大人の態度で振る舞うのは大変でした
朝礼ネタ4967 2022/02/21 心理・メンタルコミュニケーション私が通っていた中学校は、男子は技術、女子は家庭科の授業がありました。
私が受けていた技術の授業は、隣のクラスの男子生徒全員と合同でした。
木材でカセットテープのケースや、プラスチックモデル、トランジスタラジオなどを作成した技術の授業は、私にとってとても憂鬱でした。
私は、うまが合わなかった生徒と顔を合わせるたびに「馬鹿、馬鹿」とののしられ、いっそのこと「ぶん殴ってやろう」と思いました
私が通っていた中学校は当時、「けんかしたら期限つきの停学、生徒が教師に暴力を振るったら無期限の停学」と校則が厳しいことで有名でした。
私は「殴ってやりたいけど、校則に引っかかったら一巻の終わりだ」と言い聞かせていました。
結局中学校を卒業するまで、「馬鹿、馬鹿」とののしられ続けましたが、私はぶん殴ってやりたい気持ちを我慢していました。
その後無事高校を卒業した私は、憧れだった鉄道会社に就職しました。
厳しい研修を受けたあと、配属された職場で、私を「馬鹿、馬鹿」とののしっていた同級生と、中学校卒業以来思わぬ形で再会しました。
電車内の中吊り広告を交換するアルバイトをしていた同級生が、鉄道会社に勤めていたことにとても驚くと同時に、私は「立場が完全に変わってしまった」と感じていました。
そんな中、同級生の「やあ、久しぶりだね」や「元気だった」の問いかけに私は「こちらこそ久しぶり」「元気だったよ」と応じました。
中学校時代あんなに馬鹿にしていた同級生のすっかり変わった様子に驚きました。
私は「大人の態度でなければいけない」と言い聞かせ、時折顔を合わせてもお互いに馬鹿にせず、穏便に自然に仲直りしていました。
その後ほかの職場に異動になった私は、同級生と一緒に飲みに行くことがとうとう叶いませんでした。
正直なところ、私はあの職場で同級生と再会するとは思っていませんでしたが、短い期間であっても同じ鉄道会社で勤務したことは財産として残っています。
立場が逆転し、まともに見られなかった同級生に、大人の対応でしのぎましたが、正直なところかなりドギマギしていました。
次回、どのような形で同級生と再会するのか、楽しみでもあり多少オロオロしている私は、より大人の態度で振る舞っているかもしれません。