自分の正しさを証明するためにやることが必ずしも正しいわけではない
朝礼ネタ6081 2025/04/01 社会・経済世の中にはうまくいっている成功者に対してすごい嫉妬を抱いたり、今の自分の境遇を呪っているように話すような人たちもインターネット上を中心にいるようです。
しかし、いくら自分の境遇を呪ったり、成功者に対して常に嫉妬していても現状は変わりませんし、たとえ成功者と呼ばれている人が近い将来没落したとしても自分の生活が豊かになることはなく、せいぜい溜飲を下げることくらいにしかならないと思います。
しかし、このような嫉妬に焼かれてしまった人というのは自分の目的が「溜飲をさげる」という一点に特化しているので、インターネット界隈では一人の人にやたらとかみついたり、重箱の隅をつつくようなことまでして自分の正しさを証明しようとします。
私から見ると自分の目から見て正しくないことをやっている人たちと関わらずに済むのがインターネットの世界のいいところなので、たとえ相手が間違ったことをして相手が困ろうがどうしようが関係ないというスタンスでやればいいというスタンスで深入りしなければいいのにとさえ思います。
彼らに共通するのは何でも監視されたような一種の閉鎖空間の田舎の社会と同じ息苦しさを感じてなりません。
私は、仕事でもプライベートでもあまり相手に深入りすることなく自分の利益の追求を第一に考えているので、彼らのこのような行為は「すごい」の一言で片づけたくなります。
会社でも「お前のことを思って言ってやっているんだ」と説教を垂れる上司がこれにあたるのかもしれません。