一億一心っていう言葉を知ってますか?

  • 追加
  • 「一億一心」という言葉を知っていますか? 何となく解かる様な気もしますが、最近ではあまり聞かないと思います。

    これは戦時中にもてはやされた言葉で、天皇の大御心に沿って戦争を完遂し鬼畜米英を撃滅する為に、日本国中の国民全てが心を一つにしようと呼び掛けられた言葉です。
    安倍政権の一億総活躍社会や、かつて流行った一億総白痴化、一億総中流などはこの言葉の流れで出て来たものです。

    あの戦争を経験した人はこの言葉を聞くと大抵、眉をひそめるでしょう。
    何故なら戦争や軍部を批判したり平和を賛美すると即憲兵に連行されて命の保証も無かった時代で、全ての人間が皆同じ方向を向いて、思想、言論、行動も全て同じでなければいけなかった、その恐ろしさ、おぞましさ、不自然さを痛感しているからでしょう。

    よく似た言葉で今でも使われる言葉に、「○○一丸となって」という言葉があります。「全社一丸となって」「全校一丸となって」「全国民が一丸となって」などと言いますが、「一億一心」と大差ない意味です。
    ただ違うのは、一億一心が強制された面が大きいのに比べ、「一丸」は呼び掛ける者と応じる者が互いに自発的な思いから結果的に同じ意識になる、という事だと思います。

    「一丸」は企業活動にとっては大切な要素の一つです。企業活動はトップから社員の末端まで同じ方向に進まなければ成り立ちません。即ち社員が一丸となる事は企業のパワーを一方向に集中するという事で、そうでなければ企業の発展は覚束ないものになります。社員一丸はそういう意味で必要不可欠なのです。

    しかし似て非なるものとして、上位下達でしか動こうとしない硬直した不活発な組織があります。一見、皆が同じ方向に向いて進んでいるのですが、自発的意思が無いという点で、これはまさに一億一心なのです。

    社員の自由闊達な発想やそれに伴う活発な議論が、企業パワーを生みだす源である事も今や疑う余地はありません。
    ある意味、最初は混沌とした状態が続くかもしれませんが、議論を尽くした結果、一定方向に収斂された状態が社員一丸なのだと思います。自発的な意思の基に方向づけられたパワーこそが真の企業パワーになり得るのではないでしょうか。

    目次に戻る⬆


    音楽はいつも心の支え

  • 追加
  • 人生で大切なものはたくさんありますが、今日は、音楽というものに触れていきたいと思います。

    私にとって、音楽は子供のころから支えとなっており、当時、テレビやラジオで視聴してきた音楽番組がきっかけで、音楽を聴くことが好きになりました。
    音楽番組やCD・ライブDVDなどさまざまですが、音楽は、すごく大切な存在になっています。

    様々なジャンルやアーティストがありますが、私が中学生の頃から最も熱くなれたものは「B’z」で、今でも活躍しているベテランアーティストです。
    当初はダンスロックですが、ハードロック、ポップなサウンド、心に残るバラードなど多彩な楽曲があり、いつの時代にも欠かせない存在です。

    また、高校生になってからは、ディスコミュージックを主体にしたダンスミュージックなどの聴くようになったり、洋楽を聴くことも増えてきました。
    ボン・ジョヴィやブライアン・アダムスなど、ロックサウンドにも魅力を感じ、ますます音楽が好きになりました。

    勉強中の合間や、何か作業をしたりするときに、必ずと言っていいほど音楽を聴き続けています。
    雨の日に気持ちが沈むときには、少し落ち着いた曲を聴いたり、コーヒータイムを寛ぎたいときはジャズやピアノ楽曲のものを選んだりして、その時の雰囲気に合わせて、聞く音楽を変えたりする楽しみもあります。
    元気がでる曲、作業でもモチベーションを高める曲、疲れたときは癒されるような静かな音楽、友達と一緒に聴くと楽しめる曲など、選ぶ楽しみもあります。

    ドライブや旅行で楽しみたいとき、最近では、会社の仕事でもFMラジオを聴く機会も増えて、音楽の大切さ、私にとって必要不可欠なものとなっており、これからも好きな音楽を聴き続けていきたい、そう思っています。

    目次に戻る⬆


    因果応報:当たり前だけれども深い言葉

  • 追加
  • 瀬戸内寂聴さんをご存知でしょうか。テレビに出て元気に講話をなさっている天台宗の尼僧です。
    岩手県二戸市の天台時の復興を軌道に乗せたことでも知られています。
    現在は京都府に在住し、今年で95歳になられました。
    小説家として数々の作品を執筆し、特に源氏物語の現代語訳はとても読みやすいものです。その寂聴氏が因果応報について次のように語っています。

    私たちの生きているこの世で起きることにはすべて原因がある、
    これが「因」です。
    起こった結果が「果」です。

    因果応報というように、
    必ず結果は来るのです。

    原因があって結果があり、結果が次の原因となる。そうして連綿と物事がつながっていく。
    そう考えるならば、現在の行動は過去の「果」であり、未来の「因」といえるでしょう。

    今日誰かに対して行った行為や、言った言葉はその人の未来に対して大きな影響を与え、
    場合によっては次の成功につながったり、悪評の原因となったりもするのです。

    人間は生きているうえで様々なことを行っていますが、無意識的に、刹那的に行ってしまうことも少なくありません。
    もしかしたら、何かをしてしまった直後に、自分のしたことを忘却の彼方に追いやっているかもしれません。

    ですが、もし、一日の終わりに自分自身のその日の行いを振り返って反省すべきことがあれば、翌日から改める
    そういった行動を身につけたらどうなるでしょう。昨日のよくないことを反省し、翌日の行動に生かせるかもしれません。
    行き過ぎて、過去にとらわれてしまうのもよくないですが、無反省に日々を積み重ねることはそれ以上によくないのでは
    ないでしょうか。

    今日は昨日と明日につながっている。そういう意識も生きる上で大切だといえるでしょう。

    目次に戻る⬆


    苦手意識が人を伸ばす

  • 追加
  • 苦手意識が人を伸ばす。そんな風に感じることはありませんか。

    今自分が任されている仕事について、少し振り返ってみましょう。例えば学生の頃、今やっている仕事をどのようにイメージしていたでしょうか? 当時は思ってもみなかったような業務、あるいは「自分には絶対向いていない」と鼻から決めつけていたような業務ではないでしょうか。

    中には、昔から得意だった分野で今なお仕事を続けているという恵まれた方もおられるでしょう。しかし大抵の場合、苦労しながら慣れない業務に悪戦苦闘し、少しずつ力を身につけてきたのだと思います。

    そして、たとえ後者であっても、今や会社の中でしっかりと役割を果たし、社会人として十分りっぱな働きをしているのです。

    得意・不得意に関する若い頃の先入観がさほど意味のないものであったか、あるいは「苦手なことだからこそガムシャラに取り組んで、その分スキルを磨くことができた」と振り返る人もいるのではないでしょうか。

    タレントの萩本欽一さんは、若い頃から司会に苦手意識があったそうです。事務所に「司会の仕事だけは入れてくれるな」と注文していたそうですが、いざ蓋を開けてみると、来た仕事のほとんどが司会業。観念して引き受けていたら、いつのまにかそれが、自分のキャリアの骨格をなす重要な仕事になったと言います。

    「うさぎとかめ」ではないですが、得意なことには人はあぐらをかいて、あまり努力をしないものなのかもしれません。逆に不得意なことには、人はその強烈な苦手意識をバネに懸命に頑張り、本当に確かな力を身につけることができるのかもしれません。

    苦手意識が人を伸ばす。苦手なことへのチャレンジで、新しい自分が見つかるかもしれませんね。

    目次に戻る⬆


    『遊戯三昧(ゆげざんまい)』の精神でいこう

  • 追加
  • 『遊戯三昧』とは禅の教科書である『無門関(むもんかん)』に出てくる禅語です。そのままの意味は「我を忘れて一心に遊ぶ」となるのですが、ここで言う遊びとはレクリエーションだけのことではなく、生きることすべてを指しています。生きることのあれやこれやを全部、仏や菩薩のような気持ちで、ひたすら自在に楽しんで無心に行うこと、と解釈してみました。

    仕事をしていく中で、苦手な業務や苦手なクライアントなど、「嫌だな」と思うことは、言いだしたらきりがありませんね。ですが、何かに無心に集中しているとき、悩みやつらさは忘れてしまっていた、という経験はありませんか?悩みや迷いといった心のとらわればかりに意識が集中すると、自在な力が発揮できません。

    スキルやポテンシャルをフルに発揮できる精神状態が『遊戯三昧』だと思います。仏教には空(くう)という言葉がありますが、これは何もないということではなく、「とらわれることがない」ないのです。「ミスをしたらどうしよう」とか「評価が下がったらどうしよう」という思考は、とらわれなんですね。

    仏や菩薩のような悟りの境地で仕事をする、なんてことは一朝一夕にできることではありませんが、「どんなことも無心に楽しんで力いっぱいやってみよう」、このくらいのモティベーションなら、今日からでもできそうです。壁にぶつかったときも『遊戯三昧』の精神なら、新しいアイディアを思いつく余裕が出てきます。

    そしていつの日か、自分に言い聞かせることも忘れて『遊戯三昧』が自然体になることを目指して、日々の仕事に打ち込んでいきたいと思っております。

    目次に戻る⬆


    「ありがとう」と言われるようになるために大切なこと

  • 追加
  • 最近、私自身、考えさせられることが一つあります。
    それは、周りから「ありがとう」と言われるようなことをしているかどうかについてです。

    「ありがとう」と言われるようになるためには、周りの人たちから、何かしてほしいこと、困ったときに手助けすることなど、要望に応じたことをするだけではなく、「こうすると相手が喜ぶだろう」と常に考えながら行動して、自分の見返りを考えないで行う気持ちが大切であると痛感しています。

    ビジネスにおいては、サービス面で、何を望んでいるのか、どうすればより良く改善できるのかなどを考え、提案しながら、双方ともに良い方向に動き出すことも大切です。

    例えば、商品の営業活動において、これを無料で添付すれば、より大切に製品をご使用頂ける・愛用してもらえることもあったり、これを繰り返すと、「この人に頼めば大丈夫」という信頼関係が芽生えることもあります。

    また、プライベートにおいても、ちょっとした気配りや、周囲の人たちを労い、高額なものでなくても、なにかプレゼントを用意するという気持ちも大切だし、家事の手伝いなども立派なことで、自分から進んで行う気持ちが大切であると、最近になって思うようになりました。

    私自身、「ありがとう」と言われることはあまり多くないと思いますが、皆さんは毎日の生活のなかで、「ありがとう」と言われる場面はいくつあるか、また、どうすれば言われるようになるのかを常に考えながら、ともに協力し合い、頑張っていきたいと考えています。

    目次に戻る⬆


    知識に投資することは、常に最大の利益をもたらす

  • 追加
  • 「知識に投資することは、常に最大の利益をもたらす」とはアメリカ独立戦争時の政治家・外交官であり、凧を用いた実験で雷が電気であることを明らかにした人物です。
    子供は、よく「こんな勉強、意味あるの」といった問いを大人に投げかけることがあります。
    こういったことを聞かれて返答に窮した経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
    この言葉の前後を紹介すると、
     もし、その人の頭の中が空っぽなら、その人は何も手に入れることができない。
     なぜなら、誰もその人から得られるものがないからだ。こうしてみると、人生において最大の投資法というのは、
     自分の勉強への投資であることがわかるだろう。そこに最高の利子を生む源があるからだ。
    仕事をしていくうえでとても重要なものの一つに「人脈」があります。
    自分自身が「空っぽ」な人は相手に自分と付き合うことのメリットがない会話をしてしまうかもしれません。
    それでは、一向に「人脈」は広がりません。
    自分自身の価値を高めるためには、自分で知識を増やし、多くの物事を知らねばなりません。
    たしかに、現代はインターネットの発達により単純な知識は努力なしに手に入れることができるようになりました。
    しかし、自ら知識を増やし関連知識を結び付けてネットワーク化するためには、能動的に知識を得て、実行に移し、体得せねばなりません。
    知識が簡単に手に入る時代だからこそ、知識を得る時間に投資をすることで「教養」という利子を得るべきではないでしょうか。

    目次に戻る⬆


    機械のように働かないために。

  • 追加
  • 「人の振り見て我が振り直せ」
    これは「他人の行動を目にしたとき、その人の良いところは真似をし悪いところは自分に置き換えて自身の行動を正していく」という意味として使います。
    もちろん、その人の悪いところを注意してもいいですが、余計な争いは生みたくありませんからね。
    さて、この言葉ですが、誰もが聞いたことがありますし、言われたこともあるでしょう。
    例えば、身だしなみ。
    心理学の有名な法則がありますね。
    視覚情報、つまり人は最初の見た目でその人を判断するそうです。
    正直、恐ろしいです。
    話し方やその内容も判断の基準らしいですね。
    本当かどうか、専門的なことはこの際置いておくとしても、心当たりありませんか。
    他人は自分の写し鏡と思うと背筋が伸びます。
    服装、表情、行動、言動、最後に内容。
    真面目に硬くなれとは言わないです。
    常識的なことですが、自分が嫌なことを人にしていませんか。
    逆に、されて嬉しいことをしていますか。
    今、楽しんでいますか。
    休憩時間は仕事のことを忘れていますか。
    きれいごとを言うつもりはありません。
    学生気分は捨てています。
    何年前とかは聞かないでください。
    当たり前ですが、お金を得るため、生活するために仕事をしています。
    しかし、無になって働けとはだれも言わないでしょう。
    それは、機械がやってくれます。
    機械のように同じ作業を繰り返していたとしても、無にはならないでください。
    生意気言いましたが、もう一度言います。
    「人の振り見て我が振り直せ」
    これをキーワードに今日は仕事をしたいと思います。
    手始めに、あとでトイレで自分の顔を見てきます。
    ありがとうございました。

    目次に戻る⬆


    人間は性格の束である

  • 追加
  • 「人間は性格の束である」。そんな言葉を聞いたことがないでしょうか。だれでも、人間関係で悩んだり自分の性格に不満を持ったりすることがあります。「人間は性格の束である」という言葉には、一体どのような意味があるのでしょうか。
    皆さんは血液型占いを信じますか? A型は神経質、B型はマイペース、O型はおおらか。そんな風に言われると、なんだかまさにその通りと思ってしまいますよね。ですが、一度立ち止まってよく考えてみましょう。神経質なA型の人は、1年365日、いついかなる時でも神経質なのでしょうか。友達といても恋人といても家族といても商談相手といても、常に変わらず神経質であり続けるのでしょうか。
    業務報告書の記入に関しては人一倍神経質なA型の彼が、家に帰れば足の踏み場もないほど散らかった部屋で平気で生活しているということは普通にあります。恋愛ではいつもマイペースぶりを発揮するB型の彼女が、職場では管理職として社員たちの一挙一動に細かく目を光らせているなんていうことも普通です。
    どうやら私たちは、自分自身の性格についてすら、何か大きな見誤りをしているようです。あの悪名高きヒトラーですら、飼っていた愛犬の前では、おそらくはたんなる優しいおじさんにすぎなかったことでしょう。
    人間は性格の束である。自分も周りの人たちもみな、時には互いに矛盾するような様々な性格を持っています。「あの人は大雑把だ」「なんて打算的な人だ」などと決めつけてはいませんか。あるいは自分について「生まれつき行動力がないから」とか「独創性なんてまるでない」などと、可能性を自ら狭めるような根拠のない自己規定をしてはいませんか。
    性格の束である自分。そして同じく、性格の束である他人。そういう目で世の中を眺めれば、人間関係にもまた良い変化が訪れるのではないでしょうか。

    目次に戻る⬆


    諦めろ!諦めるな!

  • 追加
  • 「諦めろ!諦めるな!」とは元プロテニスプレーヤー・松岡修造さんの言葉の一つです。

    一見矛盾しているようにも見えるフレーズですが、この言葉にはしっかりとした意味があります。

    「諦めろ!」とは自分の力では絶対に解決できない、自分の意志だけでは状況が変わらない物事を意味します。
    「諦めるな!」は自分の少しの努力次第では問題が解決できそうな物事を意味します。

    仕事で置き換えれると、自分自身の力だけでは達成できない困難な問題が出てくることがあると思います。
    今日中に終えなければならない仕事があります。しかし、どうしても外部の作業完了が必要になりその先の作業は週明けでないと進めることができません。

    その時には諦めざるを得なくなります。

    しかし、自分の少しの努力で解決できる方法があるならば諦めずに解決策を探ります。
    例えば上司・同僚に相談する。お客様に連絡を入れる、などです。

    我々の生活には、全てに「相手」があることで成り立っているからです。
    松岡修造さんも対戦相手や仲間、指導者といった「相手」がいたからこそ、この言葉を見つけたのだと思われます。

    仕事においても、プライベートにおいても必然的にこういった「諦めるしかない」「諦めてはいけない」状況は溢れていると思います。
    そういった時には家族、同僚、後輩、上司、お客様など「相手」がいます。自分の意志では自由に動かすことのできない存在です。

    そういった相手を認めて、生きていくことが最も重要ではないかと思っております。

    目次に戻る⬆


    上司よりも同僚、あるいは部下を大切に

  • 追加
  • 上司より同僚、あるいは部下。何のことだと思いますか? 仕事で大切にすべき相手のことです。

    もちろん、上司をないがしろにしていいというわけではありません。そんなことはそもそもできないのが会社という組織でしょう。だから、上司との関係は、だれだって気を遣いながら、何とかうまく舵取りしているはずなんです。

    問題は、同僚や部下との関係ですね。皆さん、上司の意向や虫の居所ばかり気にして、同僚や部下とのコミュニケーションがお粗末になってはいないでしょうか。

    タレントの勝俣州和さんは、デビュー当時、師匠である萩本欽一さんからこんなアドバイスをされたそうです。「仲良くするなら、業界のベテランプロデューサーとかじゃなくて、若手のディレクターやアシスタントディレクターのような連中と仲良くしろ」と。

    アドバイスから十数年経って、勝俣さんはそのアドバイスの意味を理解したそうです。師匠の命令どおり、若手のテレビマンと親しく付き合うことをしてきて、そのつながりがのちに、テレビタレントとしての勝俣さんに活躍の場を与えてくれたのでした。

    業界の重鎮に取り入れば、その場は都合がよいかもしれない。でも将来にわたって末永く活躍しようと思うなら、未来を担う若い人材の方に顔を向けて、そこでの人脈づくりに励めと、天才コメディアンの師匠は若き日の勝俣さんにアドバイスしたんですね。

    上司よりも同僚、部下。最初に申し上げた言葉の意味がおわかりいただけたのではないでしょうか。いま力のある者に好かれ、取り入ることも、時には必要でしょう。でも、結局人も仕事も、本質的に未来志向なんですね。未来に向かって、今、何をしておくべきかを考えるなら、同僚や部下とのコミュニケーションの大切さが身に染みてわかってくるのではないでしょうか。

    最後にもう一度言いますが、上司をないがしろにしてよいなどとは、決して申し上げておりません(笑)。お忘れなきよう。

    目次に戻る⬆


    一見(いちげん)さんお断りの真の目的をしっていますか?

  • 追加
  • 京都の花街のお茶屋さんは一見(いちげん)さんお断り、とはよく聞く話です。
    私は、なんてお高くとまった客商売なんだろうと、あまり良いイメージはありませんでした。もっと言えば、上級の客しか利用できない如何にも高級な店にする事で高価な利用料をとっている、本音で言ってしまうとぼったくりの店なんだ、位にしか見ていませんでした。

    でもこれは無知な私の誠に失礼な思い込みでした。お茶屋の女将さん、御免なさい。
    元々は、最高のおもてなしを長年追求してきた結果出来上がった、接客の極意とも言えるお店の一つの形態だったです。

    例えば、ある客が来店する時、お茶屋の女将は料理の仕出し屋にその客の嫌いな食べ物を除き、その分、好みの食べ物を入れる様に具体的に料理の内容まで指図します。
    また、客本人への気配りばかりか、その客の妻の誕生日にはそれとなく誕生祝の品を用意したり、受験前の子供に天神さんのお守りを渡したりするのです。

    それ程の行き届いたおもてなしを考えると、突然訪れた一見さんでは対応が出来ないという訳です。それは接待の仕方という表面の形を重んじているのではありません。奥底から滲み出る、客と女将との信頼の体現なのです。
    だから支払いをその場でお茶屋が請求する様な無粋な事はしません。タクシー代や、他店の二次会の支払いまでお茶屋が立て替えする事もあります。この後払いの信用売りも互いの信頼の証です。

    この話を知った時、私は驚き、心底納得し、浅はかな我が見識を恥ずかしく思いました。物事には表面だけでは思いもよらない奥底の真実があるのですね。
    人は見かけによらないもの、事の表面(おもてづら)に騙されるな、などとは分かっちゃいるけどややもすればそんな風に流されている自分があります。見識を高めて人や物事の本筋を見分ける眼力を持ちたいものです。

    目次に戻る⬆


    岸見一郎さんの人生を変える勇気を読んで思ったこと。

  • 追加
  • 岸見一郎さんの本の中に、「依存的な人は、他の人が自分に従っている限りにおいて上機嫌で、願いを聞いてくれないと不機嫌になり、場合によっては怒りを爆発させる。怒らないための方法は、自分で出来ることは自分でやり、人に援助を求めないこと。自分はできる限り、他の人に援助を求めない。他方、他の人が援助を求めてくれば可能な限り援助する。」という言葉があります。私はその言葉を読んでハッとさせられました。いつのまにか、自分自身が、依存的な人間になってしまった事に、気づいたからです。自分の思い通りにならないと怒ってしまう自分に気づいたからです。この言葉を読んでからは、可能な限り他の人に援助を求めず、他の人から援助を求められた時は、応えるようにしています。

    また、「嫉妬が起こる理由は、自分が愛していると思っている人をモノと見なしているから。嫉妬が起こる気持ちから解放されるためには、自信を持つしかない。」という言葉が心に残っています。私もつい上手くいっている人を見ると、嫉妬してしまうので、もっと自分に自信を持ち、人に嫉妬しないように今頑張っています。

    さらに、「特定の人しか愛せない人は、本当にはその人のことも愛せていない。誰をも愛せる人だけが特定の人をも愛することができる。」という言葉も印象的でした。私は今まで、一人の人を一途に思い続ける事が大切と思っていましたが、そうではなく、愛せる人は、全ての人を愛せるという事を知ったので、全ての人を愛せるように、今頑張っているところです。

    目次に戻る⬆


    小林正観さんの日々の暮らしを楽にするの本を読んで。

  • 追加
  • 今はもう亡くなられましたが、小林正観さんの書かれた本の中の言葉に、「やる羽目になったことに対し、文句を言わずに取り組むことが大切。どんな職種や職場にも合わせられる人のほうが、人生が楽になる。自分がやる羽目になり与えられたことを、ただひたすら淡々とやり続けていくということが大切。頼まれごとがきたら、基本的には全部引き受けることが大切。」という言葉があります。今まで私は、他の人と比べて、少しでも楽しよう楽しようという気持ちが強く、ズボラなことばかりしてきました。しかしそうではなく、自分に起きる事を素直に受け入れ、常に前向きな気持ちで、淡々と生きる事が大切という事を学びました。まだまだ、素直に受け入れられない時はありますが、少しずつ受け入れられる自分になっていければと思っています。

    また、「笑うことにより、老化を止める三十六本の神経が刺激される。その反対に、眉間にシワを寄せた瞬間に老化物質が出てしまう。」という言葉も書かれています。つい私は、何か困った事があったりすると、眉間にすぐにシワを寄せてしまいますが、それをやめて、笑顔を意識して、常に笑顔でいようと思っています。

    そして、「我欲、執着、こだわり、を取り除くのに、最良・最短の方法がトイレ掃除」と書かれていて、トイレ掃除を楽しく行う人は、神や宇宙も味方になり、楽しい現象が起こっていく。という言葉を残されていて、それが真実かどうかは、まだ全然分かりませんが、まずは、自分の家のトイレ掃除を毎日していこうと思います。

    目次に戻る⬆


    デール・カーネギーの対人力を読んで思った事。

  • 追加
  • 今はもう亡くなられておられますが、デール・カーネギーの言葉に、「人を批判したり非難したり、小言を言ったりはどんな愚か者にもできる。しかし人を理解し、ゆるすことには人格と自制心がいる。」という言葉があります。私はつい、人を批判したり非難したり、小言を言ったりしてしまいます。しかし、自分の人格を高める為には、人を批判したり非難したりするのではなく、人を理解し、ゆるす事をしないといけない事を、この言葉を読んで学びました。しかし、まだまだ実践する事が出来ていませんので、これから実践していきたいと思います。

    また、「反対意見を述べる際は礼儀正しく、誠実でなければならない。相手の役に立ちたいという前向きな姿勢がなければならない。」という言葉にも、深く考えさせられました。つい私は、自分の感情で、反対意見を相手にぶつけてしまいますが、反対意見こそ、礼儀正しく、誠実に、相手の役に立ちたいという気持ちで、伝えないといけない事を学びました。

    さらに、「この世に正直や、真心や、誠意や思いやりにまさるものはない。」という言葉も、強く印象に残っています。つい私は、上手く言い逃れが出来れば、ラッキーという不純な気持ちに負けてしまう時がありますが、この正直や、真心や、誠実や、思いやりにまさるものはないと言う言葉は、自分に強い勇気を奮い起こさせてくれます。つい易きに流れてしまう自分にとって、この言葉は、最後のストッパーになります。このデール・カーネギーの言葉を胸に、これからも一生懸命仕事と向き合っていきます。

    目次に戻る⬆


    ウォルトディズニーの言葉を読んで思ったこと。

  • 追加
  • 今はもう亡くなっておられるウォルトディズニーの言葉に、「ディズニーの成功を支えている最も重要な要素は、遊び心と好奇心。遊び心とは、笑うことを愛する、というアピールをする気持ち。好奇心とは、常に人間の心にあって、想像力によって、刺激されて生まれたもの。」という言葉があります。

    私はこの言葉を本を読んでいる時に見つけて、ドキッとしました。今自分は、このウォルトディズニーが言っているように、遊び心と好奇心を持って、日々を生きているのだろうか、仕事をしているのだろうか、と思ったからです。

    確かに仕事に対して、遊び心を持って行うという事は難しいとは思います。特に笑うことを愛するという言葉は、考えれば考える程、どうすれば良いのか分からなくなります。しかし、ふと素直に考えてみると、仕事を重く重く考え過ぎずに、仕事の良い面を見るようにして、楽しむ素直さというものを大切にしたら良いのかなと、最近思うようになりました。確かに言うは易し、行うは難しですが、私はそのように思うようにしようと最近はしています。そして、ウォルトディズニーが、言っておられるように、自分の心にあって刺激されれば生まれる好奇心を、刺激し続けたいと思います。

    そして、これもウォルトディズニーの言葉ですが、「今までの実績に満足してあぐらをかいているような者がいたら、今すぐやめたほうがいい。」という言葉があります。私は、この遊び心と好奇心をしっかりと持ち続け、自分のした事に満足する事なく、どんな事に対しても挑戦し続けたいと思います。

    目次に戻る⬆


    足元を見るようで恐縮ですが

  • 追加
  • 靴の話しをしたいと思います。皆さんは自分の靴の扱いに、どれくらい気を使っているでしょうか。

    さて、人の頭の中の状態や、心の中の状態は、無意識に外に表れるといいます。例えば、普段使っている机の上が整理整頓されているかや、余計な物が置かれていないかというのは、その人の頭の中の状態を表しているとよく言われます。

    また、嘘をついたり隠し事をしている人の動作というのは、本人はうまくごまかしているつもりでも、無意識のうちにちょっとした仕草や表情に表れるといいます。

    これらの事と同じように、ある人の精神状態といいますか、気持ちの落ち着き具合というのは、その人の靴のはき方や扱いに表れるのではないかと私は思っています。

    家に帰って玄関で靴を脱いだときに、きちんと靴を揃えて置ける人というのは、それだけ心に余裕やゆとりのある人だといえるでしょう。また、自分の靴を定期的に磨いて綺麗にしている人というのは、自己啓発などで自分を磨くことを怠らない人だといっても差し支えないでしょう。

    反対に、自分の靴のかかとを踏んで歩いていても平気な人というのは、自分や相手の気持ちの具合というのに無頓着な人だといわれても、仕方ないような気がします。私は前にアルバイトで働いていた時にふと気付いたのですが、会社で責任あるポジションに就いている人ほど、どんな時でも靴をきちんと履いています。逆に、時給いくらのアルバイト従業員ほど、かかとを踏んだままで歩いている人が多かったです。

    というわけで、どうも最近ストレスがたまってイラついてるなぁとか、むしゃくしゃした気分がなかなか収まらないなぁという人は、手始めに自分の靴をきちんと揃えて置くことを心掛けたり、久しぶりに靴を丁寧に磨いてみる、というのはいかがでしょうか。きっと何かしら、気持ちの変化が出てくるのではないかと思います。

    目次に戻る⬆


    裸の王様

  • 追加
  • 裸の王様のお話は誰もが良く知っています。
    組織のリーダーが常に心掛けなければならない訓話ですが、ある世界的な企業の最高経営責任者、所謂C.E.Oだった人物が語ったお話を紹介します。

    C.E.Oに就任した直後のある会議で、提出された二つの案について数人の部下達と議論していた時の事でした。
    両案の説明を聞いていて内心彼は一方の案が気に入ったのでした。しかし部下達が全うにディスカッション出来る様に彼は何も発言はしなかったので、部下達の議論がその案を押す方向に行き決定したのは、偏向のない状態だったと思っていたそうです。

    ところが後にその案の説明を聞いていた時の自分の表情が吾知らぬ間に満足気だった事を人伝に聞きました。
    賢明な彼は、自分のそんな表情を見た部下たちがC.E.Oである自分の気持ちを忖度した結果、会議の流れがそちらに流れてしまったのだと気づいたのですが、もし気付かない場合、これが王様が裸になってしまう始まりなのです。

    忖度をされる事は人にとって気持ちの良いことです。そして自分の言う事が正しいと周りの誰もが賛同してくれるのは、自分が優秀だからなのだと思った時、完全に裸の王様になっているのです。そうすると人間は増長し傲慢になり、駄目なリーダーに成り下がってしまうと彼は言います。

    これは、大会社のトップであろうと一部局のリーダーであろうと同じ事です。そしてやり手と言われる人ほどこの危険性は大きくなります。
    常に自分自身を振り返り、こんな坂を転げ落ちているのではないかを確かめていなくてはなりません。

    目次に戻る⬆


    自分の常識は世間の常識ではないかもしれません

  • 追加
  • 食事の仕方など生活習慣の関して今まで自分が当たり前だと思っていた事が、実は自分や自分の家庭内と人様のそれとは全く違っていて驚いたという経験はありませんか? 

    友達同士の会話の中で、例えばある食べ物をウスターソースで食べるか、醤油で食べるかが話題になって「ウッソー!」なんて事が少なからずあったのではないでしょうか。私は新婚当時、練り物のてんぷらをソースか醤油かで妻と論争になった経験があります。

    会社内の仕事に関しても同様の食い違いは大小様々起こり得ます。
    仕事の運び方や作業の手順などについて同僚と微妙に違っていて問題になる事もありますし、考え方や心構えなど目に見る事の出来ない事柄に関してはさらに食い違いの可能性が高くなり、上司に叱責を受けた事のある方もおられるのではないでしょう。

    これが会社内と世間一般の社会の間になると、もっと大きな差が生じる事になります。
    その差が社会の許容範囲内に収まり、会社の個性や方針として受け入れられる間は良いのですが、それが一定以上に乖離した時、例えばユーザーニーズを捉え損なう事になって会社の業績に影を落とし、極限では社内理論のみで行われた会社活動が社会の倫理を外れ、法規を犯すものになるのです。

    私達は常に自己の思考や行動を顧みて、それが独りよがりなものでないかどうかを確認しながら、それぞれの立場に応じた仕事をしなければなりません。
    その為には周囲の人達や一般社会とのコミュニケーションを大切にし、何が本当に正しいのかを問い続ける必要があります。

    目次に戻る⬆


    さてさて「仕事」しなければなりませんが

  • 追加
  • おはようございます。

    唐突ではありますが、そもそもなんで「仕事」をしなければいけないかということを少し考えてみました。

    前提としてまず、人間誰しも出来るだけ楽して沢山の収入を得たいと思っている、と、いうことからスタートしてみましょう。

    例えばこんな笑い話があります。ある南の島へ総合商社のばりばりの営業マンが視察に来ました。現地の人はそれこそ仕事のペースはのんびりでお昼休みになればココナッツの木にハンモックを吊って長いお昼寝タイムとなります。営業マンは言いました、
    「君達はもう少し仕事の効率というものを考えなければダメだ」
    島の人は聞きました
    「効率的に仕事をこなしてどうなるというのだ。」
    「もちろんそうなれば会社の売り上げは上がり君達の給料も増える」
    「お金が沢山貰えたらどうなるのか。」
    「お金が沢山有れば君はここにココナッツの精製工場をたてるのだ。そして世界中にココナッツオイルを輸出して儲ける。そうすれば莫大な金が手に入ることになる。」
    「莫大なお金で何をするのだ。」
    「儲けた金でプール付きの豪邸を建てる。豪邸にはプールもある。そこで君らは優雅な時間を過ごすことが出来る。ワインでも飲みながらゆったりとハンモックにゆられて眠ることが出来る。」
    「そんな事なら、今、やってるよ。」

    当然、生きる糧を得るための仕事、という観点は人間という生き物である以上免れることは出来ないと思います。
    しかしながら上記の例で分かりますように、決して余剰なお金があったからといって何らかの生産的人生が生じてくるかとなると心もとなく思えます。

    そうであれば、いったい何で仕事をするという事柄に対してどうやって意味を持たせていけばよいのでしょうか。
    私の個人的な考えとなりますが、会社という組織は何らかのサービスや商品を生み出して対価を貰っておりますことを考えれば、その組織を優秀なものにつくりあげていく作業というのはかなり大きなモチベーションとなるのではないかと感じております。

    組織という形は有りますが、そこで働く人たちが力を合わせ、心を合わせ、何か一つの目標に向かって行くという道のりはとても感動的なものであり、お互いの思いやる心といったものはその形におさまりきれない大きなものだと思っております。

    まったく脈絡の無い話を最後まで聞いていただいてありがとうございます。
    自分自身少しでも皆様のお役にたっていけるよう精進を重ねてまいりたいと思っております。
    ありがとうございました。

    目次に戻る⬆


    関連ネタ & スポンサーリンク