ヒステリーは恨みの連鎖。批判から受容への変革がもたらすものとは
朝礼ネタ1462 2021/01/01 コミュニケーション自己啓発知的だと思われる人は、いつでも冷静です。反論されたり、非難されるようなことを言われたりしても、態度を崩さず「ああそうですか」というような顔をしています。
私もそういう人になりたいのですが、つい、何か意見された時に「この人は私のことをバカにしている」などと「私という人間そのもの」が責められていると感じてしまいます。
意見と人間性は別物で、反対意見を述べた人は、私のことが嫌いで、私の評判を下げるために意見を言ったのではありません。
意見が違ったところで相手は敵ではありません。同じ目的にむけてよりよい方法を見つけるための作業で、仲間なのです。
頭ではわかっていても、どうしても人の言葉を気にしてしまいます。
特に、自分と相手の価値観に大きな違いがあると、相手の話を受け入れるのに抵抗を感じてしまいます。
ささいな所では、私はパクチーが大好きですが、友人から「臭くて大嫌い」といわれると、こちらが好きと言っているものをそこまで言わなくても、とムッとします。
友達はパクチーが嫌い。私は好き。それでいい話なのですが。
ここで、相手の話にいちいち腹をたてないための技術として「受容」があるそうです。
人間関係学で有名なデール・カーネギーによると、「人を批判することは何の意味もない。人の過ちや失敗などを批判し、問いただしたりしても結局は逆恨みされるだけだ。だったら批判や苦情を言わないで、そのかわり相手を理解し、なぜそのように至ったのかを理解しようではないか」と言っています。
私も、どんな意見でも冷静に受け止められる「受容」の精神を身につけたいものです。