白穏禅師の教えと社員の使命
朝礼ネタ1674 2021/01/01 故事ことわざ名言・格言笑顔江戸時代の高僧に白穏という人がいました。ある日、世の真理や自分のなすべきことが分からなくなった武士が、寺にいた白穏に問いかけました。「極楽や地獄はどこにあるのでしょうか?」と。
白穏は予想を裏切る返答をしました。「何を血迷ったか。極楽や地獄をお前のような武士ごときが語るのは百年早いわ。そんなことを尋ねるお前はよほどの腰抜けであろう」と。
武士は激怒しました。「侮辱にもほどがある。腰抜けとは何だ!」と、刀に手をかけました。
白穏が「腰抜けを腰抜けと呼んでどこが悪い」とバカにした口調で応じると、武士は刀を抜いて白穏に襲いかかりました。白穏は済んでのところで刀をかわして本堂から庭に逃げ出します。武士は両手で刀を持ったまま、白穏を追いかけ追いつきそうになりました。
白穏は一喝しました。「それを地獄というのじゃ!」と。その声にはっとした武士は、呆然となって動けなくなりました。
そして、我に帰った武士は刀を収め、両手を合わせながら「ありがとうございます。拙者はやはり腰抜けでした。一時の怒りで大変なことをするところでした」と一礼をしました。
白穏は、武士の態度にうなずきながら、「それを極楽というのじゃ」と語ったとのことです。
ここまで話すと、社員の皆さんにはよくお分かりと思います。極楽や地獄は人間の心の中だけにあると。そして、地獄の本質は人と人とが不信のあまり憎みあうことで、極楽はその反対であることが。さらに言うと、極楽とは、人の話を虚心に聞いてそれを理解し、この世の道理に反しない行動をとる場合にのみ現れるとも言えます。
部下同士が対立して地獄が現れようとしているときに、それを制止できなければ社員でいる資格はありません。いわんや、自分自身がパワハラを行うなどで地獄を作り出すのは論外です。
会社の全員が地獄に落ちないためには、社員として業績を意識するのはもちろん必要です。でも、そればかりになってしまうと、やはり地獄が現れます。先ほどの白穏の話を時々は意識することも、社員の基本と言えるでしょう。