水木しげるの南方でのエピソードから思うこと

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  • 皆さんは漫画はお好きでしょうか?私が最も敬愛する漫画家は、水木しげる先生です。
    水木先生は戦時中に招集され、ニューブリテン島で爆撃に遭い左腕を失うという過酷な体験をしました。

    水木しげるを語る上で欠かせないのが、ニューブリテン島の先住民であるトライ族との交流です。
    水木先生はトライ族と仲良くなり、度々集落を訪れたり食料をもらったりしていたそうです。
    遠い異国の地で、言葉も違う相手と交流を深められるという、水木先生の人柄を感じさせるエピソードです。

    終戦後、水木先生は現地除隊し、ニューブリテン島に永住してトライ族と一緒に暮らそうかとも思ったそうです。
    しかし、軍医に説得されて結局日本に帰ることとなりました。
    これらのことは『ボクの一生はゲゲゲの楽園だ』などの漫画にも描かれているので、興味がある方は是非読んでみて下さい。

    水木ファンである私はたまに思うのです。もし水木先生が本当にニューブリテン島に残っていたらどうなっていただろうかと。
    その場合少なくとも、日本で漫画家としてデビューすることはなかったでしょう。当然『ゲゲゲの鬼太郎』も『河童の三平』も生まれなかったはずです。

    現在の日本人が考える「妖怪」の概念は水木先生の強い影響下にあります。
    「塗り壁」と言う名前を聞けば多くの人は、水木先生が描いたあの壁に手足が生えた妖怪の姿を思い浮かべるでしょう。
    もし水木先生が漫画家になっていなかったら、我々の「妖怪」に対する認識は大きく変わっていたはずです。

    水木先生を説得した軍医本人は、歴史に名を残すような偉業を成し遂げたわけではありません。
    しかし彼がいなければ「漫画家・水木しげる」は誕生していなかったわけです。そういう意味では、日本の文化に間接的に多大な影響を与えた人物とも言えるわけです。
    そう考えると、人と人との繋がりというのは面白いと思います。




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