疑心暗鬼の本当の意味
朝礼ネタ2659 2021/01/01 故事ことわざ疑心暗鬼という熟語についてお話いたします。この言葉は2000年以上前の中国春秋戦国時代に書かれた列子という道教の書物に載っている言葉だそうです。
ある人が斧を紛失したため、隣の息子を疑いました。そうするとその息子の歩き方から話し方などすべて疑わしいように感じたそうです。ところが、窪地から無くしたはずの斧が出てきたのです。その後、犯人と思っていた息子を見ると、その言動はどう考えても斧を盗むようには感じなかったそうです。
疑心から暗鬼が生まれると中国では言うそうですが、疑いから判断力が損なわれるという意味になるのです。日本では疑心暗鬼というと、なんでもない事にも疑いを必要以上に持つという意味が強いですが、中国では判断力が落ちるという方の意味が強いようです。
何か物が無くなったら、むやみに人を疑うことは勿論いけないことですが、証拠もなく自分の当て推量で判断することの危険性を戒めた言葉と思われます。
別の言葉に坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという言葉がありますが、一度思い込むとすべて悪い方に考えやすいという意味では同じことだと感じます。
本当にそうなのかと掛かって考える癖が、大事なのではないかと思います。世の中にはハラスメントの冤罪が多く見受けられますが、冤罪を晴らすことは容易ではないことを知っておかねばなりません。
一方的に物事を見てはいけないような気がしますので、仕事でもブライベートでも十分に気を付けたいと思います。