転んでも笑いながら一人で立ち上がる素晴らしい仲間
朝礼ネタ4794 2021/08/23 スポーツオリンピック東京パラリンピックでは、障害を持った世界中のアスリートが、場合によっては健常者以上の素晴らしいパフォーマンスを見せてくれます。どうしてそんな事が出来るのでしょうか。もちろん、人知れず血のにじむような影の努力がそこにあったからには違いないのですが、なぜそこまで出来るのか。恐らく、当のアスリート達は、障害を障害と思っていないからではないでしょうか。彼らにとって当たり前の状況であれば、傍から見て、「気の毒に」と思われても、ちっともそのようには思ってないのでしょう。不自由であれば、その不自由を何かで補えば良いと、思っているからでしょう。
目の不自由な盲目の方が「目が見えないことは決して不幸ではない。」と言っていました。笑みを浮かべながら、「見なくても良いものも目に入ってしまえば、健常者には不幸になる場合もありますから、余計なものを見ないで済みます。」とおっしゃっていました。
ようやく日本でも多くの職場に障害のある方もいっしょに働く機会が徐々にではありますが増えてきました。障害のある方を本当の意味で理解する良い機会です。
小学生の頃、足の不自由なクラスメートがいました。一緒に遊ぶにも、駆け足が出来ず、仲間になかなか追いつけません。野球をやっても、ベースランニングでよく転びます。しかし、同級生たちは、一切手を貸そうとしませんでした。それは、決して意地悪ではなく、最大級の友情の証でした。そのことを承知している彼は転ぶたびに、ニコニコしながら立ち上がるのです。
東京パラリンピックで繰り広げられる素晴らしい競い合いに、健常者として、もっと頑張らねばと思うことも大切ですが、それよりも、もっと障害のある方々をしっかり理解して、共に仕事を成し遂げる仲間として、こころからむかい入れる気持ちを世界中の人々と共有したいものです。