少し違った方向から物事を見る
朝礼ネタ5063 2022/05/23 社会・経済心理・メンタル多くの人は多少なりとも自分の行っていることには何らかの意味はあると思って生活しているようです。しかし、果たして本当に自分のしていることに何らかの意味というものがあるのでしょうか。
私たちが毎日会社に行ってそこで何らかの活動をし、その対価として会社から毎月お給料をもらっているのだから、小さな枠組みで考えれば、少なくとも私に会社にお給料分だけ払うということは、その分だけは会社から必要とされていといえます。
しかし、実は私のやっている仕事とは私の隣に座っている人でもできる仕事であり、もっと言えば、その人でなくとも、その仕事をこなせる人ならば会社としては誰でもいいのです。そして、その仕事は私の勤めている会社ではなくても別な会社がやっても別に構わないのです。
そのように少しずつ考えて続けていくとこの世界には本当の意味で必要なものはないともいえるのではないかと私は考えてしまうことがあります。このようなことを誰かに話せば「ちょっと医者に診てもらえ」とか「今日仕事が終わったら飲みに行こうぜ」などと親切な人は声をかけてくれるかもしれません。
多くの普通の人というのはそのような考えても何にもならないことは多少は疑問を持つことはあってそれを前に出すことはせず、それはそれとして普通の生活を送っています。しかし、ごく一部にそのような問題が気になってそれ以外のことが手につかなくてしまった人たちは象牙の塔でその問題と真剣に向き合っているようです。
私も仕事に少し行き詰った時にはそのような本に手を伸ばし、自分を見つ直す時があります。