泉鏡花の婦系図で有名な湯島天神
朝礼ネタ2683 2021/01/01 地域情報上野広小路から本郷に向かう春日通りの切通坂を上ると、有名な「湯島天神」があります。
1500年以上の歴史を持つ湯島天神の境内には、「湯島の白梅」として名高い約400本の梅が植えられており、毎年開かれる「梅まつり」には多くの観光客が訪れます。
なお、湯島天神という名は通称で、正式名は湯島天満宮と言います。
ただ、この湯島天満宮という名前は平成12年になって改称されたもので、元々は湯島神社という名前でした。
湯島神社ができたのは458年です。
飛鳥時代になる前のヤマト王権の時代です。
天神様の菅原道真が生まれる400年も前であり、当然当時は天神という名前は付いていません。
菅原道真が祀られるのは、ずっと後の南北朝時代の1355年とされています。
それ以降、湯島天神と呼ばれるようになります。
江戸時代に入ると富くじなどの興行が開催される門前町として栄えます。
湯島天神の名が全国的に広まるのは、泉鏡花の新聞連載小説「婦系図」でお蔦と主税の別れ話の舞台になったことが影響しています。
実は、小説には湯島天神での別れ話の場面は出てきません。
後に、舞台や映画で湯島天神が使われるようになったことで、一躍有名になります。
湯島天神からまっすぐ御茶ノ水駅に向かっていくと、神田川に掛かる聖橋の袂に「湯島聖堂」があります。
湯島聖堂は元禄時代に5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟で、世界で一番高い孔子像が建っています。
また、日本の「学校教育発祥の地」であり、江戸幕府の昌平坂学問所がここにできます。
湯島天神と湯島聖堂は毎年受験シーズンになると、受験生で賑わいます。