いくつになっても挑戦する人は、輝くことができます
朝礼ネタ1879 2021/01/01 故事ことわざ教育自己啓発今日は、歳を取ってからも新しいことに挑戦して、日本を変える仕事をした人の話をします。
伊能忠敬は、江戸時代の商人でした。元々この人は有能な人材であることを見込まれて伊能家に婿入りすると、わずか17歳で伊能家の家督を継ぎました。当時の伊能家は当主が不在の中に事業を縮小していたところです。忠敬が当主となってからは、伊能家の復興が急務となりました。若い当主だから、初めの頃は苦労の連続でしたが、幸いにも復興に成功しました。
忠敬は、息子が成人に達した頃に隠居を考えました。その時は既に50歳になっていました。隠居後にしたのが星の勉強です。天文学者として名高い高橋至時に弟子入りすると、熱心に勉強を重ねていました。_橋至時の方が19歳も若かったが、気にせずに教わっていました。
_橋至時は、暦をきちんと作る仕事をしていました。それには正確な地球の大きさをする必要があります。江戸から蝦夷地までの正確な距離がわかれば、地球の大きさがわかる。そのために蝦夷地に行く必要がある。そのついでに蝦夷地の地図を作ってしまおうと計画した。そこで始めて地図を作ることに繋がります。伊能忠敬にその仕事が与えられたのです。
伊能忠敬が蝦夷地の測量をすることになったのは、55歳の時でした。普通なら、蝦夷地に行くことがない年齢です。江戸時代なら死んでいてもおかしくない年齢だった。それでも忠敬は蝦夷地の測量を成し遂げました。
その仕事が非常に高評価だった。それで新しく測量の仕事が与えられると、日本各地に出かけて、72歳まで歩き続けて、ついに全国の測量を完成してしまう。その地図は、忠敬の死後に完成して、明治時代まで精度の高い地図として知られています。
年齢が嵩めば、新しいことに挑戦するのが嫌になります。難しいことであれば、なかなか難しいです。それを忠敬のように50歳を超えても新しい物に挑戦した人も居ます。それを見ていたら、皆さんはまだまだ若いです。だから頭も柔らかくて難しいことでも勉強することができます。
これから業務が変わって新しい仕事をする人も出てきますが。まだまだ現役だと思って頑張っていくなら、きっと新しいことでも成功できます。諦めずに挑戦していけば、それができます。
新しいことに挑戦するのは大変だと思いますが、伊能忠敬のように挑戦してみて下さい。