幕府崩壊から考える指揮官の大事さ
朝礼ネタ4902 2021/12/11 効率化歴史が私は好きです。具体的にいうと読書をして歴史上に人物の考えや判断を
現代社会や私自身の生き方に置き換えて考える事をよくします。
最後の征夷大将軍である徳川慶喜は極めて有能な人物だったと
いわれており幕末期には何度か将軍候補に名前が挙がるほど
多くの大名や幕臣の人たちから期待を受けながらもタイミング
が合わず幕府消滅にの2年前の1866年にようやく将軍になれた
人物でした。
慶喜は幕府という組織を立て直す多くの改革を実施します。
フランスと付き合いを深め軍の近代化に着手。
自分自身の後継者は国際感覚を磨かせるため徳川昭武を
パリ万博博覧会に派遣し見聞を広めさせます。
また人材登用も積極的に推進していきます。
パリ万博の会計責任者として一橋家からの家臣である
渋沢栄一を自ら推挙し国際的なビジネス感覚を学ばせ
ます。
徳川慶喜は、これからの徳川幕府は国際性を身に着けた
近代的な国作りこそが大事でありその中心を幕府が握って
いこうと考えて文明的な幕府を目指していきます。
しかし、徳川幕府はすでに時代的に多くの点で遅れて
おり、薩摩や長州など新しい組織作りを目指す人たち
には不要な存在でした。
彼らは徳川という一つの家が特別化されながら多くの
既得権を温存した形での国の政治の進め方に公然と
批判してきます。
徳川慶喜は、この批判勢力と対決を決意します。
即ち鳥羽伏見の戦いです。
鳥羽伏見の戦いは戦力の点では幕府軍が有利で
した。
しかし実際に戦闘を指揮する指揮官が戦闘途中で
戦場から離脱する行為を行います。
また幕府軍から離脱してしまう藩が戦闘中に
出るなど徳川家の勝利という目標を目指して
懸命に頑張る組織とは言い難い、組織の瓦解を
起こしてしまいます。
負けるはずのない戦で負けてしまった幕府軍。
その敗因は統率すべき指揮官の理解しがたい戦場離脱
といえます。
いかに有能なトップがいても実際の仕事をする責任者が
統率の取れない場合は目標を順調に到達する事はできないと
私は幕府崩壊から考えます。