりも体を動かして覚える、とても素敵な授業だと思います。

     そして、この教育方法は仕事にも活かせるのではないでしょうか?大人になれば子どもの時のような好奇心はさすがにないかもしれませんが、体験を通して学ぶことの重要性は大きいです。

     座学研修や講義のような一方的な研修は、もしかしたら効率があまり良くないのかもしれません。それよりも体験を通して仕事を学ぶ形が、理想的だといえるでしょう。子どもへの教育をモデルにし、ぜひとも参考にしていきたいですね。

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    無理にでも自分の不満を探して成長していく姿勢が大切

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  • 人は不満を持つとその不満をいかにして解消できるか?について考えようとします。それが原動力となり、成長を果たすのです。つまり、不満は人にとってプラスの力を持つということになります。

    電通の元社長である吉田秀雄は「現状に不満を持つべきであり、現状に不満がない人間は使い物にならない」と口にしたことがあります。不満がないということは現状に一応満足しているということになります。ただ、それは別の言い方をすれば成長が止まっている状況なのです。

    したがって、不満を持つようなことが癖になっているような人、自分に足りないところはどこなのか?常に探すことができるような人は常に成長を続けられる可能性があります。それだけビジネスマンとしても魅力的で、会社としても重宝する人材になると言えるのです。

    だからこそ、仮に現状にある程度満足していても、その状況で自分に足りないところはないか?不満に感じる部分はないか?と、無理やりにでも探すということを私はしていきたいと思います。

    テストで100点をとってもそれに満足するのではなく、今回はたまたま自分の得意分野が出ただけだと考えるなど、慢心することなく、次もまた100点をとれるような姿勢でいることが重要ということです。

    どんなにいい結果を出しても、次はそれをさらに超えられるような結果を出せるように頑張る気持ちで私はこれからを過ごしていきたいと思いますが、これは全ての社員にとっても持っておいてほしい気持ちです。自分の成長を止めることなく、常に上を目指す気持ちを持って仕事をしていきましょう。

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    子どもへの教育を通して逆に学ばせられること

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  • 子どもよりも大人のほうが知識豊富で思考力に優れている、これは常識的な考え方ですよね。大人のほうが学校を卒業しているのですから、多少の差はあれどおおむねその通りでしょう。

    ただ、子どもの教育に携わっている人なら、すべての面において子どもよりも大人が優れているわけではないと気付いているのではないでしょうか?

    それを痛感させられるのが、子どもの自由な発想力を知った時です。大人では考えつかないようなことを、子どもはポンとあっという間に思いつきます。その証拠に、なぞなぞのような柔軟な発想を求められるクイズは、子どものほうが得意だったりしますよね。

    大人になってしまうと「そんなことできるわけがない」「常識的に無理」という考え方が頭にしみついてしまっているため、とても融通の利かない考え方をしていることがあります。知識を十分蓄えていたとしても、その分発想力に乏しくなっているのですからちょっと悲しいです。

    子どものような自由な発想力を持つことは簡単ではありませんが、子どもとよく接したり、脳トレをしたりなどが思考力の柔軟さを鍛えるのには良いかもしれません。仕事でも自由な発想、斬新な発想を求められるシチュエーションは少なくありませんので、その力をトレーニングしておいて損はないでしょう。

    ですので、子どもの発想力や自由な考え方を見習い、それが活かせるようになれば仕事で活躍の機会が増えるのではないでしょうか。子どもの教育を通して、逆に学ぶことは多いです。

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    手段と目的をきちんと意識していかないといけない

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  • 仕事をするうえで手段と目的を履き違えてはいけないという部分を知らないといけません。問題なのは手段が目的になってしまっているという場合で、これは無意識のうちにみんながやってしまっている可能性があることになります。

    例えば、今の時代は英語が話せないといけないと思ったとしましょう。その人は英語を勉強するかもしれません。しかし、勉強して英語が得意になった結果、どんな未来が待っているのか?を想像しておかないといけないのです。

    英語を勉強するというのは、通常ならば自分の仕事において有利になって、結果として会社の利益につながり、自分の収入が上がるなどのメリットをもたらすための手段です。しかし、英語を勉強して何も変わらなかったら、その手段が目的になってしまっていると言えるのです。

    手段は目的を達成するためのものであって、手段それ自体が目的ではないのです。だから、英語を勉強しても自分の仕事に何の影響もないようなケースでは、英語ができるようになったという自己満足で終わってしまいます。これは手段が目的になってしまっているケースで、もはや時間と労力の無駄とも評価できます。

    このケースにおいては英語を勉強する必要なんかないのに、英語を勉強した方が良いんだろうなという部分に影響されてしまっているだけと言えます。英語を勉強した方が良いという自分の思いを具現化するためだけに勉強をしてしまっているのです。

    だから、ある手段を講じるときには、何の目的のためにやるのか?その結果、どんな良いことがあるのか?をきちんと想像して、そこまで理解をしてから取り組まないといけないと思います。そして、私自身はそういった意識を常に持ちながら仕事をし、努力をする人間でありたいと思っているのです。

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    いくつになっても挑戦する人は、輝くことができます

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  • 今日は、歳を取ってからも新しいことに挑戦して、日本を変える仕事をした人の話をします。

    伊能忠敬は、江戸時代の商人でした。元々この人は有能な人材であることを見込まれて伊能家に婿入りすると、わずか17歳で伊能家の家督を継ぎました。当時の伊能家は当主が不在の中に事業を縮小していたところです。忠敬が当主となってからは、伊能家の復興が急務となりました。若い当主だから、初めの頃は苦労の連続でしたが、幸いにも復興に成功しました。

    忠敬は、息子が成人に達した頃に隠居を考えました。その時は既に50歳になっていました。隠居後にしたのが星の勉強です。天文学者として名高い高橋至時に弟子入りすると、熱心に勉強を重ねていました。髙橋至時の方が19歳も若かったが、気にせずに教わっていました。

    髙橋至時は、暦をきちんと作る仕事をしていました。それには正確な地球の大きさをする必要があります。江戸から蝦夷地までの正確な距離がわかれば、地球の大きさがわかる。そのために蝦夷地に行く必要がある。そのついでに蝦夷地の地図を作ってしまおうと計画した。そこで始めて地図を作ることに繋がります。伊能忠敬にその仕事が与えられたのです。

    伊能忠敬が蝦夷地の測量をすることになったのは、55歳の時でした。普通なら、蝦夷地に行くことがない年齢です。江戸時代なら死んでいてもおかしくない年齢だった。それでも忠敬は蝦夷地の測量を成し遂げました。

    その仕事が非常に高評価だった。それで新しく測量の仕事が与えられると、日本各地に出かけて、72歳まで歩き続けて、ついに全国の測量を完成してしまう。その地図は、忠敬の死後に完成して、明治時代まで精度の高い地図として知られています。

    年齢が嵩めば、新しいことに挑戦するのが嫌になります。難しいことであれば、なかなか難しいです。それを忠敬のように50歳を超えても新しい物に挑戦した人も居ます。それを見ていたら、皆さんはまだまだ若いです。だから頭も柔らかくて難しいことでも勉強することができます。

    これから業務が変わって新しい仕事をする人も出てきますが。まだまだ現役だと思って頑張っていくなら、きっと新しいことでも成功できます。諦めずに挑戦していけば、それができます。

    新しいことに挑戦するのは大変だと思いますが、伊能忠敬のように挑戦してみて下さい。

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    コーチングと業務について

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  • さて、巷にはコーチングについての考え方や本があふれています。やれ、部下に言うことを聞かせるだの、説得の方法だの、さまざまな情報があふれていて、一体何が適切なのか分からなくなってしまう、ということもあるのではないでしょうか。

    もちろん、私たちは度々人を指導しなくてはならないような事態に対応する必要があります。そんな時、手引き書のようなものがあれば良いと思うことがあるのは、当然のことです。

    しかしながら、生兵法は大怪我の元と言いますように、適当に本で読んだ知識を実行しようとして、かえって失敗をしてしまうということもあります。

    私自身、コーチングの本に頼りすぎて、結局実生活には活かせなかったという経験があります。私の失敗は、本の中の教えを学ぶことに熱心でも、目の前の人たちにしっかりと向き合っていなかったということに起因していると思います。

    実際の人間というものは、本の中に書いてあるよりも、もっと複雑で、意外な受け取り方をするものです。

    そこで、私たちは、周りの人と協力しながら部下を教育していくという姿勢が必要なのです。

    たとえば、私が厳しいことを言いすぎて、部下がへこんでしまった場合、他の人がその部下をフォローしてくれれば、その人は立ち直ることができるかもしれません。

    あるいは、他の場面で部下が落ち込んでいるならば、私がフォローできることもあるのかもしれません。

    人間関係は、さまざまな人との相互関係により形成されていくものです。ひとりで考え込まずに、周りと協力して参りましょう。

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    新人が最初から才能を発揮する可能性を無視してはいけない

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  •  栴檀は双葉より芳しという故事があります。優れている人は、小さい頃からその片鱗を見せているという意味です。この言葉を会社での仕事に当てはめるなら、入社した時から新人社員はすでに才能を発揮しているということになるでしょうか。

     人の成長に対する先入観から、新人の時はまだおぼつかなくて頼りないと思い込んでしまいがちです。実際に多くの場合がそうなのですから、そう決めつけてしまうのもしかたありません。しかし、新人だからといって、すべての新人が必ず未熟だとは限りません。少し教えればもう立派な戦力になって活躍してくれる、そんな会社にとって大きな力になるであろう人材がいるかもしれないのです。

     それは、プロ野球でいうなら高卒のドラフト1位ルーキーがデビュー戦から活躍するようなものでしょう。また、プロサッカーのJリーグでも、デビュー日にいきなり点を決めることがありますよね。ですから、将来大きな活躍をしそうな人は、まだデビューしたばかりでも経験の差を埋めてしまうぐらい高い能力を有している場合が多いです。

     もしも新人教育を担当するなら、この可能性を完全に捨て去ってはいけませんよね。もっとやれるのに先入観にとらわれたがために新人を不当に過小評価してしまったら、それこそ成長の芽を摘んでしまいかねません。それは会社にとって間違いなく損失以外の何でもありませんし、教育の役目をまったく果たしていません。ですので、栴檀は双葉より芳しの言葉を忘れないようにしたいです。

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    怒られることをモチベーションに変えて仕事をすることの重要性

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  • 仕事をしているとどうしてもミスをすることがあります。それは絶対に避けられることではないのでしょうがないのですが、ミスをすると上司などに怒られることもあるでしょう。基本的に怒られるということは気分が良いものではありません。

    したがって、怒られるとどうしても嫌な気分になり、逆に仕事にやる気が出なくなるということも考えられます。しかし、怒っている側としては何のために怒っているのか?ということを考えておいた方が良いです。

    怒っている側としては、ミスを責めるという部分がないわけではないかもしれませんが、結局は期待している部分があるということになると思います。期待をしていない人はそもそも放っておいてもう仕事を任せないということになるのです。

    したがって、怒られてもその後きちんと仕事をさせてもらえる状況ならば、それは期待しているがゆえの行動と捉えた方が良いと思うのです。これからちゃんと伸びてほしい、自社の優秀ない社員になってほしいと思っていると思うのです。

    だから、私は怒られることがあっても、それによって気分を落とさないようにしています。気分が落ちると仕事にやる気が出なくなってしまうので、それ自体を避けるという意味合いもあります。

    しかし、怒られることに関しては上司などが評価してくれているという捉え方をして、ポジティブに明るく捉えようと考えているのです。その方が結果的にミスをして怒られた後の仕事にも精を出せるのではないか?と考えています。

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    何故あの人は運が良いのか

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  • 大体の人が共通して思い描く運が良い人とは、お金持ちであること、美男美女に生まれたこと、好きなことをして生きていること、ではないだろうか。
    どれも努力だけではどうにもならない要素ばかり、つまり運が大きく絡むことばかりだ。

    では運の良し悪しは何で決まるのだろうか、それもまた運である。
    運を決めるのが運とはおかしいと思いますが、ではあなたが母親の胎内から出る時に運が良い人になりたいと願えばその通りになるのだろうか、答えはならないのである。
    逆に親の方が願ったところで同じである。

    つまり、世の中は大変不平等である。
    しかし、世の中は不平等だと嘆くのではなく、仮に運が悪く不幸な思いをしているのなら、その現状をどう捉えるかで自分を良くも悪くも変えることが出来る。

    例えば自分の机の引き出しから500円玉が出てきたとします。
    運良くお金持ちになった人からしたらはした金と喜ぶのは難しいと思いますが、運悪くお金がない人として生まれた人は大喜びで財布に入れるでしょう。
    この場合、お金持ちは幸せな気分になれませんが、お金がない人はとても幸せになれます。

    運が悪い人の人生も捨てたものではありません。
    運が悪い人は小さなことで喜びを感じることが出来ます。
    総合的に判断すれば、運良くお金持ちになった人の方が金銭面では幸せになれるでしょう。
    しかし、そこで運の悪い人が運の良い人を見て羨ましいと思ってはいけません。
    そういった羨みは自分を惨めにするだけなので、運が悪くお金が無い人は置かれた状況で自分が目一杯幸せをするように努力をするべきである。
    本気で幸せになりたいと願うなら、努力しているその瞬間さえも幸せに感じるはずです。

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    仕事におけるモチベーションを高めるには小さい目標をたくさんクリアすることが重要

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  • 仕事において目標を立てて、それに向かって取り組むという人も多くいますが、そのときの目標の立て方1つでモチベーションは大きく変わります。そして、それ以降の仕事に対する姿勢のようなものも変わってくるので、ここはちゃんと考えておいた方が良いのです。

    特に気を付けないといけないのは高すぎる目標を設定するということです。目標が高いのは悪いことばかりではないものの、目標が高すぎるとそれを達成できる機会がとても少なくなってしまいます。

    目標を達成できる機会が少ないと、目標を超えてやろうという思いを持つのが難しくなってしまうということが言えます。すると、仕事に対するモチベーションが下がってしまうことがあるのです。そうなってしまうと非常に困ります。

    やる気がなくなってくるので、目標を立てるときには小さな目標にして、それを達成していくという気持ちが重要なのです。達成が容易な目標を作り、それを何度も何度も達成していく、少しずつ高い目標にシフトしていくという気持ちでいると良いと思います。

    仕事をするうえでのモチベーションを維持するためには小さな目標を立ててそれをクリアしていき、やる気を高めながら、また別の目標を立ててそれもまたクリアしていくというプロセスをとると良いと思います。

    仕事にやる気を出すためには目標の立て方が重要であり、達成できる見込みが高いものを目標にすることが重要というのは覚えておきましょう。私はこれから目標の立て方に気を遣って、そこからきちんと考える姿勢でいたいと思います。目標が仕事の成果も変えるということを認識して取り組んでいきたいと考えています。

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