自由が不自由になっていませんか

  • 追加
  • 今回は20世紀のフランスで活躍した哲学者、ジャン・ポール・サルトルと彼の思想についてご紹介してゆきます。

    まず彼の思想の大元になっている「実存主義」についてご紹介します。

    実存主義のテーマを最も端的に表現した言葉は「実存は本質に先立つ」でしょう。

    ここに1個のお饅頭があるとしましょう。

    お饅頭は和菓子職人が作り、和菓子職人はお饅頭がどういうものであるかを理解していなければなりません。

    当然の事ながら職人はお饅頭を作るときに「お饅頭を作ろう」と考え、こねた小麦粉であんこを包んで蒸かします。

    これはつまり、最初に存在するのは「和菓子職人のお饅頭に対する知識や概念(本質)」であり、それによって「物質としてのお饅頭(実存)」は生み出される、「本質は実存に先立つ」ということになります。

    人間も同様に宗教の力が強かった時代においては神が人間を創った、つまりお饅頭と同様に「本質が実存に先立」っていました。

    しかし現在ではそれ以外の視点、つまり「人間は何の目的もなく生まれ(実存)、成長するにつれ自分の生きる意味(本質)を見出す」が登場しました。

    これを実存主義では「実存は本質に先立つ」と表現し、「人生の目的を自分で定めること」は人間のみに与えられた特権であると考えています。

    これは一見素晴らしい事に見えるかもしれません。

    しかし、人生の目的を「神に仕える」と宗教が決めてくれていた時代、人間はそれ以外の行き方を選択することは困難であったものの、人生の目的について思い悩む必要はありませんでした。

    しかし、宗教の力が弱まり、自由を得た現代の人々は、どのような人生を選ぶ音が出来るという権利と同時に「何をしていいか分からない」「人生の目的を自分で見つけ出さなくてはならない」という悩みを背負う事になってしまったのです。

    サルトルはこれを「我々は皆自由の刑に処されている」と表現しました。

    自由とは耳ざわりのいい言葉ですが、自由の本質は無秩序、無指向性です。

    「自分のすべきことは一体何なのか」、「自分はどのように生きるべきなのか」、自由が「刑罰」になるか「恵み」になるかは我々の心構え次第といえるのではないでしょうか。




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