1月27日の旧幕府軍の敗北から学ぶ事
朝礼ネタ5329 2022/01/27 1月今日は何の日?1868年1月27日に薩長など新政府軍と
旧幕府軍の間で鳥羽伏見の戦いが起きました。
当時からなぜ大軍を擁する旧幕府軍が、少数の新政府軍に
敗北したのか、かなり詳しく分析がなされてきました。
今回は旧幕府軍の敗因を考える事で、現代社会における
仕事の場面に参考にしたいと思います。
開戦当時、旧幕府軍は、薩長などを中心とした新政府軍の
約3倍程度の大軍だったそうです。
また武器も旧幕府軍は主にフランスからの援助で急激に近代化しており
新政府軍と互角に渡り合える程度の近代化をしていた事が今では
分かっています。
つまりこの時点では、旧幕府軍が敗北する理由はあまり見当たりません。
しかし歴史が示しているように旧幕府軍は新政府軍の前に敗北してしまいます。
敗因は諸説あるんですが、まず言えるのが指揮官の差が勝敗を分けたと
言われています。
仕事でもそうですが目的が同じでも指揮官に差があれば目標到達には
自ずから差が生じてしまいます。
旧幕府軍は、将軍徳川慶喜は体調不良もあり開戦当時、鳥羽伏見の戦いに
参加しておらず、竹中重固に率いられて京都に向けて進んでいきます。
元々京都に出向く過程でまさか戦いになるとは思っていなかった兵士が
旧幕府軍には多くいたそうです。
このため鳥羽街道に向けて進んでいた旧幕府軍はかなりの兵士が
戦闘準備ができておらずいきなりの武力衝突に驚いてしまった兵士が多数いました。
しかも鳥羽街道で指揮をとる事になっていた滝川具挙は薩摩藩の発砲に
驚きいきなり現場を放棄し、戦場から早々と離脱していきました。
さらに本陣で戦況を見守り、全軍に指揮をしなければいけない立場の
竹中重固も、自軍を放置したまま戦闘途中で戦場から撤退したそうです。
これに対して西郷隆盛など新政府軍の指導者はそれぞれが
任せられた役割を最後までやり遂げました。
仕事で大事なのは責任者が現場を知り、現場で皆を指導していく
事だと思います。
武士としての責任を果たす事を、全うできた新政府軍は、
数的な劣勢をはねのけて、新しい時代を切り開く事ができました。
私たちは、現場を大事にし、自分に委ねられた責任を全うする事の大事さを
鳥羽伏見の戦いから学びたいと考えます。