物の豊かさの果てに気づいた心の貧しさ
朝礼ネタ1134 2021/01/01 自己啓発「豊かさ」という言葉から何が連想されるでしょうか。私がまず思い浮かんだのは「物の豊かさ」です。現代は技術や物流が発展し、お金さえあれば欲しいものを、欲しいときに手にすることが出来る時代になりました。しかし先日、「豊かさ=物の豊かさ」という私の中の公式を覆す出来事がありました。
いつも通り仕事を終えて家に帰ると、妻が「今日会った友達からお土産で貰った」と有名などら焼きを私に差し出しました。お腹が空いてなかった私は「後で食べるから取っといて」と言い、お腹がすいたときにでも食べようと思っていました。
しかし次の日の夜、小腹がすいたのでどら焼きを食べようと冷蔵庫を探すも、見当たりません。妻に「昨日のどら焼きはどこか」と聞くと、「今日荷物が届いたんだけど、配達員のお兄さんにあげてしまった」と言います。多少腹が立ちながら、どうしてその配達員にあげたのか聞くと、「一回目の配達の時に不在で、不在表が入っていた。今度は時間指定で再配達してもらったのだが、約束の時間をすっかり忘れてしまい、結局3回目でようやく荷物を受け取れた。手間をかけてしまって申し訳なくて、ちょうど冷蔵庫にあったどら焼きをあげた」ということでした。
私の分だったのに、と妻に不満をもらそうとしましたが、はっとしました。お金を払い、宅配を受け、その荷物が早ければ翌日には届く。自分が不在でも、再配達の依頼をすれば、その日中にはまた配達員が来てくれる。当たり前と言われてしまえばそれまでですが、果たしてそうでしょうか。お金さえ払っていれば、何度でも配達員が自分の都合に合わせて来てくれる。それはきっと技術やサービスが発達した国ならではです。長い間それがスタンダートになっているから当たり前に感じますが、届けてくれるのは機械でもなんでもない、「人」です。それを忘れてはいけないと思いました。
物やサービスが溢れ「豊か」になっていく半面、「心の豊かさ」は薄れていっているように感じます。そういう意味では、心の豊かさは、私より妻のほうが持っているのだな、と感じた出来事でした。