続 零戦の設計者・堀越二郎に学ぶ

  • 追加
  • 世界的名機・零戦の設計者として有名な堀越二郎ですが、実は零戦以前に彼は画期的な戦闘機の設計も行っています。

    昭和7年、帝国海軍は航空戦力の拡充のために新型戦闘機の開発を決めました。
    三菱内燃機製造(現・三菱重工業)では、入社5年目の若い堀越がこの新型機の設計を主任として担当します。

    当時、世界の戦闘機の主流は複葉機の時代で、欧米より飛行機製造技術が遅れている日本では言わずもがなです。
    堀越は、新戦闘機を欧米で研究が始まっていた単葉機として設計することを決心します。

    しかし欧米でも研究開発初頭の単葉機についての資料が日本ではありません。
    複葉機の関する資料やデータなら社内で簡単に入手でき、新型戦闘機を複葉機として設計するのはそう難しくありませんでした。
    初めての設計主任としてその重責を考えた時、その方が無難なことは明らかでした。
    しかし、堀越はあえて困難な道を選びます。

    経験が少なく若い自分を主任に抜擢した会社の目的は、
    固定観念が固まっていないからこそのマンネリズムの打破ではないと、彼は考えたのです。

    そしてさらに、日本の航空業界がこのまま世界の後塵を拝していて良いのか。
    それでは日本の自立はあり得ないとまで思い至ります。

    世界では単葉機の試作開発が進んでいていつ成功するか分からず、
    それに先駆けて単葉戦闘機の実現化を図りたいという遠大な目標のもと、
    堀越は困難に満ち満ちているその設計開発を始めました。

    結果としてはこの単葉機の試作機は、戦闘機向けテスト飛行で墜落して不採用になりました。
    しかしこの挑戦によって、単葉機に関する貴重なデータの蓄積や設計製造上の経験を得ることができ、
    これらデータや経験は最終的に零戦が登場する基礎となりました。

    戦闘機の設計という仕事に対する堀越の姿勢の根本には、業界はもちろん国までも背負って立つとまでの意気込みがあったのです。
    その大きく揺るぎない土台があったからこそ、偉大な零戦が生まれたと言えます。




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