他人を踏みつけた者の末路
朝礼ネタ2580 2021/01/01 故事ことわざ名言・格言教育自分さえよければよい、とばかりに、他人を踏みつけて生きていこうとする人が、ごく少ないとはいえ、確かにいます。
憎まれっ子世にはばかる、ということわざ通り、そういう人が意外に出世する、という見方もあります。
しかし、普通の見方をするなら、他人を踏みつけた人は、いつか誰かから踏みつけられて、みじめな末路を迎えるのではないでしょうか。
昔、三国志のコミックで、こんなエピソードを読みました。
中国の昔の、戦国時代のお話です。
ある国の王様は、国民を虐げる政治を行っていました。
国民は、王様を恨んでいました。
あるとき、よその国が攻め込んできて、王様は城を追われて逃げ出しました。
家来たちはみな散り散りになり、王様ひとりが、ある民家にたどりつきました。
王様は、水を一杯もとめました。
しかし、彼が王様だと知ったあるじは、
「お前に飲ませるくらいなら、こうしてやる」
と、水瓶を蹴とばして、ひっくり返してしまったのです。
もちろん、その当時ですから、水道の蛇口をひねればジャーと水が出るわけではありません。
1リットルで1キログラム、10リットルで10キログラムの重さの水を、遠くの泉や川から運んでくるのです。
その貴重な水を、地面に流してでも、お王様にだけは飲ませたくなかった、というわけです。
王様は、こんなにも自分は憎まれていたのか、とわかって、死んでしまったそうです。
いかがでしょうか。
人を踏みつけ、人の憎しみをかえば、人はもう助けてくれません。
人は助けて、助けられて、生きていくものです。
それなのに、助けてもらえなくなったら、末路は悲惨なものでしょう。
人を踏みつけにして、自分さえ良い思いができれば、というのは、結局うまくいかないだろうと思います。