車の運転ができることの喜びと失望感
朝礼ネタ5152 2022/09/17 安全規則・ルール脳性麻痺のうち、自分の意図しないところで筋緊張が起こり、体が硬直してしまうアテトーゼ型の障害を持って、私は生まれてきました。
さらに、突然大きな音が発せられると、手に持っていたコップの中身がほとんどこぼれるくらい、体全体が飛び上がってしまいます。
大きくなったら、「タクシーの運転手になりたい」と思っていたくらい、幼少期の頃から乗り物が好きだった私は、ミニカーやプラレールなどでよく遊んでいました。
ハンドルに見立てたお盆で、よく真似事遊びもしていた私は、「車の運転に挑戦してみたい」と思っていました。
可能な年齢になると、普通自動車の運転免許取得を真剣に考えるようになり、周囲に相談してみました。
すると、「運転中に硬直したらどうするの」、「突然クラクションが鳴ったらビックリするでしょ。危ないから賛成できないね!」など、多くの言葉で諭されました。
しかしどうしても諦めきれなかった私は、あの手この手で周囲を説得し、自動車学校の入校にこぎづけました。
2カ月ほど通い、仮免許と本免許の学科と実地を全て1発で合格した私は、念願の普通自動車運転免許証を手にしました。
しかし、50代に近づき加齢や障害の重度化などに伴い、運転席への乗り降りやハンドルの旋回、フットペダルの踏み込みなどの動作が格段に鈍り、徐々に負担になってきました。
左足でアクセルとブレーキを操作する私に、病院からの帰り道事件が起きました。
交差点で右折しようとしたとき、突然痙性が起こった右足がアクセルの上に乗り、いきなり吹かし始めました。
とっさに左足でブレーキを踏んだ私は、ハザードランプを点滅させ、路肩に停車しました。
右折の待機時、先頭だったことが幸いし、追突しなかったうえ、後続車に追突されることもなく、大惨事には至りませんでした。
この事件を起こしたあと、車の運転が怖くなりました。
「また運転中に痙性が起きたらどうしよう」とか「もし事故が起きたとき、被害者を救助できるのか」など、脳裏にネガティブなことばかりよぎりました。
ついに、運転することを断念した車は、妹家族へ売却、運転免許証は自主返納し、運転経歴証明書の交付を受けました。
運転免許証を所持していた頃、私を見ながら「この車、あなたが運転するの?」と不思議がられたり、目的地が同じ方向の方に搭乗を誘っても、頑なに断られたりしました。
恐らく障害の程度を外見で判断し、安全運転できることが信じられなかったのでしょうが、公に認められた運転技術を持っていた事実は、私の誇りでした。
それほど遠くない未来にAI技術などの進歩によって、自動運転が実現されれば、事故のない車社会が現実化し、障害者も1日でも長くカーライフが楽しめるでしょう。
車を運転することの喜びと、免許証を失う失望感は誰にでもありますが、障害者の私にとって、振り返れば感慨深い出来事でした。