ことわざ・故事ネタ Topics

売り上げを落とすのは一瞬なのに対し、売り上げを上げるのは月日がかかる

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  • 多くの会社は、売り上げを上げることで、利益が生まれ、その利益から従業員の給与を与え、会社の運営を行っています。
    売り上げ無しでは利益は生まれません。昔から利益よりまず売り上げ!という会社は多かったと思います。

    その売上げは落とすのは簡単だと思います。営業も何もしなければ売り上げは落ちます。つまり怠ければ売り上げは落ちるわけです。かといって怠けている社員は居ないと思います。

    たとえば今日は忙しから、後は明日にしようとか、今日やるはずだったことが、時間が足らなくなって後回しになったことはあると思います。これが落とし穴です。後回しにしてしまった仕事が、対納品先や、直接消費者に販売する売り場だったら大きな損失となってしまいます。このような状態を続けていると、日々売り上げは落ち、あっという間に大幅減になってしまいます。それだけではなく、納品先やお客さんの信用も無くし、次の注文や来店してくれなくなります。

    反対に売り上げを上げるのは、粘りと根気が必要です。売り上げを落とすことの逆ですから、日々努力して納品先やお客さんの信頼を勝ち取らないと、数字として表れません。

    ことわざに『信頼を失うのは一瞬、取り戻すのは一生』という言葉がありますが、まさにその通りです。売り上げは信頼であり、信用であると思います。既存の信頼や信用を守りながら、新たな信頼や信用を勝ち取ることが、私の仕事だととらえ、日々努力していきたいと思います。

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    『隣の芝生は青く見える』ということわざ

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  • 昔から『隣の芝生は青く見える』といいます。他人も持っているものや、他人のすることが良く見えるという内容ですが、由来を調べると面白い事がわかりました。実際に芝生を自宅の庭などに敷き詰めると、剥げた部分や、草の色の悪い箇所、枯れた箇所など良く目につきます。これは毎日身近に細かいところまで見ているからです。ところが隣の芝生は、遠目に見るので、小さいアラは見えず、綺麗に見えることから来ているそうです。

    仕事をしていても良くあります。『自分の部署はキツいが、あの部署は楽しそうで働きやすそうだ』とか、『自分の会社より、○○会社の方が待遇も良く働きやすい』とか『あの会社は注文が毎日多くててんてこ舞いしている。さぞや儲けているだろうなあ』などです。

    しかし実際に、『その部署へ異動して見たら、前の部署と変わらなかった』とか『いいと思って転職したら前の会社より悪かった』などと現実は違うものです。同じ職場でも良くあるのが、あの人は何時も楽して売り上げを上げている、契約をとってくるとか考えたりして、実際にその人の担当の仕事をやってみると大変だったなどです。

    私は他の人の事を羨むことは良い事だと思います。しかしそのことで自分の仕事を適当にやってはいけないと思います。なぜなら何処かに自分の仕事を羨ましく思っている人がいるかもしれないのです。他人も羨みながら自分もそれ以上に頑張る事を心掛け、他人から羨まれるような存在になりたいと思います。

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    風が吹いたら桶屋が儲かるの真実について

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  • 「風が吹いたら桶屋が儲かる」といったことわざを一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
    事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことの喩えのことを意味したことわざですが、どういった因果関係によって桶屋が儲かるのかを知らない人は少なくありません。

    「風が吹いたら桶屋が儲かる」の元ネタは、江戸時代の浮世草子に出典があると言われています。
    大風が吹くことによって、土ぼこりが立つような気象状況にさらされることになると、土ぼこりが目に入って、盲人が増えるようになります。
    そういった盲人は普通の仕事に就くことができなくなってしまうために、三味線をひくといった職業を選ぶことを余儀なくされるのでした。

    そこで、三味線の需要が高まることになった結果、三味線の材料となっていた猫の皮が大量に使われるようになり、ネコが殺されていくようになります。
    ネコの数が減少していくことになるため、ネコに捕食されることがなくなってネズミが増えることになります。そのネズミが桶をかじることにつながり、桶の需要が増え桶屋が儲かるといった仕組みになっていたのです。

    すなわち、そういった流れを経て結果的に物事が成り立っているといったことを説明するときなどには、「風が吹いたら桶屋が儲かる」のたった一言で済ませることができるといった意味ではとても有意義なことわざであると言えます。

    また、世界には、よく似たものとして、「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」と言われるバタフライエフェクトといった言葉もあります。

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    勝者のおごりは危険

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  • 昔から「勝てば官軍」など、勝利者には権威と栄達が約束されるという言葉があります。
    もちろん、成功者にはそれなりのバックはあってしかるべきですし、資本主義の世界では当然ともいえます。

    一方100年前の日本では「敗者にも礼を尽くす」ことが重んじられ、世界はこの日本的な対応に驚嘆しました。
    日露戦争最大の激戦になった旅順要塞攻防戦で、日本の第3軍を指揮した乃木希典は莫大な損害を出しながらも旅順要塞を攻略します。

    降伏したロシア軍のステッセル中将ら露軍幹部は捕虜の屈辱を味わうところでしたが、乃木はできる限りの礼を尽くしました。
    後世に残る日露両軍幹部の写真は、降伏したロシア軍も帯刀し完全に対等の立場での撮影になっています。
    これは乃木の強い配慮からだと言われています。

    ステッセルは乃木の対応に感動し自分の愛馬を送ります。「ノ号」と呼ばれた馬は大切に飼育され日本でその生涯を終えることになりました。
    乃木の死に際しては匿名で香典を送るなどしていることから乃木の行動に深く感銘を受けていたことがうかがえます。

    転じて、今の我々はビジネスで厳しい競争にさらされています。
    明日は我が身とは言いませんが、ライバルを蹴落とすだけが仕事ではありません。
    お互いの健闘をたたえ合い、良いところは吸収し次につなげていくこと。
    競い合うことになったのも何かの縁。勉強させてもらったことを感謝することも時には必要かもしれません。

    自分を高めるきっかけになったライバルの存在は決して否定するだけでなく、肯定して優れているところは認めることが大切です。

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    「卑怯なコウモリ」から得られる教訓

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  • イソップ童話をご存知でしょうか。古代ギリシア人のアイソーポスによって書かれたと言われている寓話集です。
    様々な教訓を得ることができ、皆さんの中にも子供の頃読んだという方も多いのではないでしょうか。

    イソップ童話の中でも有名な話に、「卑怯なコウモリ」があります。鳥と獣が戦争を起こした時に、コウモリは両方にいい顔をしたため信用をされなくなり、戦争が終わった後には居場所を失って夜にだけ活動するようになったという話です。
    「卑怯なコウモリ」から得られる教訓は、裏切りを繰り返すような者はやがて信用を失うということですね。
    どっちつかずの態度をとる人間のことを「コウモリ野郎」と言ったりすることもあります。

    しかし実は、この話にはもう一つの教訓が隠されています。
    元はと言えば、獣と鳥が戦争を起こしたのが元凶なわけです。コウモリが獣と鳥の双方に諂ったのは、戦火の中で生き抜くために仕方なくやったこととも考えられるのではないでしょうか。
    自分たちで戦争を始めておきながら、和解後にはコウモリをのけ者にした獣と鳥たちこそ本当の卑怯者なのかもしれません。
    争いが起きた時、巻き添えで犠牲になるのは弱い者だということを忘れてはいけないと思います。

    ちなみに、現実のコウモリは哺乳類なので鳥ではなく獣の仲間です。しかも、全哺乳類の中でも約4分の1を占めるほど種数も多いのです。
    しかし、昔の人にとっては獣とも鳥ともつかない不思議な生き物だったのでしょう。

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    仕事ができる人ほど能ある鷹は爪を隠すだと気付いた

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  • 大人になってから仕事でいろいろな人を見てきましたが、仕事ができる人には1つの共通点があると気付きました。それは「能ある鷹は爪を隠す」ということです。

    仕事がバリバリできる人ほど、それをひけらかすようなことはしていません。仕事ができるのですからもちろんその分目立ってはいるのですが、自己顕示欲で自慢したり、他人を貶めたり、必要以上にアピールしたりなどはしていないのです。

    もしも仕事ができることを自覚していたら、ついつい天狗になってしまうことも十分にありえます。仕事が実際にできるのですから、有頂天になったとしてもおかしくありません。

    しかし、仕事ができる人は「能ある鷹は爪を隠す」で、いつも涼しい顔をしています。それは余裕の表れともとれますし、それぐらい落ち着いているからこそ仕事に対して真正面から真摯に向き合えるのだと思います。

    また、もしも変に自己アピールしていたら、周りに敵を作るのは明らかです。余計な嫉妬をされやすくなりますし、ライバルたちに敵愾心を持たれてしまうかもしれません。そんな状況になれば四面楚歌状態になること必至ですから、結局は仕事がやりにくくなります。それでは三日天下で、仕事ができる有能な人の座からいつの間にか転落してしまうはずです。

    そのような状況に陥らないようにするための教訓が「能ある鷹は爪を隠す」で、それを守ることによって仕事をしやすくしています。ですので、仮に仕事が順調で上手くいったとしても、それを見せびらかすようなことはしないようにしていきたいです。

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    早起きは三文の得。朝活の3つのメリット

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  • 早起きは三文の徳とは昔から言いますが、その言葉は現代にも当てはまります。
    特に不健康な生活になりがちな現代人にとっては朝の活動というのは非常に重要な意味を持ちます。

    まず、朝は集中力が非常に高くなっています。
    残業続きの夜の仕事はどうしても一日の疲労が溜まっているのでどうしても集中力も欠けていて効率もよくありません。
    それであれば一晩しっかり眠って迎えた朝の方が頭もスッキリしていますので集中力も増して効率的です。
    朝から一仕事をこなすことで、一日の予定も立てやすくなりますし充実した一日を過ごすことができるでしょう。

    健康面でも早起きはメリットが大きいです。
    早起きをして朝日を浴びると幸せホルモンと言われる「セロトニン」の分泌量が増えて一日をポジティブに過ごすことができます。
    また朝日を浴びることで体内のリズムも調整されますので、寝付きが悪いと言う人も自然と夜にも眠くなることができます。
    つまり、早起きをすることで自然と早寝が出来るリズムが身に着くのです。
    慣れるまでは少し辛いかも知れませんがリズムが確立される自然と出来るようになるので楽になるでしょう。

    健康面のメリットはまだあります。
    朝に時間的な余裕が生まれることで朝食を取ることができるようになります。
    一日のエネルギー源となる朝食をしっかり摂ることでエネルギッシュに一日を過ごすことが出来ます。
    夜も早く寝ることが出来るので寝る前の過度な飲食を抑えることになり、太る要因も減らすことになります。

    仕事のある日にいきなり始めるのは難しければ、休日は朝から活動してみるなど少しずつ試していってはいかがでしょうか。

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    「情けは人のためならず」とはこんな意味でした。

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  • 私は長いこと「情けは人のためならず」とは、人に情けを掛けてあげる事は実はその人のためにならない事なのだという意味で覚えていました。

    ところが有るテレビのクイズ番組で、その格言は人のためでなく自分のためなのだということが本当の意味と知りました。

    人に情けを掛ければ回り回って、自分に帰ってくるという事です。

    そこで子供のころ読んだイソップ物語の中の「アリとハト」という寓話を思いだし、同じ事だなと納得しました。

    その寓話はアリが川で溺れて流されているのをハトが見つけ、木の小枝を投げ助けた話です。ここまでは親切なハトの話である訳ですが、後日そのハトが猟師に鉄砲で撃たれそうになっている事を知ったアリは、猟師の足に咬みつき、ハトは猟師に気が付き逃げる事が出来たというお話です。

    ハトはアリに情けを掛けたおかげでそのアリに自分の命を救われたのです。回り回って掛けた情けが自分に跳ね返ってくるというお話です。

    ですから、自分の事ばかり考えていると他人からいざという時に助けてもらえないかも知れません。人間は自分の事ばかり考えているので、良い教訓です。

    仕事でもなんでも、まず相手の事を思い興味を持って親切に接しておくと、きっといいことが後々あるかも知れません。

    見返りを期待するような行動はいけませんが、期待していなければ情けが思いがけない時に帰ってくるのでしょう。自分を抑えて、人のために働けばきっといいことが待っていると思っています。

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    雨だれ石を穿つ

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  • 昨今、IT化が進んでこの方、スピードが重視されています。
    早いことはよいことだという価値観が先行していて、それ自体が間違いだとは思いません。
    しかし、こういう時世だからこそ、根気よく続けることも大事なのではないでしょうか。

    雨であっても、ずっと同じ場所に落ち続ければ硬い岩さえも穴をあけてしまいます。
    例えば、新しい技術を生み出してそれを実用化にこぎつけるためには何度も何度も試行錯誤を重ねることが必要です。
    机上の空論と実際にやってみるとでは事前に想定できないトラブルが発生することは珍しいことではありません。
    コンビニやファミレスの新しいメニューの影にはそれに数倍する日の目を見ない試作品があるはずです。
    新薬を作り出すためには数限りない臨床実験が繰り返されています。

    一見、天才的な行動の影にも無数の試行錯誤があります。
    名医と呼ばれるような医者は才能だけで仕事をしているわけではありません。
    何回も、何十回も、何百回も診察や手術を繰り返すことで患者の病気を見抜き、病巣を適切に除去する手術を行えるのです。

    スピード重視の社会では、こうした試行錯誤をロスとみなし、成功への最短距離を目指す風潮が強まりやすいです。
    ですが、失敗を含めた試行錯誤の数こそがその人の貴重な経験値であり技術の修練に絶対的に必要なことです。
    お客様への電話がけ、窓口での応対、クレームに対する対応、製造現場における試行錯誤
    すべて、自分自身を成長させ「凡人」が「達人」へと成長するために必要なプロセスだといえるでしょう。
    そうすれば、雨が石に穴をあけるように、地道な努力が報われる日が訪れるのではないでしょうか。

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    私は今、嫁をもっと大切にしようと思っています。

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  • 「袖振り合うも多生の縁」という諺があります。
    この中の「多生」を、今まで「多少」だと私は思っていました。だから衣服の袖がほんの少し触れあうだけ事でも、縁は縁だから、という程度に解釈していました。
    しかしこれは大きな間違いでした。

    多生というのは仏教における言葉です。
    仏教では、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六道があり、人はその生き方によって六道に生まれ変わる輪廻転生を繰り返すとされます。
    永遠ともいえるこの輪廻の中で、私たちは今、人間道の世界に生まれ、身の回りの人達と出会っています。その出会いはだから無いに等しい程の稀有な出来事なのです。

    難解な仏教の教えを十分に理解し得ない私は、拙い今様の解釈を私なりにしてみました。
    現在の世界に生きる人の数約70億人ですが、そのほとんど大部分の人達とは一生出会う事も無く私は死んでゆきます。

    そして、過去人類が誕生してから現在までに生きてきた人の数はどれぐらいでしょうか。
    さらにはこれから将来にわたって、人類が絶滅するまでに生まれ死んでゆく人な数は、と考えると、その数は想像もつかない程の天文学的数字になるのでしょう。

    そんな膨大な数の人の中から、私は今までいく人かの人と出会ってきました。
    袖振り合うも多生の縁の本来の意味で考えるならば、その人達の出会いは奇跡としか考えようがありません。欲して得られるものでは決してないのです。

    そんな奇跡を今まで私は何と粗略に扱ってきたのでしょうか。
    これではいけません。私は今思っています。嫁をもっと大切にしようと。

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    袖振り合うも多生の縁は、決して「多少」の縁ではありません。

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  • 世界の人口は、推定ですが74億7400万を超えています。日本人口は1億3000万人に足らず。そして例えば東京都では1400万人を少々切るのですが、あなたの住む市や町にはどれぐらいの人がいますか? 

    これ程沢山の人間が、今現在、同時間に自分と共に生きています。しかし、距離の問題であったり、行動の違いであったりと様々な条件や理由によって、それらの人達の多くとは一生出会う事も無く互いに死んでいきます。

    敢えて注目して考える事がなければそれは至極当然の事で、何の不思議もありません。しかし逆に今まで出会った人達という視点から考えてみましょう。
    毎日の生活の中で、ただ行き交っただけの人は数えきれない程の無数になります。そしてその中で知り合いや友達になったり、恋人や伴侶となった人もいます。

    その出会いは、世界中の人口から見ればいったい何分の一の確率になるのでしょうか。単純計算では74億7400万分の知人数です。
    ジャンボ宝くじ1等の当選確率が2000万分の1といいますから、その確率の高さは推して知るべしでしょう。

    そう考えた時、身の回りにいるそんな人々のと出会いがいかに掛け替えのないものであるかが分かります。
    にも拘わらず恋人や伴侶や親兄弟を、居て当たり前と普段は大して気にする事もなく、つい私達は日々過ごしてしまっています。ましてや友人知人に対してはどうかというと私自身、けっして大切にしているとは断言し切れません。

    袖振り合うも多生の縁という諺がありますが、どうも出会いとは徒や疎かにするものではない様です。

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    出世した時こそ「井の中の蛙」にご用心

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  • 「井の中の蛙大海を知らず」とは、自分の周囲の狭い世界しか知らず、物事に対する見識が狭いさまを言い表した諺です。
    マイナスの意味で使われる言葉であり、似たような言葉には裸の王様が挙げられます。

    会社に長く勤め、地位が上昇していくにしたがい、井の中の蛙になってしまう人が多く見受けられます。
    地位が上がっていくと、若手のマネジメントや会社の運営を担当するようになっていきます。
    視線の先が取引先やお客様から、会社内のことに向いてしまうことは避けられません。
    その中で、いつのまにか会社内のことしか考えられない井の中の蛙に変身してしまうのです。

    従業員を何万と抱える大きな企業であろうと、日本、あるいは世界という単位から見れば、そこは狭い世界に過ぎません。
    そして、会社の存続を決めるのは、その広い世界にいる何億という人々にどれだけ貢献できるかということです。
    常に外の世界について意識を持っていなければ、会社の事業はあっという間に世間からの信用を失ってしまいます。

    すぐれた経営者、リーダーと言われている人たちは、常に視線が外を向いていると感じます。
    会社の中での出世競争に汲々としている人は、井の中の蛙となり、結局のところ会社にとっても害をなす存在になってしまいます。

    部下を束ねる地位に就いたとき、新しい社員が入ってきたときなどは、改めて自分の視線がどこを向いているか確認する必要があると感じました。
    会社内での出世に浮かれることなく、自分のことを見つめなおす冷静な視点を持っていきたいと思います。

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    靴磨きの少年のエピソードから学べる事

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  • 「靴磨きの少年」のエピソードとは、世界恐慌の時代情勢を表した逸話です。

    アメリカが空前の好景気に沸いていた1929年、ジョセフ・P・ケネディ(ケネディ大統領の父親)は街角で靴磨きをお願いしました。
    当時、彼はウォール街で相場師として名を成していました。
    彼の正体を知らない靴磨きの少年は、ケネディに対して株式取引の話を持ち出しました。
    「あそこの株がどうやら上がるらしいですよ。」
    そんな話を聞きながら、ケネディはあることを確信しました。
    「素人であろうこの少年までが株の話に熱中している。そろそろ相場は崩れるに違いない。」
    彼はすぐさま自分の持っていた株を振り払いました。
    その後すぐに世界大恐慌が発生、株式市場が大混乱に陥る中、ケネディは損失を出さずにこの危機を切り抜けたのです。

    この逸話は、バブルはいつか弾けるものであるということを表しています。
    同時に、ケネディの目の付け所の確かさと決断力を今に伝えています。
    ケネディが危機を回避できたのは、靴磨きの少年の話に耳を傾け、的確な情勢判断を下せたからです。

    情報は、街の中や日常生活の中に隠れていることを示すよい例です。
    ケネディは、靴磨き中にも情報を集めることを怠っていなかったのです。

    ケネディの抜かりのなさは、私たちも学ぶべきところがあります。
    何気ない会話の中に、未来を見通すための情報が隠れているかもしれないのです。
    不確実性が叫ばれる現代だからこそ、あらゆる情報にアンテナを張っていることが大切になります。
    私も仕事を行う上では、常に情報には敏感でありたいと思っています。

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    継続は力なりを運動で痛感させられる

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  •  有名なことわざの1つに「継続は力なり」というものがありますが、これを痛感させられるのが運動習慣についてですね。私は程度に関係なく毎日何かしらの運動をするように努力しているのですが、まさに継続は力なりなんですよ。

     仕事で疲れていても基礎的な筋トレはあえて休まないようにしているのですが、そうすると結構な負荷をかけても辛いとはあまり思わないです。それは毎日継続して運動を続けているからで、体がそれに慣れているからなのでしょう。

     しかし、たとえば1日でもサボったりすれば、それだけでサボった次の日の運動は本当にきつく感じるんですよね。継続をやめてしまったらこれほどの反動があるのかと、痛感せずにはいられないですよ。

     その反対に休まず運動を続けていたら、長い時間運動をすることも苦には思わなくなってきます。体が運動に耐えられるようになっていますから、よほどハードな運動でなければ息切れして動けなくなってしまうというようなことは普通ありません。そんな時は継続は力なりなんだなあとしみじみ思いますし、運動することが体力向上につながっていると実感できて達成感がありますね。

     普段の仕事でも、そういう面があると思います。最初にやり始めた時や休み明けでしなければいけない仕事は大変に感じますが、続けていればそうでもなくなりますよね。ですから、たとえ短い時間や少ない作業でも良いので、いろいろな仕事をこまめにやり続けたほうが成果が出やすいと私は考えていますよ。

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    1日の始まりが仕事を変えていく

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  • 皆さまは朝、どんなことを考えながら起きたでしょうか。また、どのような言葉を発しましたか?

    私は最近、朝からプラス思考な言葉を言うようにしています。具体的には、今日は素晴らしい一日になる、といったことを宣言するのです。

    また、窓を開けて、部屋に外の空気を取り込むようにしています。一年の計は元旦にありと言いますが、一日の始まりもまた、同じく大切なものではないでしょうか。

    以前の私は、朝はギリギリまで寝ており、起きたら起きたで、ああ仕事に行きたくないだの、面倒くさいだの、ネガティヴない言葉をつぶやいておりました。

    その結果、本当にネガティヴな状況が訪れ、ますます嫌な気分になるものでした。しかし、朝の過ごし方を変えることで、物事の見方が変わってきたように感じております。

    電車の中でイライラすることがあっても、ツイてないとかムカつくとか思うのではなく、このマイナスな出来事があったからこそ、プラスの出来事が起こるのだと考えるようにしたのです。

    物事は自分の見方で良くも悪くもなります。どうせなら、前向きに捉えたいものです。

    そのためにも、一日の始まりに、その日に対して期待してあげるというのは大切なのではないでしょうか。人それぞれ、気分の良い過ごし方があると思いますから、ぜひ自分なりのご機嫌な朝を過ごしてください。

    そして、業務において困ったことやヘコむことがあっての、そこから成長して明るい未来を掴むのだと思って欲しいものです。

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    高校時代に担任から聞いていた言葉とは

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  • 「禍福は糾える縄の如し」という言葉を聞いた方は多いと思います。私がこの言葉を知ったのは高校時代の担任からです。

    この言葉は最初聞いただけではピンときませんでしたが、説明を聞いているうちに良く分りました。

    「糾える(あざなえる)」とは、ねじって縄とか糸を編むことで、この言葉の意味は、表と裏が交互に出てきて捻じれている縄のように、人生では良いことと悪い事が順番に起こるのだということのようです。

    担任はまだ年若い私たち生徒のこれからの人生を案じて、人生訓を説かれたのだと感じました。

    この時同時に「人間塞翁が馬」という言葉も同じ意味だよと話されました。

    城塞に住む老人の話で何やら難しいことを言っているなと思っていましたが、人生は予測がつかないものだと言っていましたのは印象に残っています。

    今はこのように仕事についているのですが、その意味は少しずつ、分り始めたような気がしています。

    ミスをしたり批判されたりする事をしてしまうことはありますので、その時はじっと反省し、これから先良い事が待っていると言い聞かせています。

    担任はご自分の人生経験を振り返り、生徒たちにどうしても話して起きたかったに違いありません。

    今この場で「人生とはこういうもの」などと口はばったい事は言うつもりはありませんが、私の担任のその時の気持ちは今理解が出来ます。

    「先生ありがとう」という気持ちがこれからも沸いてこる事が有るかもしれません。

    長い人生何が起きるか分からないけれどいつでも希望を持ちましょうということですね。

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    初詣。あなたは何をお願いしますか?

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  • お正月、日本全国の神社やお寺には大勢の人が初詣に訪れます。
    皆さん、神様の前で柏手を打ち、仏様の前で合掌してそれぞれの願い事を神妙に祈願しています。

    普段は信心などに無関係な人もこの時だけは信心深そうには見えますが、辞典などでは信心とは神仏を信じる心であり、また神仏の加護を願って神仏を信ずる事と説明されていまので、百歩譲ってこれも信心の一つとしておきましょう。

    色々な宗教における信心の本当の意味についてはなかなか難解で私などには全く理解の外ですが、私なりの理解では信心は感謝なのだと思っています。
    だから私は初詣など神仏に詣でる時は、願い事はしません。
    今この時まで大過なく生きて来れた事、生活できている事、自分や家族が健康である事などについて、お陰様でという感謝を捧げる事にしています。

    人は自分の人生や暮らしの中での成功を、自分の手柄だと自画自賛しがちです。
    しかしその成功の原因を良く考えてみると、誰かの助けがあったり、タイミングが良かったり、環境が有利に変化したりと、自助努力ではない部分の要因が必ずある筈です。

    それらの事柄に対しての感謝は必要ないのでしょうか。そして感謝するとすれば、何に感謝するのでしょうか。
    例えば助けてくれた人でしょうか。勿論それは必要でしょう。
    でも人同士の感謝のやりとりでは、感謝しなかった時、される側には普通は不満が生じます。

    真の信心を持つ人は、感謝されなくても不満には思わないのです。最初から感謝など期待していないのです。
    逆に人の助けができた事を感謝するのです。

    感謝する対象が神なのか仏なのかは私には分かりませんが、人知を超えた何かに今ここに自分がある事を感謝する。
    それが信心なのではないかと思うのです。
    そうありたいものです。簡単ではありませんが・・。

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    笑う門には人来る

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  • 笑う門には福来るというのは、かなり有名な言葉なので皆さん耳にしたことがあると思います。
    一応改めて意味を確認すると、いつも笑顔で楽しく過ごしている人のもとには幸運が舞い込んでくるということです。

    では、なぜ笑う門には福が来るのでしょうか。
    神様や仏様が笑う人が好きだから、幸運をその人のところに送ってくださるのでしょうか。
    そのような考えも魅力的ですが、神様を持ち出さなくても別の角度からも説明できます。
    笑う人のところには人が集まってくるというのが、私なりの疑問に対する答えです。

    皆さんも経験あると思いますが、笑顔が素敵な人は初対面から信用することができますよね。
    そして、いつでも笑顔を絶やさず楽しそうにしている人とは、長く付き合っていこうという気にさせられます。
    笑顔はコミュニケーションにおける最大の武器になります。
    笑顔を絶やさない人の周りには、自然と人が集まってくるのです。
    私なりに言わせてもらえば、笑う門には人来るです。

    結局のところ、人が縁をつなぎ福を呼び込んでくれるのです。
    「あの営業マンはいつも笑顔で好感が持てるな。よし一度製品を買ってやるか。」
    「この会社の人はいつも笑顔で楽しそうに仕事をしているな。是非僕もこの会社で働きたいな。」
    「こっちがミスしたのにあの会社の人は笑顔で対応してくれたな。次もあそこで買い物しよう。」
    どうです、関わった人の笑顔によってビジネスのチャンスは広がっていくのです。
    ビジネスとは人とのつながりであり、つながりを作るのに笑顔ほど有効なものはありません。
    今日も笑顔で頑張ろうと思います。

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    腹八分目で頑張るということ

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  • 何事も腹八分目が良いというのはよく言われることですが、こと仕事になると、全力投球せよという風潮が多いです。

    しかしながら、常に全力投球をするというのは、かえって非効率だといえるのではないでしょうか。

    もう少し頑張れそうだな、と思うところでやめておく、それがどういう意味を持つのかというと、不測の事態に対応することができるというメリットがあるのです。

    いつも百パーセントの力を出し切っている、というのは聞こえは良いですが、それはつまり、その仕事以外の仕事はできない状態になっているということでもあります。
    しかしながら、業務というのは流動的な側面があり、いつ何があるかおかしくないのです。

    突然の顧客からの相談があるかもしれませんし、上司からやって欲しい仕事があると依頼を受けることもあるかもしれません。そんな時、自分がヘトヘトになって消耗していると、それらの用事ができないことがあるのです。

    チャンスの女神には後ろ髪がないと言われます。顧客からの相談や上司からの提案がきっかけになって、あとで大きなウェーブに繋がることもあるかもしれませんから、チャンスはつかめる時に掴んで置かなくてはいけないのめす。

    そのためには、不測の事態に備えておけるエネルギーは持っておいたほうがいいのです。

    私自身、そうした、2割の余裕でもって顧客の信頼を得、また、新しい仕事にチャレンジしようという気力も持ち続けられています。
    体験もふまえ、ぜひとも、余裕のあるスケジュール管理をしていきたいと思います。

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    いくつになっても挑戦する人は、輝くことができます

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  • 今日は、歳を取ってからも新しいことに挑戦して、日本を変える仕事をした人の話をします。

    伊能忠敬は、江戸時代の商人でした。元々この人は有能な人材であることを見込まれて伊能家に婿入りすると、わずか17歳で伊能家の家督を継ぎました。当時の伊能家は当主が不在の中に事業を縮小していたところです。忠敬が当主となってからは、伊能家の復興が急務となりました。若い当主だから、初めの頃は苦労の連続でしたが、幸いにも復興に成功しました。

    忠敬は、息子が成人に達した頃に隠居を考えました。その時は既に50歳になっていました。隠居後にしたのが星の勉強です。天文学者として名高い高橋至時に弟子入りすると、熱心に勉強を重ねていました。髙橋至時の方が19歳も若かったが、気にせずに教わっていました。

    髙橋至時は、暦をきちんと作る仕事をしていました。それには正確な地球の大きさをする必要があります。江戸から蝦夷地までの正確な距離がわかれば、地球の大きさがわかる。そのために蝦夷地に行く必要がある。そのついでに蝦夷地の地図を作ってしまおうと計画した。そこで始めて地図を作ることに繋がります。伊能忠敬にその仕事が与えられたのです。

    伊能忠敬が蝦夷地の測量をすることになったのは、55歳の時でした。普通なら、蝦夷地に行くことがない年齢です。江戸時代なら死んでいてもおかしくない年齢だった。それでも忠敬は蝦夷地の測量を成し遂げました。

    その仕事が非常に高評価だった。それで新しく測量の仕事が与えられると、日本各地に出かけて、72歳まで歩き続けて、ついに全国の測量を完成してしまう。その地図は、忠敬の死後に完成して、明治時代まで精度の高い地図として知られています。

    年齢が嵩めば、新しいことに挑戦するのが嫌になります。難しいことであれば、なかなか難しいです。それを忠敬のように50歳を超えても新しい物に挑戦した人も居ます。それを見ていたら、皆さんはまだまだ若いです。だから頭も柔らかくて難しいことでも勉強することができます。

    これから業務が変わって新しい仕事をする人も出てきますが。まだまだ現役だと思って頑張っていくなら、きっと新しいことでも成功できます。諦めずに挑戦していけば、それができます。

    新しいことに挑戦するのは大変だと思いますが、伊能忠敬のように挑戦してみて下さい。

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