学ぶ機会を無意識のうちに限定してしまうことの問題
朝礼ネタ4364 2021/01/01 心理・メンタル例えば、ゲームをしているようなシーンを見て、勉強をしていると捉える人はほとんどいないでしょう。
しかし、これはなぜそう思うのか?について答えを出せるでしょうか?
一般的にゲームは娯楽であり、娯楽=勉強ではないと考える人が多くいるからというのが妥当な回答になると思います。
実際にゲームはプレイしていて楽しいと思う人が多くいるため、娯楽と見なすのは良いと思いますけど、なぜ勉強にはならないのでしょう?
ゲームをしていて、そこから学ぶことは一切ないと言い切れるでしょうか?
ゲームをプレイしていて、何かしら得るものがあり、それが今後の自分の人生、または仕事などに役立つ機会がないとは限りません。
これはゲームだけではなく、娯楽を含めた私たちが日常的にしていること全てに当てはまるはずです。
人は生きている中で、何かを学ぶ機会が豊富に存在しているはずなのですが、それに多くは気付かないのでしょう。
勉強はこういうものだという固定概念を持っており、それ以外は学ぶ機会ではないと無意識のうちに考えてしまっていると思われます。
だから、本来は何かしら学ぶことができる場合においても、それを自ら放棄してしまっており、貴重な機会を無駄にしている可能性があるでしょう。
私は日ごろから学ぶ機会は山ほどあるという認識に立ち、どんなことからでも学ぶ姿勢を見せていきたいと思います。
何が仕事に役立つか?分かりませんから、そういった部分に貪欲でいるという気持ちは忘れないでいたいのです。