救われるべきは一旦誰なんだろうか
朝礼ネタ2258 2021/01/01 メディア・ニュース教育社会・経済みなさん、神戸で起きた連続児童殺傷事件を覚えていますか?「少年A」や「酒鬼薔薇聖斗」として、世間を騒がせた事件です。
当時中学生だった「少年A」は殺害した同級生の頭部を中学校の校門に置いたという、しかもその犯人が未成年ということでとても話題になった事件です。
元少年Aが書いたという小説「絶歌」が少し前に話題になり、賛否両論、これまた世間を騒がせていました。
「本を購入すれば、印税が入る」「それでいいのか」「遺族のことを考えたらどうしてそんな本が出せるのか」
「遺族の反対を押し切って本を出したらしい」「印税はすべて遺族に渡しているらしい」と、本当にさまざまな憶測が飛び交いました。
私は「絶歌」ではなく、少年Aが少年鑑別所での審理を終えて関東医療少年院に移送されてから退院するまでの内部の様子をまとめた本
『少年A 矯正2500日全記録』という本を読みました。
少年院内でどんな様子だったのか、どのように更生していったのかという記録が書かれているのですが、これがまた胸糞悪い…。
本の中には、彼を擁護するさまざまなことが書かれていました。とても複雑な家庭で育ったなどということも書かれていました。
最初は心を閉ざしたままだった少年Aも次第に変わっていった。その様子をみて、少年院の職員は涙を流して喜んだという。
この本を読んで一番思ったことは「誰のための本なのか」ということでした。
「誰のための矯正なのか」「誰のための少年法なのか」日本の司法に疑問を感じざる得ない内容ばかりでした。
少年Aに寄り添う立場の人からすれば
彼を更生させることこそが救いなのかもしれません。
愛情不足により罪を犯した少年に、愛情を教え、愛情を与え、更生させる。
一方から見たらそれは正しいことなのかもしれません。
でも、果たしてそれが一番大切なことなんでしょうか。
それを最優先にしてしまったら、じっと黙って耐えている子供たちはどうしたいいんだろう、と考えずにはいられませんした。
結局声を上げた人が得をするし、罪を犯した人が救いの手を差し伸べてもらえるということになる。
じっと黙って理不尽なことに耐えている子供たちは誰にも助けてもらえず、
犯罪者が助けてもらえる。これほど理不尽なことってあるのかな、と。なんかおかしいですよね。
本当に救われるべきは誰なんだろな、と。
大きいことから小さいことまでいろいろあるけど、
日本は特に、「声を上げた人」が得をする仕組みになっているなといつも思います。
クレームもそう。一番に文句を口にした人が結局特をする仕組みになってる。
「言わないと損をする世の中」だと思うので、思っていることは言葉にした方がいいなと考えさせられました。