酸っぱいブドウは心の弱さからくる幻想
朝礼ネタ6036 2025/01/28 心理・メンタルコミュニケーション人間の心というのは厄介なもので、時に無意識のうちに自分にはできないと思ってしまうことがあります。
酸っぱいブドウという言葉をご存じでしょうか。
これは、ただ単に熟す前のブドウを食べてしまった感想というわけではありません。
イソップ物語に出てくる物語の一つで、うさぎとかめや北風と太陽に比べたら、知名度は低いかもしれません。
酸っぱいブドウはでは何をあらわしているかというと、高い高い木に実っているブドウをまずは想像してみてください。
自分の背の高さよりも遥かに届かないそのブドウは、どんな味がするのだろうときっと食べたくて思いを馳せてしまう人も多いのではないでしょうか。
けれど、憧れは時に自分自身の心を凶暴化させてしまうこともあるのです。
そのブドウを食べることができた人がいるからです。
自分にはどうやっても届かない、叶うことがないそれを諌めるために、あえて、あのブドウは酸っぱいだろう、おいしくないだろうとネガティブに思い込もうとします。
これって近年のSNSでよくみる光景ではないでしょうか。
悪意のこもった文章が、恵まれている、または努力をしてなし得た人たちにも無遠慮に襲いかかる姿です。
また、もっと狭いミクロな視点でみると仕事仲間相手にもその縮図は成立しています。
頑張った相手を素直に褒める、認めることは、けして自分自身を下げることではないと理解することが必要です。
思いどおりの成果が出ない時、私自身もつい相手のあら探しをしたくなる時もありました。
けれどそれは自分の価値を下げるだけで何の意味も持ちませんでした。
酸っぱいブドウは、幻想なのです。
自分自身の努力と相手の努力を認めてあげることで、円満なポジティブなコミュニケーションは可能なのです。