正しいことが正解とは限らない
朝礼ネタ2718 2021/01/01 教育・学習支援落語はなんで面白いのかというと、業への許しだからという言葉を知りました。
どういうことかと言いますと、落語で出てくる人たちってどこかしら間違っているんです。正しいことばかりする、すばらしい人は主人公になれません。
だから、そんな過ち、罪を笑いで処理をすることで、ホッとさせてくれるんです。私たちも、正しいことばかり押し付けられたら息が詰まりませんか?
どこかしらちゃらんぽらんな人の方が安心感があるのはそういうことかもしれません。
スヌーピーの飼い主のチャーリーの言葉で、こんなものがあります。正しいことだけが人生の全てとは限らない、というものです。
チャーリーがこの言葉を使った理由は、スヌーピーのために学校を辞めようと考えたからです。それは褒められた話ではありませんし、誤った選択だと先生は言います。あなたがチャーリーなら、それですんなり、はい、分かりましたと納得できますか?
チャーリーがその場で一歩も引かずに自分の気持ちを通したのは、間違っていても自分の中の正しさを主張したかったからではないでしょうか。
きっと、過ちを犯した人は自分が間違っているだなんて考えていなくて、どこかしらその行いに至った背景があるわけです。
支援者となる私たちが、対象者に信頼されるのは、こういう点を認めることではないでしょうか?
落語が人から愛されるように、私たちもその人たちの過ちに共感して、寄り添うことができれば、信頼される支援者になり得ると私は思います。