伊藤博文は命を懸けて故郷を守ろうとしました
朝礼ネタ5259 2023/01/25 心理・メンタル身近な法則伊藤博文は日本の第1代内閣総理大臣になった人です。
司馬遼太郎さんの小説でこの人の話を読みました。
伊藤は若い頃、他に4人の人と一緒に藩の命令で英国に留学しました。
まだ江戸時代ですから日本は鎖国中で、外国渡航は幕府にバレたら切腹ものです。
でもペリーの黒船来航なんかで優れた西洋技術に驚いた彼らは、
命懸けの危険を冒して西洋を学ぼうとしたのです。
英国について半年ほどした時、彼らは故郷の長州藩が外国艦隊を砲撃したことを知りました。
当時日本は、「
外国との国交はいかん。獣のような外国人を日本に入れるな。来日した外国なんか追い返せ」
という攘夷の考えが世に充満していました。
伊藤らの故郷、長州藩はそれを実行してしまったのです。
伊藤らは驚きました。
西洋技術の進歩を目の当たりにしていた彼らには、
軍事的にも長州藩が西洋艦隊に到底敵わないことが分かりました。
我故郷が滅亡すると思いました。
伊藤と井上聞多(後の井上馨。明治政府の外務、大蔵大臣などを歴任)は、
外国の国力を知らずに対外戦争を始めた藩にその無謀さを知らせようと、
留学を切り上げて帰る事にしました。
しかし他の三人は反対します。
なぜなら藩の命令は5年間の留学で、
それをたった半年で勝手に止めて帰るのは藩命に背くからです。
また攘夷の声が圧倒的な故郷で対外戦争は無謀だなどと言うと、
過激な攘夷論者に切り殺される恐れが十分にあるのでした。
それでも故郷の危機を放ってはおけないと、
幾重もの命の危険を冒して伊藤と井上は強引に帰国します。
5年後、明治が始まり、伊藤と井上は政治家として活躍を始めます。
英国に残った三人も帰国後に政府の官僚になりました。
藩命に逆らってでも命懸けで故郷の一大事に行動を起こした人。
片や飽くまで藩命に忠実だった人。司馬遼太郎さんは、
「官僚と政治家の違いはこのあたりにある」と書いていました。
さてあなたはどちらのタイプですか?