「今、何を為すべきか?」ー道を誤りかけた黒田官兵衛ー
朝礼ネタ5180 2022/10/15 尊敬する人豊臣秀吉の天下取りを裏から支え、戦国時代随一の知将と評判が高い黒田官兵衛ですが、
そんな官兵衛でも少年期には一時、道を誤りかけたことがあるといいます。
その頃の黒田家は播州を治める豪族小寺家の一家老で、せいぜい1万石程度の小領主でした。
油断すると即刻領地を収奪される弱肉強食の戦国の世ですから、
領主の嫡男である官兵衛にとって、武芸の鍛錬は幼い頃から必要不可欠なものでした。
しかし官兵衛14歳にして母を失った時、そのショックのせいか、
それまで熱心だった武芸の鍛錬をピタリとやめてしまい、母が好きだった和歌の世界に没入してしまいます。
当時の武将は交流の場の嗜みとして、和歌連歌の教養も大切なのは確かでしたが、
それも領地領国を守っていけるだけの武力を持った上でのことで、
領地を失って家が滅亡しては、教養云々は何の足しにもなりません。
将来の領主である官兵衛のこの心変わりは、黒田家にとっては一家の存続に繋がる全く由々しき問題でした。
この状況を見かねた、官兵衛の学問の師・円満坊が官兵衛に切々と説きました。
曰く「世は天下騒乱の時、戦の絶えることなし。
御家の周りの者共は武威を整えて隙あらば御家の領地を掠め取らんとしておる。
そんな今、まさに汝は何を為すべきや。
物事に順序あり。急ぎ為すべきものと、そうでない事がある。それを肝に銘じ、己を省みるべし。」
師の諭しを聞き入れた官兵衛は心を奮い立たせて、再び武芸の修練に精を出し始めたといいます。
長じて名軍師と称された官兵衛は、数々の困難な場面を切り抜けていきました。
その場面々々では必ず、「我は今、何を為すべきか」と自身に反問することの繰り返しだったことでしょう。
その答えが一回でも間違っていれば、名軍師・黒田官兵衛はなかったに違いありません。
「今、何を為すべきか」
これは現代の社会では、優先順位やプライオリティという、仕事上極めて重要な単語に置き換えることができます。
400年の昔も今も、大切な真理は変わっていません。