中浜万次郎は、好きでアメリカに行ったわけじゃない
朝礼ネタ1784 2021/01/01 故事ことわざ今日は、不本意な事件で人生を狂わされながらも、自らの運命を切り開いた人について話をします。
中浜万次郎は、元々は土佐で漁師をしていました。14歳の時に漁をしている時に強風に流されて遭難してしまう。それで無人島に漂着しました。そこで5ヶ月ほど生き延びると、アメリカの捕鯨船に見つかって救助されました。当時の日本は鎖国をしていたために戻ることができず、アメリカで暮らすことになった。
まだ若い万次郎は助けてくれた船長の家族となって、アメリカの教育を受けて立派な人間に成長した。大人になった万次郎は捕鯨船で働くことを選んだ。
そうして働いていたが、日本に帰りたいと言う希望を捨てきれずに、漂流していた仲間と共に資金を貯めると小舟を買った。それから琉球へと上陸すると、スパイと疑われて捕まって尋問された。
それからの万次郎は土佐に送られると、その持っていた知識のおかげで藩校の先生になって教えることになる。万次郎の持っていた西洋の知識は、幕末の人にとって無くてはならない物だから。それと同時に万次郎は武士になって中浜万次郎と名乗ることになる。
その後、黒船が到来したことで、万次郎の運命は大きく変わる。万次郎の英語の知識が欠かすことが出来ない物だったから。それで大いに働くことに。幕末の時代に万次郎がいなかったら、幕府の交渉に支障を来したのは言うまでも無い。
このように、不遇の時代を過ごしていても、そこで勉強していたことが後に役立つことはいくらでもあります。中浜万次郎は好きでアメリカに行ったわけではない。偶然それをした訳ですが、それが後の時代に役立つと、大いに活躍することになった。
このように、希望通りの仕事をしていなくても、それが将来的に役立つ可能性があります。その知識が役立つ時代が来れば、能力が花開くことになります。だから、仕事をして手に入る知識は、後のあなたを伸ばす物になります。それを忘れないで下さい。