ことわざ・故事ネタ Topics

継続は力なりを運動で痛感させられる

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  •  有名なことわざの1つに「継続は力なり」というものがありますが、これを痛感させられるのが運動習慣についてですね。私は程度に関係なく毎日何かしらの運動をするように努力しているのですが、まさに継続は力なりなんですよ。

     仕事で疲れていても基礎的な筋トレはあえて休まないようにしているのですが、そうすると結構な負荷をかけても辛いとはあまり思わないです。それは毎日継続して運動を続けているからで、体がそれに慣れているからなのでしょう。

     しかし、たとえば1日でもサボったりすれば、それだけでサボった次の日の運動は本当にきつく感じるんですよね。継続をやめてしまったらこれほどの反動があるのかと、痛感せずにはいられないですよ。

     その反対に休まず運動を続けていたら、長い時間運動をすることも苦には思わなくなってきます。体が運動に耐えられるようになっていますから、よほどハードな運動でなければ息切れして動けなくなってしまうというようなことは普通ありません。そんな時は継続は力なりなんだなあとしみじみ思いますし、運動することが体力向上につながっていると実感できて達成感がありますね。

     普段の仕事でも、そういう面があると思います。最初にやり始めた時や休み明けでしなければいけない仕事は大変に感じますが、続けていればそうでもなくなりますよね。ですから、たとえ短い時間や少ない作業でも良いので、いろいろな仕事をこまめにやり続けたほうが成果が出やすいと私は考えていますよ。

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    1日の始まりが仕事を変えていく

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  • 皆さまは朝、どんなことを考えながら起きたでしょうか。また、どのような言葉を発しましたか?

    私は最近、朝からプラス思考な言葉を言うようにしています。具体的には、今日は素晴らしい一日になる、といったことを宣言するのです。

    また、窓を開けて、部屋に外の空気を取り込むようにしています。一年の計は元旦にありと言いますが、一日の始まりもまた、同じく大切なものではないでしょうか。

    以前の私は、朝はギリギリまで寝ており、起きたら起きたで、ああ仕事に行きたくないだの、面倒くさいだの、ネガティヴない言葉をつぶやいておりました。

    その結果、本当にネガティヴな状況が訪れ、ますます嫌な気分になるものでした。しかし、朝の過ごし方を変えることで、物事の見方が変わってきたように感じております。

    電車の中でイライラすることがあっても、ツイてないとかムカつくとか思うのではなく、このマイナスな出来事があったからこそ、プラスの出来事が起こるのだと考えるようにしたのです。

    物事は自分の見方で良くも悪くもなります。どうせなら、前向きに捉えたいものです。

    そのためにも、一日の始まりに、その日に対して期待してあげるというのは大切なのではないでしょうか。人それぞれ、気分の良い過ごし方があると思いますから、ぜひ自分なりのご機嫌な朝を過ごしてください。

    そして、業務において困ったことやヘコむことがあっての、そこから成長して明るい未来を掴むのだと思って欲しいものです。

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    高校時代に担任から聞いていた言葉とは

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  • 「禍福は糾える縄の如し」という言葉を聞いた方は多いと思います。私がこの言葉を知ったのは高校時代の担任からです。

    この言葉は最初聞いただけではピンときませんでしたが、説明を聞いているうちに良く分りました。

    「糾える(あざなえる)」とは、ねじって縄とか糸を編むことで、この言葉の意味は、表と裏が交互に出てきて捻じれている縄のように、人生では良いことと悪い事が順番に起こるのだということのようです。

    担任はまだ年若い私たち生徒のこれからの人生を案じて、人生訓を説かれたのだと感じました。

    この時同時に「人間塞翁が馬」という言葉も同じ意味だよと話されました。

    城塞に住む老人の話で何やら難しいことを言っているなと思っていましたが、人生は予測がつかないものだと言っていましたのは印象に残っています。

    今はこのように仕事についているのですが、その意味は少しずつ、分り始めたような気がしています。

    ミスをしたり批判されたりする事をしてしまうことはありますので、その時はじっと反省し、これから先良い事が待っていると言い聞かせています。

    担任はご自分の人生経験を振り返り、生徒たちにどうしても話して起きたかったに違いありません。

    今この場で「人生とはこういうもの」などと口はばったい事は言うつもりはありませんが、私の担任のその時の気持ちは今理解が出来ます。

    「先生ありがとう」という気持ちがこれからも沸いてこる事が有るかもしれません。

    長い人生何が起きるか分からないけれどいつでも希望を持ちましょうということですね。

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    初詣。あなたは何をお願いしますか?

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  • お正月、日本全国の神社やお寺には大勢の人が初詣に訪れます。
    皆さん、神様の前で柏手を打ち、仏様の前で合掌してそれぞれの願い事を神妙に祈願しています。

    普段は信心などに無関係な人もこの時だけは信心深そうには見えますが、辞典などでは信心とは神仏を信じる心であり、また神仏の加護を願って神仏を信ずる事と説明されていまので、百歩譲ってこれも信心の一つとしておきましょう。

    色々な宗教における信心の本当の意味についてはなかなか難解で私などには全く理解の外ですが、私なりの理解では信心は感謝なのだと思っています。
    だから私は初詣など神仏に詣でる時は、願い事はしません。
    今この時まで大過なく生きて来れた事、生活できている事、自分や家族が健康である事などについて、お陰様でという感謝を捧げる事にしています。

    人は自分の人生や暮らしの中での成功を、自分の手柄だと自画自賛しがちです。
    しかしその成功の原因を良く考えてみると、誰かの助けがあったり、タイミングが良かったり、環境が有利に変化したりと、自助努力ではない部分の要因が必ずある筈です。

    それらの事柄に対しての感謝は必要ないのでしょうか。そして感謝するとすれば、何に感謝するのでしょうか。
    例えば助けてくれた人でしょうか。勿論それは必要でしょう。
    でも人同士の感謝のやりとりでは、感謝しなかった時、される側には普通は不満が生じます。

    真の信心を持つ人は、感謝されなくても不満には思わないのです。最初から感謝など期待していないのです。
    逆に人の助けができた事を感謝するのです。

    感謝する対象が神なのか仏なのかは私には分かりませんが、人知を超えた何かに今ここに自分がある事を感謝する。
    それが信心なのではないかと思うのです。
    そうありたいものです。簡単ではありませんが・・。

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    笑う門には人来る

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  • 笑う門には福来るというのは、かなり有名な言葉なので皆さん耳にしたことがあると思います。
    一応改めて意味を確認すると、いつも笑顔で楽しく過ごしている人のもとには幸運が舞い込んでくるということです。

    では、なぜ笑う門には福が来るのでしょうか。
    神様や仏様が笑う人が好きだから、幸運をその人のところに送ってくださるのでしょうか。
    そのような考えも魅力的ですが、神様を持ち出さなくても別の角度からも説明できます。
    笑う人のところには人が集まってくるというのが、私なりの疑問に対する答えです。

    皆さんも経験あると思いますが、笑顔が素敵な人は初対面から信用することができますよね。
    そして、いつでも笑顔を絶やさず楽しそうにしている人とは、長く付き合っていこうという気にさせられます。
    笑顔はコミュニケーションにおける最大の武器になります。
    笑顔を絶やさない人の周りには、自然と人が集まってくるのです。
    私なりに言わせてもらえば、笑う門には人来るです。

    結局のところ、人が縁をつなぎ福を呼び込んでくれるのです。
    「あの営業マンはいつも笑顔で好感が持てるな。よし一度製品を買ってやるか。」
    「この会社の人はいつも笑顔で楽しそうに仕事をしているな。是非僕もこの会社で働きたいな。」
    「こっちがミスしたのにあの会社の人は笑顔で対応してくれたな。次もあそこで買い物しよう。」
    どうです、関わった人の笑顔によってビジネスのチャンスは広がっていくのです。
    ビジネスとは人とのつながりであり、つながりを作るのに笑顔ほど有効なものはありません。
    今日も笑顔で頑張ろうと思います。

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    腹八分目で頑張るということ

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  • 何事も腹八分目が良いというのはよく言われることですが、こと仕事になると、全力投球せよという風潮が多いです。

    しかしながら、常に全力投球をするというのは、かえって非効率だといえるのではないでしょうか。

    もう少し頑張れそうだな、と思うところでやめておく、それがどういう意味を持つのかというと、不測の事態に対応することができるというメリットがあるのです。

    いつも百パーセントの力を出し切っている、というのは聞こえは良いですが、それはつまり、その仕事以外の仕事はできない状態になっているということでもあります。
    しかしながら、業務というのは流動的な側面があり、いつ何があるかおかしくないのです。

    突然の顧客からの相談があるかもしれませんし、上司からやって欲しい仕事があると依頼を受けることもあるかもしれません。そんな時、自分がヘトヘトになって消耗していると、それらの用事ができないことがあるのです。

    チャンスの女神には後ろ髪がないと言われます。顧客からの相談や上司からの提案がきっかけになって、あとで大きなウェーブに繋がることもあるかもしれませんから、チャンスはつかめる時に掴んで置かなくてはいけないのめす。

    そのためには、不測の事態に備えておけるエネルギーは持っておいたほうがいいのです。

    私自身、そうした、2割の余裕でもって顧客の信頼を得、また、新しい仕事にチャレンジしようという気力も持ち続けられています。
    体験もふまえ、ぜひとも、余裕のあるスケジュール管理をしていきたいと思います。

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    いくつになっても挑戦する人は、輝くことができます

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  • 今日は、歳を取ってからも新しいことに挑戦して、日本を変える仕事をした人の話をします。

    伊能忠敬は、江戸時代の商人でした。元々この人は有能な人材であることを見込まれて伊能家に婿入りすると、わずか17歳で伊能家の家督を継ぎました。当時の伊能家は当主が不在の中に事業を縮小していたところです。忠敬が当主となってからは、伊能家の復興が急務となりました。若い当主だから、初めの頃は苦労の連続でしたが、幸いにも復興に成功しました。

    忠敬は、息子が成人に達した頃に隠居を考えました。その時は既に50歳になっていました。隠居後にしたのが星の勉強です。天文学者として名高い高橋至時に弟子入りすると、熱心に勉強を重ねていました。髙橋至時の方が19歳も若かったが、気にせずに教わっていました。

    髙橋至時は、暦をきちんと作る仕事をしていました。それには正確な地球の大きさをする必要があります。江戸から蝦夷地までの正確な距離がわかれば、地球の大きさがわかる。そのために蝦夷地に行く必要がある。そのついでに蝦夷地の地図を作ってしまおうと計画した。そこで始めて地図を作ることに繋がります。伊能忠敬にその仕事が与えられたのです。

    伊能忠敬が蝦夷地の測量をすることになったのは、55歳の時でした。普通なら、蝦夷地に行くことがない年齢です。江戸時代なら死んでいてもおかしくない年齢だった。それでも忠敬は蝦夷地の測量を成し遂げました。

    その仕事が非常に高評価だった。それで新しく測量の仕事が与えられると、日本各地に出かけて、72歳まで歩き続けて、ついに全国の測量を完成してしまう。その地図は、忠敬の死後に完成して、明治時代まで精度の高い地図として知られています。

    年齢が嵩めば、新しいことに挑戦するのが嫌になります。難しいことであれば、なかなか難しいです。それを忠敬のように50歳を超えても新しい物に挑戦した人も居ます。それを見ていたら、皆さんはまだまだ若いです。だから頭も柔らかくて難しいことでも勉強することができます。

    これから業務が変わって新しい仕事をする人も出てきますが。まだまだ現役だと思って頑張っていくなら、きっと新しいことでも成功できます。諦めずに挑戦していけば、それができます。

    新しいことに挑戦するのは大変だと思いますが、伊能忠敬のように挑戦してみて下さい。

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    コーチングと業務について

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  • さて、巷にはコーチングについての考え方や本があふれています。やれ、部下に言うことを聞かせるだの、説得の方法だの、さまざまな情報があふれていて、一体何が適切なのか分からなくなってしまう、ということもあるのではないでしょうか。

    もちろん、私たちは度々人を指導しなくてはならないような事態に対応する必要があります。そんな時、手引き書のようなものがあれば良いと思うことがあるのは、当然のことです。

    しかしながら、生兵法は大怪我の元と言いますように、適当に本で読んだ知識を実行しようとして、かえって失敗をしてしまうということもあります。

    私自身、コーチングの本に頼りすぎて、結局実生活には活かせなかったという経験があります。私の失敗は、本の中の教えを学ぶことに熱心でも、目の前の人たちにしっかりと向き合っていなかったということに起因していると思います。

    実際の人間というものは、本の中に書いてあるよりも、もっと複雑で、意外な受け取り方をするものです。

    そこで、私たちは、周りの人と協力しながら部下を教育していくという姿勢が必要なのです。

    たとえば、私が厳しいことを言いすぎて、部下がへこんでしまった場合、他の人がその部下をフォローしてくれれば、その人は立ち直ることができるかもしれません。

    あるいは、他の場面で部下が落ち込んでいるならば、私がフォローできることもあるのかもしれません。

    人間関係は、さまざまな人との相互関係により形成されていくものです。ひとりで考え込まずに、周りと協力して参りましょう。

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    新人が最初から才能を発揮する可能性を無視してはいけない

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  •  栴檀は双葉より芳しという故事があります。優れている人は、小さい頃からその片鱗を見せているという意味です。この言葉を会社での仕事に当てはめるなら、入社した時から新人社員はすでに才能を発揮しているということになるでしょうか。

     人の成長に対する先入観から、新人の時はまだおぼつかなくて頼りないと思い込んでしまいがちです。実際に多くの場合がそうなのですから、そう決めつけてしまうのもしかたありません。しかし、新人だからといって、すべての新人が必ず未熟だとは限りません。少し教えればもう立派な戦力になって活躍してくれる、そんな会社にとって大きな力になるであろう人材がいるかもしれないのです。

     それは、プロ野球でいうなら高卒のドラフト1位ルーキーがデビュー戦から活躍するようなものでしょう。また、プロサッカーのJリーグでも、デビュー日にいきなり点を決めることがありますよね。ですから、将来大きな活躍をしそうな人は、まだデビューしたばかりでも経験の差を埋めてしまうぐらい高い能力を有している場合が多いです。

     もしも新人教育を担当するなら、この可能性を完全に捨て去ってはいけませんよね。もっとやれるのに先入観にとらわれたがために新人を不当に過小評価してしまったら、それこそ成長の芽を摘んでしまいかねません。それは会社にとって間違いなく損失以外の何でもありませんし、教育の役目をまったく果たしていません。ですので、栴檀は双葉より芳しの言葉を忘れないようにしたいです。

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    嫁に食わせていいのかどうか、秋茄子のお話

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  • いわゆる「秋茄子は嫁に食わすな」といったことわざは広く一般的で、知られているところだとは思いますが、これには諸説があり、そのうちの正反対を言っている解説についてお話したいと思います。

    まず、秋茄子というものは、身体を冷やす効果があるためであるとする説です。

    この説によると、茄子という野菜自体が夏野菜の一種であるため、夏の暑さを乗り切るため身体に対して冷却効果があるとされていることに関係があります。

    すなわち、嫁である女性が、妊娠して出産するといった状況にあったときに、妊婦さんは身体を温めなければならないし、妊娠するのにも身体の冷えがよくないといったことから、なるべく元気な子宝に恵まれ、子孫繁栄を考えたときに、理にかなっているとするお話です。

    一方で、真逆の説としては、秋茄子というのは、その旬の時期である夏が終わりかけて、生育環境が厳しい中で育っており、水分が適度に抜けて甘みが増したものが多くなるため、味が絶品であり、大変美味しくなるので、そんなに垂涎の秋茄子を、他人である嫁に食べさせるなんて、もったいないといった説です。

    どちらかといえば、この説は、嫁姑問題でバトルが勃発しているようなご家庭を想定しているようにも思えなくありません。

    いずれにしても、ことわざや昔からの慣習には全く根拠のないものは存在しないように思いますが、美味しいものを適度に適量いただくのであれば、そこまで神経質にならなくても良いのではないでしょうか。

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    石の上にも三年という言葉と仕事について

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  • 石の上も三年とよく昔は言われました。しかし、私はそうは思いません。

    なぜかというと、私自身、さまざまな仕事を経験しながら成長してきたからです。その中には、三年たたずに辞めたこともあります。

    しかしながら、私は、三年たたずに辞めた経験が無駄であったとは決して思えないです。なぜかというと、この情報化社会において、必ずしも業務の把握に三年かかるものばかりだとはいえないからです。

    業務によっては、一年ほどで大体どんなことをする仕事なのか把握できる場合があります。そして、その場所が必ずしも自分が長くやっていきたい仕事ができる状況ではない場合、早めに新しい場所に移動することがチャンスを掴むことにつながることもあるのです。

    もちろん、皆さまに転職や退職を勧めているというわけではありません。しかしながら、三年という数字にこだわるあまり、自分の適正ではない仕事にしがみつくのは時間がもったいないでしょう。

    自分の適正は、自分だけではわかりにくいこともあります。周りの人達の意見にも真摯に耳を傾けて、自分を冷静に見極めなくてはなりません。

    そして、三年ルールはとりあえず忘れてしまってもいいですから、これぞと思うことがあれば、どんどんチャレンジしようという気概を持っていただきたいです。

    チャレンジしていく中で、これは自分が三年続けるに値するとわかったならば、そのときに自分で決めてがんばる、その心意気が大切であります。自己決定の意識が重要なのです。

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    飲食店での一幕を聞いて気付いた思考を転換させることのメリット

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  • 先日、友人からこんな話を聞きました。それは「飲食店でお目当てのメニューが売り切れで食べられないと分かった時、その飲食店から立ち去る勇気がない」という話です。お目当てのメニューがあると思って飲食店に入ったのにそれが提供できないとわかったら期待ハズレですので、確かにその飲食店から立ち去りたくなりますよね。

    でも、私はそれを聞いて「何かの縁だと思って他のメニューを注文すれば良いんじゃないの」と、切り返しました。飲食店では、しかたなく頼んだ他のメニューが案外美味しかったということが結構ありますよね。

    災い転じて福となすではありませんが、一見悪いように思えていたことが思わぬ幸運をもたらすことはわりとあります。また、飲食店に対するマナーという点でも、1度入店したらよっぽどのことがない限り出ないほうが良いと思います。店員さんとコミュニケーションを取りつつその場での食事を楽しむよう考え方を切り替えられれば、マイナスの感情は小さくなるでしょう。

    これは飲食店の例ですが、ビジネスでも事前の希望や予想の通りいかないことがザラにありますよね。計画が頓挫して右往左往するなんてことは、日常茶飯事です。問題はその局面に向き合った時の対応力、思考の転換ではないでしょうか?

    思考を上手に転換させることができれば、不利な立場からの形勢逆転も十分見込めます。思い通りにいかなかったらつい不満をこぼしたくもなりますが、そこからさらにもう一段階先を考えられるようなビジネスマンになっていきたいです。

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    他人を変えられなければ事は進まない

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  • 私はある人から、こういう事を言われたことがあります。
    「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」
    皆さん、この言葉を聞いてどう思うでしょうか。

    皆さんは「変わる」とか「変える」と言う言葉についてどういうイメージをお持ちでしょうか。
    一言で「変わる」とか「変える」とかいってもまずは皆さんお一人お一人自身にとって「いい方向」か「悪い方向」かの2種類がまず浮かぶと思います。

    例えば「自分を変える」と言う面においてならば、自分が成長する、これまで不可能だったことが可能になるなど「プラスの変化」と言えるものとその逆の自分が堕落したり人の道に外れるような「マイナスの変化」になってしまうことがあります。

    では「未来を変える」はどうでしょうか。これはむしろ難しくないかもしれません。「今の自分の生活や世の中の仕組みは本当にこれでいいのか」と言う疑問を常に持ち、「未来はこういうものだ」という固定観念を持たないで社会に向けて行動することが大事だと思います。

    3つ目の「過去を変える」はどうでしょう。これは不可能なことであり、やってはならないことです。自分の過去の過ちについてそれを否定したり、なかったことにするのは人間としてやってはいけないことです。社会に対してもそうです。社会の進歩と言うのは決してまっすぐに進むものではありません。時には間違った方向に進むこともあります。自分に対しても社会に対しても間違っていたことは素直に認め反省し、2度と同じ過ちを繰り返さないためにはどうするべきかを考えるのが人間の英知というものです。

    ここで私は指摘しておかなければならないことがあります。この日本という国は今から70年ほど前までは無残な戦争をしていました。戦争によって日本国民ばかりか周辺のアジア諸国多くの人達の命が失われました。
    ところが、この国にはこういった過去の戦争を美化し、そして日本だけが「一番」などといっている人達がいます。それは大きな間違いです。
    自分の国が絶対的に他の国よりも優れているなどという「優越思想」が戦争の元なのです。お互いの国の事情を理解し、どんな国とも、そしてどんな国の人達とも対等に付き合えるようにすることが無用な争いを防ぐ一番の方法です。

    最後に、「他人を変える」これが一番問題なのかもしれません。でもちょっと考えてみてください。世の中の進歩と言うのは人の心・意識に変化があるこそ進むものなのです。それは決してよい方向とは限りません。悪い方向かも知れません。でもやはり「他人を変える」ことが出来なければ社会は進歩しません。ですから冒頭に述べたある人が私に言った言葉の「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」の中では「他人」については間違いだと思っています。

    皆さん、どうお考えになりますでしょうか。
    私は「他人を変えることができなければ、世の中の事は進まない」と考えています。

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    どん底からの脱出 スキルアップの重要性

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  • 最近は見なくなりましたが、一昔前の小学校の校庭には二宮金次郎の像がおかれていたかもしれません。
    二宮金次郎、または二宮尊徳は江戸時代の人物です。学校にあった像の影響か、苦しい中でも勉強をする象徴として扱われていました。

    彼の人生を見てみると、経済的な苦労の連続だったことがわかります。
    幼いころに父は散財を重ね、天災のために田畑を損なって復旧のために借金をします。
    14の時には父が死に、16の時に母も失います。しかも再び洪水により田畑を失ってしまいました。

    ある年、田植えで余った稲を用水堀に植えて米一俵の収穫を得ます。
    畑仕事の合間に商家に奉公に出て商売のやり方や家計のやりくりを学びます。
    今風に言えば、副業をしてスキルを上げていったのです。

    復興のための元手を稼ぎ出した金次郎は実家の復興にとりかかります。
    さらには小田原藩の家老である服部家の財政再建を依頼され、5年で成し遂げます。
    数々のビジネスで成功した金次郎は経営コンサルタントとしても抜群の腕を発揮するのです。

    そして、その活躍はついに小田原藩主の耳に届きます。
    藩主は藩の飛び地の経営が悪化していたので金次郎に立て直しを命じたのです。
    ここで金次郎がやった再建策は報徳仕法とよばれます。

    熱心に働き、無駄遣いをせず、将来に向かって投資するというのが報徳仕法の中身です。
    今でも通用する普遍的な考えではないでしょうか。
    ただ貯蓄するだけではなく、自分のスキルアップに投資することはビジネスマンとして成功するのに不可欠です。
    再投資を繰り返すことで、自分という資産を成長させることがビジネスや人生の成功のカギだと金次郎の行動は教えてくれます。

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    鰻の調理に対する格言で気付いたこと

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  • 食への関心が高い人なら「串打ち3年、裂き8年、焼き一生」という言葉を耳にしたことがあるのではないでしょうか。これは、鰻の調理に関する格言です。どれも一人前になるのに長い時間がかかるのだとわかりますし、焼きに関しては一生追求しなければいけないというのですからとても奥が深い言葉ですよね。

    また、ことわざにも「石の上にも三年」というものがあるように、何事も極めたければ一朝一夕で何とかなるようなものではないと先人は伝えています。今はすぐに結果が求められる社会ですから、一人前になるまで待ってられないというケースが増えてきています。また、結果が出ないことですぐに失望してしまう若者も、珍しくないですよね。

    ですが、どんなことでもすぐにその道を究められるということはありません。長きに渡って研鑽を繰り返し、苦難を乗り越えたところにやっと結果がともなってきます。それまでには最低でも三年は我慢しないといけないのですから、今のスピード社会と対極にあるような考え方と言えるのかもしれないですね。

    ただ、長く続けていくことの素晴らしさは、誰もが実感していることでしょう。学生時代を含め少しでも継続的な努力をした人なら、先に挙げた言葉の重みがわかっているはずです。長く続けていれば、その続けた分だけは必ず力になります。それを信じられるかどうかが努力の源になっていきますし、長く続けることを諦めなければいつか日の目を見るという考え方を決して忘れないようにしたいです。

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    スポーツもビジネスも相手の研究をすることが大切

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  • テニスやバドミントンやサッカーなど対戦相手がいるスポーツは、相手のことをよく研究することが勝利のために必要ですよね。もしも相手のことをあまり研究することなくぶっつけ本番で対戦したら、どのようなプレイをするのかわからなくて苦戦し、翻弄されて負けてしまう可能性が高くなります。

    相手のことをしっかりと研究して手の内を知っていれば、慌てふためくようなことにはなりません。相手がどんなプレイをしてくるのかある程度わかっていれば対処のしようがありますので、戸惑うようなことはないでしょう。つまり、スポーツでは相手をいかに研究し尽くせるか、それが勝敗を分けるカギになることも珍しくありません。

    このスポーツにおける考え方は、そのままビジネスでも通用すると思いませんか。ビジネスにも、競合相手がいますよね。その競合相手がどのようなビジネスを展開するのかわかっていれば、手の打ちようがあります。ビジネスでは他よりも先にサービスや商品を提供ができれば、それだけで大きなアドバンテージになります。ですから、競合相手のことをよく研究することがとても大事ですよね。

    昔の言葉に「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というものがあります。相手のことを研究するのは、まさにこの言葉通りだといえるでしょう。そして、それをするかしないかで、最終的な結末は大きく変わるのです。スポーツでもビジネスでも、人あってのことです。ですから、相手の研究を、常に怠らないようにしていくべきですよね。

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    出会いの大切さを考えてみました。

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  • 世界の人口は推定ですが、74億7400万を超えています。
    日本人口は1億3000万人に足らず。そして例えば東京都では1400万人を少々切るのですが、あなたの住む市や町にはどれぐらいの人がいますか? 

    これ程沢山の人間が、今現在、同時間に自分と共に地球上の何処かで生きています。
    しかし、距離の問題で当たったり、行動の違いであったりなど様々な条件や理由によって、それらの人達のほとんどとは一生出会う事も無く互いに死んでいきます。
    敢えて注目して考える事がなければそれは至極当然の事で、何の不思議もありません。

    そして世界中の同時間に生きているこれらの人達の内で、出会った人達が勿論あります。
    毎日の生活の中で、例えば何処かの歩道上で前から来て自分の横を歩いて過ぎ去った人。
    同じ学校に通っていたのは知っていたけれど、一度も話す事無く卒業していった人。
    そんな唯すれ違っただけの人は数え切れない程の数になります。
    そしてこの様な無数の人の中のホンの少しの人と、何かのきっかけで知り合いや友達になったり、さらに恋人や伴侶になったのです。

    そのホンの少数の人達との出会いは、世界中の人口から見ればいったい何分の一の確率になるのでしょうか。
    単純計算では74億7400万分の知人数です。
    ジャンボ宝くじ1等の当選確率が2000万分の1といいますから、その確率の低さは推して知るべしでしょう。

    そう考えた時、身の回りにいるそんな人々のと出会いがいかに貴重なものであるかが分かります。
    袖振り合うも他生の縁という諺がありますが、まさに出会いとは徒や疎かにするものではない様です。
    私もちょっとは嫁さんを大切にする様に心掛けます。

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    正しい率先垂範の在り方

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  • 率先垂範の率先とは人に先んじる事。つまり人の先頭に立つ事です。垂範は書いて字の如く、範を垂れるで模範を示すという意味です。
    即ち人の先頭に立って物事を行い模範を示す事を表す四文字熟語です。

    人がこの言葉を使う時、自分が先頭に立って何か行動を起こし、その行動を見た人がそれに共感して同じ方向に行動を起こしてくれる事を期待します。
    従って率先垂範は、その言葉を自分が意識して他人の行動や意識を動かそうという意図のある事が通常でしょう。

    私の住む町の町内会の話ですが、町内の公園がゴミで汚い事が問題になり、対策として立て看板やポスターで啓発する事にしました。
    後日その対策を講じた次の朝、出勤途中にふと公園の中を見るとお爺さんが一人でゴミ拾いをしていました。
    それから日が経つにつれ徐々にゴミ拾いをする人の数が増えて行ったのです。公園は少しづつ綺麗になっていきました。

    もう一つのお話。トヨタ自動車の創始者・豊田喜一郎は技術者として仕事の虫の人でした。
    試作エンジンの馬力が思うように出ずに悩んでいた時の事です。気分転換も必要だと部下と釣りに出かけました。しかし魚が釣れると喜一郎は不機嫌になるのです。
    曰く「俺は釣りに来ているのではない。考えにきているんだ。魚が釣れると気が散るから釣れない所に連れて行け。」
    それ程に寝ても覚めても仕事仕事という人だったそうです。
    そんな喜一郎の後ろ姿を見ながら社員達が大トヨタの基礎を築いていったのです。

    お爺さんにも喜一郎にも、本人達には率先垂範などという意識は全くありません。
    ただただ周囲の人達が真摯な彼らの行動に感化されたのです。

    これこそが正しい率先垂範の在り方ではないでしょうか。率先垂範は自らそれを意識して行うものではないと思います。
    その人が率先垂範しているかどうかは、周囲の人が決める事なのではないかと私は考えます。

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    雷霆万鈞(ライテイバンキン)という言葉に出会いました。

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  • 先日、本を読んでいて恐ろしく難解な言葉と出会いました。
    それはライテイバンキンという四文字熟語です。漢字は電子辞書かなんかで調べてみて下さい。
    生まれて初めて見る言葉で読み方も意味も全く解らなかったので、早速調べました。

    雷霆とは雷鳴そのものや雷鳴の長く響き渡る轟き・余韻を意味します。
    万鈞の鈞は中国における質量を表す古い単位です。万という大きい数字を合わせ用いることで、非常に重いという意味となります。
    この二つの熟語を合わせた雷霆万鈞は、圧倒されるほど多量の雷鳴が鳴り響く様子を表現しており、転じて防ぎ止めることができないほどに勢力・威勢が強く激しい状態を表しています。

    ビジネスシーンにおいては、この雷霆万鈞の様な状況は多々押し寄せます。
    特に今日のビジネスでは、多様化、国際化が急速に進行し、世の中の様々なシステムの変化、機械や技術などの急速な進歩、また為替や政変、戦争などの国際情勢の複雑で激しい変動などにより、企業自身の自助努力や対応では対応し切れない厳しい環境の発生することが珍しくありません。

    現代の企業経営では、海外と関係を持つ企業のみならず、国内でのみ活動する企業であっても、国際的なあらゆる分野に対する広い視野に立った状況分析を基に、将来の経済動向をより早く予想し、急激な環境変化に反応して素早く小回りの利いた対応が必要不可欠になっています。

    企業を取り巻くこの様な現在の環境を雷霆万鈞の言葉は的確に表していると思いました。
    なかなか含蓄のある言葉なのですが、せっかく調べても使わないと忘れてしまうので、早速スピーチに使ってみました。

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    逆境や災いにめげることのないメンタルを目指す

  • 追加
  • 長い人生の中には「間違いなく逆境だ」と思えるようなことが少なからずあります。人生の何から何まで順風満帆で苦労は何もなし、そんな人はほとんどいないでしょう。つまり、誰もがみな苦しいと思えるような時を経験します。もちろん私も同様で「何で私ばかりこんな不運続きなんだろう」と気落ちすることがよくあります。しかし、そう思ってしまった時は「災い転じて福となす」という言葉を思い出すようにしています。

    災いがあればもちろん大変ですしイヤになってしまいますが、それがあったからこそたくましくなれた、成長できたと後から振り返れるようになれば強いですよね。逆境や災いを糧にして飛躍する、そんな生き方ができれば怖いものなしです。

    よく聞くことですが、人生の逆境や災いは神様が与えた試練だといいます。その試練を乗り越えることで、人は大きく成長できます。つまり、その試練にどんな意味があって何を学び取れるのか、逆境や災いでもそんなふうに前向きに受け止めれば、立ち向かっていこうという考え方に切り替えられます。

    これはとてもしたたかな考えですが、ただ落ち込んでガックリくるのと比べればポジティブなのはいうまでもありません。やまない雨はない、明けない夜はないといいますから逆境や災いが永遠と続いていくわけではありませんよね。ですから、たとえ逆境や災いと向き合うことになってもめげることなく、その試練を必死で乗り越えられるような強いメンタルを私は目指しています。

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