優しさに触れたおかげで、顔が半分隠れていても相手の表情がわかるようになった
朝礼ネタ5156 2022/09/21 尊敬する人マナーコロナ禍前まで、個人の健康への意識に委ねられ、エチケットのような感覚でマスクが広まっていました。
感染症への不安があり、時折聞こえる「マスク美人」という言葉を気にしている気持ちの余裕がありませんでした。
外だけではなく家の中でも、誰もがマスク顔が当たり前になった現在、目から下はみんな同じに見えます。
人の印象に影響を及ぼす顔の表情はとても重要ですが、マスクで半分隠れているため、どのような感情を抱いているのか、判断が難しくなっています。
笑い声交じりの口調でも、笑っているように見えないのが気になると、私は意識してオーバーに表現することがあります。
見えていた部分が見えなくなったことへの違和感に、知らず識らずのうちに疲れてしまうこともあります。
マスクをつけているだけで、何かが相手をブロックしてしまっているように感じる瞬間が増えました。
より思いを伝えるため、お礼の言葉と共に一礼したり、見えなくなるまで手を振って見送ったり、自然に動作がそえられるようになったように感じます。
そんな変化に気づき始めた矢先、電車に乗ろうと前に足を1歩出した瞬間、足の裏が地に着かず「ヤバイ」と思ったときには、電車とホームの隙間に脚の付け根まではまってしまいました。
突然の出来事にどうしたらいいのか、頭が真っ白になってしまった中、「とにかく脱出しないと命が危ない」と焦っていたとき、ふわっと体が浮きました。
緊急事態宣言の最中、ところこころにしかいない乗客の誰もが、周囲を気にせず電車を待っていた中、結構あった距離をものすごいスピードで走り助けに来てくれた人がいました。
「ありがとうございます」と伝えると、「大事に至らなくてよかった」と言ってくれました。
マスクをつけていたのに、声や言葉がとても優しく聞こえ、まなざしまで優しく語りかけてくれているような不思議な感覚を覚えました。
この一件があったあと、マスク顔を見慣れたからか、たまたま感じのよい人たちに出会えているからか、半分顔が隠れていても、相手の表情がわかるようになりました。
見えなくなった何かを補うため、「何かが鋭くなる」と言われているように、言葉で表現し難い見たり、見えたりする尺度は、日常生活の中で感覚や伝え方が磨かれていくでしょう。
女性なら誰もが憧れるはずの「美人」は、見た目だけではなく、美しさが内面に備わっている人だと、改めて気づかされました。