読み聞かせというツール

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  • 絵本の読み聞かせは子育てをしている人、また子供に接する機会が多い人は経験しているのではと思います。

    その絵本の読み聞かせですが、幼児期の人格形成に大きな役割を担っていると言われおり、今や、産まれて間もない新生児や胎児に読み聞かせをすることも有効なのだとか。

    フレデリック大王の実験をご存知でしょうか。
    触れ合いをせずに赤ちゃんを育てるという実験が、修道院でなされたのです。
    赤ちゃんが修道士を見ても、目を合わせない。
    笑いかけても、笑い返さない。
    結果は、実験が終わる前に赤ちゃんが死亡してしまったそうです。

    子供にせがまれて絵本を読むとき、私たちはいつもではしないような、オーバーアクションであったり、声に抑揚をつけてみたり、絵本の中の登場人物になってみたりして、子供が楽しんでくれるよう読んでいませんか。

    それは、直接的なスキンシップはありませんが、子供たちとの触れ合いになっていると思います。
    自分の声色で驚いたり笑ったり、その子供を見て読み聞かせている大人もまた笑顔になったり、わざと怖い顔になってみたりというコミュニケーションが生まれます。

    大人になってからも、是非、機会があれば読み聞かせてもらって下さい。
    小学校や幼稚園の行事で、何度か絵本の朗読をしてもらったことがあるのですが、大人でもやはり楽しいのです。
    安心して感情移入ができるというか、心地よいのです。

    そして普段では見落としがちなことや、忘れていたことなどを「あ、そうだった」と思い出させてくれるのです。

    身近に子供がいない人は、なかなか絵本に触れる機会もないかもしれません。
    もし本を手に取る機会がありましたら、ついでにパッケージで選んでもタイトルで選んでもなんでもいいので、一冊手に取って読んでみてください。
    きっと初心に返れると思います。

    何が大事なことなのかを見極める力を、過去にも未来にも必要とされる場面は沢山あります。
    シンプルにそして、初心に返る、大事なことではないかと思います。
    その一つのツールとして、またコミュニケーションのツールとしても、絵本の読み聞かせを活用していくのも手だなと思っています。

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    本当は怖いグリム童話について

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  • いわゆる「おとぎ話」というものは、親や大人によって子どもの眠る前に読み聞かせてあげるための虚構の世界を描いた物語のことを指していることが一般的となっています。だからこそ、子供の興味を引くような、またフィクションの虚構の世界観に満ち溢れたストーリーが展開されることも至極当然だと思われています。

    ところが、じつはおとぎ話の代表格であるグリム童話であっても、原作とは違った結末になるよう、話が書き換えられていたのだそうです。
    グリム童話とはヤーコプ・ルートヴィヒ・カルル・グリムとヴィルヘルム・カール・グリムからなるグリム兄弟によって編集された童話集ですが、たとえば、有名なところで次のような原作とその後の書き換えによる違いがあると言われています。

    赤ずきんちゃんは、狼に食べられてしまったままで、救出されることはなかったとされていますし、シンデレラの話では、足のサイズがガラスの靴に合わなかった継母たちは、自分がお姫様だと主張できなかったと落ち着くことになりますが、原作のなかでは、継母らは、自らの足の指先を切断してまでも、血をにじませながらも、ガラスの靴を履いてみせようとしたといった話になっているのだそうです。

    また、それだけでなく、白雪姫は毒リンゴを食べて生き返ることはなかったとされていますし、そもそも白雪姫に嫉妬して彼女を亡き者にしてしまうよう命じたのは、実の母親であったとされています。

    これらは子どもが耳にすることで幼い記憶のなかに残忍性のようなものを芽生えさせる害悪となる可能性があるとして意図的に書き換えられたとされていますが、現代社会での猟奇的な事件を目の当たりにしていると、一概にはそうとも言えないのではないかと言う気がしてしまうのもまた事実です。

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    私は今、嫁をもっと大切にしようと思っています。

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  • 「袖振り合うも多生の縁」という諺があります。
    この中の「多生」を、今まで「多少」だと私は思っていました。だから衣服の袖がほんの少し触れあうだけ事でも、縁は縁だから、という程度に解釈していました。
    しかしこれは大きな間違いでした。

    多生というのは仏教における言葉です。
    仏教では、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六道があり、人はその生き方によって六道に生まれ変わる輪廻転生を繰り返すとされます。
    永遠ともいえるこの輪廻の中で、私たちは今、人間道の世界に生まれ、身の回りの人達と出会っています。その出会いはだから無いに等しい程の稀有な出来事なのです。

    難解な仏教の教えを十分に理解し得ない私は、拙い今様の解釈を私なりにしてみました。
    現在の世界に生きる人の数約70億人ですが、そのほとんど大部分の人達とは一生出会う事も無く私は死んでゆきます。

    そして、過去人類が誕生してから現在までに生きてきた人の数はどれぐらいでしょうか。
    さらにはこれから将来にわたって、人類が絶滅するまでに生まれ死んでゆく人な数は、と考えると、その数は想像もつかない程の天文学的数字になるのでしょう。

    そんな膨大な数の人の中から、私は今までいく人かの人と出会ってきました。
    袖振り合うも多生の縁の本来の意味で考えるならば、その人達の出会いは奇跡としか考えようがありません。欲して得られるものでは決してないのです。

    そんな奇跡を今まで私は何と粗略に扱ってきたのでしょうか。
    これではいけません。私は今思っています。嫁をもっと大切にしようと。

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    犬を2匹飼っていると、平等に可愛がる大切さがわかります

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  • 我が家には室内で飼う小型犬が2匹います。4歳と2歳ですが、4歳の犬は5か月から我が家にいて、2歳の犬は2か月から我が家にいます。4歳の犬は家族みんなで可愛がり、しつけもしました。今でもおやつなどは『待て!』というと『よし!』というまでずっと待っています。そして『お手』など、色々教えたことはしっかりできます。

    そうしているうちに2匹目が欲しくなったわけで、2匹目の子犬が来た時は、初めの犬は大人になっていたので、皆子犬ばかり可愛がっていました。その時初めの犬の顔を見ると、可愛がられる子犬を羨ましそうに見ているように見えました。ここはまずいと思い、両方とも可愛がるようにしました。

    しかし、2か月から飼いはじめた子犬は甘えん坊で、大人の犬や、家族にもすぐじゃれつき、どちらかというと子犬中心にどうしてもなってしまいました。大人の犬は、じっと我慢して、可愛がられる子犬を見ていました。

    そして子犬が1歳半を迎えた頃、性格が変わり始めました。人間でいう思春期あたりです。大人の犬を可愛がると、嫉妬して怒りだし、大人の犬に噛みつくようになったのです。大人の犬は、子犬だった犬が向かって来ても、あまり相手にせず、争いごとを避けるように場所を移動します。可愛がり過ぎた子犬は飼い主たちは、自分のものだと思っているようでした。

    この光景を見ていると、犬も人間同様、嫉妬する生き物だと分かりました。人間よりは我慢する程度は低いと思います。それでも我慢する犬もいれば、感情をむき出しにする犬もいるわけです。

    家庭内での子供への接し方や、会社内での同僚や部下への接し方も平等さが問われるものだと痛感しました。犬を参考にする事は良くない事かもしれませんが、犬を見て思い知らされた感がありました。この一件以来、家庭内、職場での接し方に最新の注意を払うようになりました。

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    子供監督

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  • 先日家族と公園に行った時の話です。

    私は普段残業が多く、毎日子供が寝てから帰宅する日々を送っています。
    だからこそ、休みの日は出来るだけ家族と沢山出かけて楽しい時間を過ごしたいと考えています。

    先日も朝から妻にお弁当を作ってもらい、少し遠くの公園へ車で出かけました。
    子供は車に乗る前からはしゃいでいてこちらもテンションが上がっていました。

    公園に着くと、子供はすぐに走り出します。
    私も急いで後を着いていくのですが、恥ずかしながら子供が遊具に着くまでに息が上がる事もあります。
    子供はそんなのお構いなしで、行きたい遊具に次々と走って行きます。

    パパーとせかされ、次は広場でボール遊びをしたいそうでにこにこで待っていました。
    平日は朝しか顔を合わせることができない分、休みはパパと沢山呼んでくれて疲れの前に顔がほころびます。

    ですが、もう私は若くないので疲れるのは疲れます。
    休憩を申し出てもヤダの一言で吹き飛ばされてしまいます。
    ボールはとんでもない方向に行き、慌てて取りに行けば子供は喜んでわざと変な方に投げます。
    何往復したことか。

    休みの度に思いますが、子供との休みはある種の合宿だと。
    自身の年齢と普段の運動不足が重りになり、子供の支持であちらこちら奔走する。
    その上休憩もままならない。まさに合宿です。

    小さな監督は私に体当たりでタックルして、小さな手で大きなお腹を押しまくります。
    小さな監督のおかげで大きなお腹も少しは小さくなるよう願いながら、私は次の休みも楽しみにしています。

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    嫁に食わせていいのかどうか、秋茄子のお話

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  • いわゆる「秋茄子は嫁に食わすな」といったことわざは広く一般的で、知られているところだとは思いますが、これには諸説があり、そのうちの正反対を言っている解説についてお話したいと思います。

    まず、秋茄子というものは、身体を冷やす効果があるためであるとする説です。

    この説によると、茄子という野菜自体が夏野菜の一種であるため、夏の暑さを乗り切るため身体に対して冷却効果があるとされていることに関係があります。

    すなわち、嫁である女性が、妊娠して出産するといった状況にあったときに、妊婦さんは身体を温めなければならないし、妊娠するのにも身体の冷えがよくないといったことから、なるべく元気な子宝に恵まれ、子孫繁栄を考えたときに、理にかなっているとするお話です。

    一方で、真逆の説としては、秋茄子というのは、その旬の時期である夏が終わりかけて、生育環境が厳しい中で育っており、水分が適度に抜けて甘みが増したものが多くなるため、味が絶品であり、大変美味しくなるので、そんなに垂涎の秋茄子を、他人である嫁に食べさせるなんて、もったいないといった説です。

    どちらかといえば、この説は、嫁姑問題でバトルが勃発しているようなご家庭を想定しているようにも思えなくありません。

    いずれにしても、ことわざや昔からの慣習には全く根拠のないものは存在しないように思いますが、美味しいものを適度に適量いただくのであれば、そこまで神経質にならなくても良いのではないでしょうか。

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    当初アンパンマンはアンパンを配る普通のおっさんだった

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  • やなせたかしさん原作のアンパンマンは、今なお日本中の子どもたちに支持されており、アニメーションキャラクターとして絶大な人気を誇っています。

    そんなアンパンマンですが、漫画として始まったときには、ただのおっさんだったことはマニアの間では有名な話です。

    初代アンパンマンの風貌は、現在のアンパンマンとは全く違っていて、コスチュームを身にまとった人間の姿をしていました。

    また、今のアンパンマンが自分の顔であるアンパンを振る舞うのとは違い、おっさんアンパンマンは、貧困や戦火によって傷ついた子どもたちのために、普通にアンパンを配っていたのでした。

    ところが、ダサいとか、小汚いだとかヒーローらしからぬ容姿に対して、子どもたちから苦言を呈されただけでなく、非難されてしまったことにより、変貌を遂げることとなるのです。

    そして、今では私たちの間でも、おなじみとなっている顔がアンパンで出来ているアンパンマンが生まれてきました。

    ジャムおじさんによって焼き上げるアンパンで出来た顔を持つアンパンマンは、自分の顔を提供することで市民を助け、また、顔が汚れることによって力を発揮することができなくなるといった設定も、今のアンパンマンになってから出来たものでした。

    今では誰もが知る人気のヒーローとなったアンパンマンですが、もしも、初代のまま、ただの人間のおっさんが演じていれば、今ほど長きに渡って人気を維持することもできなかったでしょうし、これほどまでに魅力的なキャラクターとしての地位を築くをことはなかったと思います。

    機転を利かせることで脈々と息づいていく物事が少なくないということを、このアンパンマンの話から学ぶべきではないかと思いました。

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    家族が増えること、そして笑顔について

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  • 皆さんは今、何人家族ですか。我が家は3人家族です。そして、近々4人家族になる予定です。楽しみであると同時に、今もギリギリの生活をしている我が家ですので、不安もあります。

    楽しみでありながら、不安も抱えている日々の中で、先日、出産した友人の家に赤ちゃんを見に行きました。まだ、非常に小さい首の座っていない赤ちゃんでした。うちの子もこんな小さいときがあったなぁ、いつの間にか大きく成長しているものなんだなぁ、と改めて思いました。

    友人夫妻はとても大事そうに、非常に優しい目で赤ちゃんを見ていました。かわいくてしょうがないんでしょうね。その光景が私にはとてもキラキラ輝いて見えました。そして、やっぱり家族が増えるということは幸せなことなんだなぁ、と感じました。

    赤ちゃんという存在が、ちょっと声を出したり、身動きしたりするだけで、人を笑顔にしてしまうのです。大人ではできないことですね。存在自体が癒しになるんです。

    大人が人を笑顔にするには、赤ちゃんと違って努力が必要です。ふと自然に行う行動で笑っていただけることはほとんど無いですから。

    お客様に笑顔になってもらうには努力が大事ということです。どういう行動をとったら良いのか、相手が求めていることは何なのかを見極めなければなりません。相手の立場になったり、相手の言葉や態度、表情から敏感に察知してください。そして、行動あるのみです。私も一人でも多くのお客様に笑顔になってもらえるよう努力していきたいと思います。

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    決断力のいる衣替え

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  • 四季のある日本では季節の変わり目には、着る服を変える衣替えがあります。冬から春、そして夏から秋、冬と季節に応じた服が必要です。厚着から薄着に変える時は体が、薄着に馴染んでいないため初めのうちは寒さを我慢する必要があります。逆に薄着から厚着に変える時も同様で、厚着に馴染んでいないため暑さを我慢しなければなりません。

    衣替えでいつも困るのは長袖と半袖の切り替えです。毎回のように、洋服ダンスは一杯になります。まだ寒いかもしれないとか、暑いかもしれないと考え、両方をタンスに入れています。しかし大概、去って行く季節の服は着ずに終わり、再びタンスの中の衣替えをしなくてはなりません。

    衣替えは予想以上に決断力が必要です。単純に考えれば、長袖か半袖かどちらかに決めればいいだけで、不都合なら状況に応じて引っ張り出してくればいいだけです。別に捨てるわけではないのです。それなのに、いつも迷ってしまいます。

    この決断力は仕事上でも同じです。利益は出ないが売り上げのあがる仕事を、将来もしかしたら利益が出るかもしれないと言ってズルズル引っ張るのか、思い切ってスパッと手を引くのかのようなものです。私生活でも、仕事でも仮定の話ばかりでは物事が前に進みません。現実を見据えて、今後の方向性を決めるのが決断力です。決断が失敗であれば修正すればいいし、場合によっては撤回してもいいと思います。

    今、成長している会社はこの決断力がいい会社だと思います。私も衣替えで決断できないようではダメですが、仕事に置いては決断力を持って邁進したいと思います。

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    自宅の食事が外食と変わらないくらい美味しい事

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  • 私の子供時代や青年時代は、作っていた母親には悪いですが、家庭内の食事は特に美味しいとは言えず、外食が美味しいという現実でした。特にカレーやラーメン、チャーハン、酢豚、丼物などは、味の差は歴然でした。月に1回ほど行く外食が楽しみで仕方なかった頃でした。

    月日は流れ、今の時代は、外食も、量販店の惣菜も、家庭で作る料理も味はほとんど変わらないと思います。逆に家庭の味の方が、自分の好みに合わせられるので美味しいという場合は多々あります。おかげで、外食の回数はめっきり減りました。

    この味について、食品メーカーの人に聞いたことがあります。今の技術では、行列のできる店とか、名門の味は全て調味料で再現できるそうです。後は家庭で素材の吟味と素材の下ごしらえや、加熱工程などを、繁盛店と同じようにできれば、あとは、配合された調味料(タレ)などで、同じような美味しい料理が出来るとのことでした。その素材というのも、特別高級な必要はなく、鮮度もバリバリにいいものの必要はないそうです。

    また即席めんがメインの別のメーカーの人の話では、スープは調味料の配合でそっくりな味が出来るそうで、いまだ到達できないのが麺だけだと言っていました。

    先日我が家の娘が海外旅行から帰って来ました。海外の即席めんや、日本でいう簡単料理の食品を買っていました。早速食べるとどれも食べれるような代物ではありませんでした。はっきり言ってまずいのです。この時、日本のモノ作りは食品でも世界のトップを走っていると思いました。

    経済で若干遅れをとっている感のある日本ですが、現実を見るとまだまだ日本のレベルは高いと思いました。やっぱり自分に自信を持つことが大事だと思いました。私も自分の仕事に誇りと自信を持ち、邁進していきたいと思います。

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    御言葉に語られた朝

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  • 特に、寒い日ですと朝にベッドから出たくないという方が大勢いらっしゃると思います。私の場合は、寒さに関係なく、出来るだけ誰よりも寝たいという気持ちがあります。

    その寝たいという気持ちは、仕事で疲れて、最近寝てないなとか、残業が続いていて身体を休ませなきゃしんどいなとかあります。または仕事帰りに先輩社員か友達と夜遅くまで飲みに行き、帰りが遅くなった、またちゃんと睡眠をとるタイミングを逃してしまった場合もあるかもしれません。

    他の事例を話すなら、趣味があり、夜遅くまで、または深夜が更けるまでその趣味に没頭し、せっかくの休日を朝夜逆転をするような使い方に時間を費やしてしまったという方も中にはいるかもしれませんね。

    その中には以前まで、私・僕もそうだったかもしれないとか、「あいつだな」とか知り合いにそういったことをしていて思い当たる方もいるかもしれません。

    私がこの場を借りて共有したいことは、常にある寝たい寝たいとか、疲れた疲れたというネガティブ表現をなくすことで、人生がより豊かになるということです。実際に睡眠をあまりとっていなく、同じ人間なので寝たい気持ちも分かりますが、その気持ちを抑えて、「よし仕事頑張るぞ」とか「今日も良い一日にするぞ」という気持ちを思い切って持った方が家族・友達・上司との人間関係がより良くなり、ここにいる先輩社員、同期も仕事効率が上がり、結果的に早く仕事が終わり休憩する時間も伸びると思います。その「よし頑張るぞ」っていう強い信念で、以前まで嫌々飲みに行ってた所もあったのに、今では関係をより良くしたいという気持ちの方が強いので、楽しく話しながら飲むことが出来ると思います。

    以前内気で元気良く話す事も出来なかった私は、現在は誰とでも会話をする事を楽しみ、働くことに生きがいを感じるというのは人との関係性を重要視し始めたからです。一般の人はそれが大事だと思っても日本の恥の文化や建前を奮い立てなきゃいけないと勘違いしている文化でなかなか真理に気付けないと思います。いろんな不安・心配事・勘違い、そういったストレスでモチベーションに影響されてやる気が出なく常に眠たい人っていると思います。それが悪いといっているのではなく、真の愛について知ることで何があっても、最悪な状況に陥ったとしても、それがあなたたちを助けると思います。

    学生時代、カナダに一年間語学留学に行っている時に、英語学習のためだと思い毎週日曜日教会に行っていました。北米大陸はキリスト教人口が多く、留学先のカルガリー市内には10以上の教会がありました。それで、私は英語が出来るので聞いて理解できます。そしたら牧師さんの言葉に感動しました。

    「神様最強!完璧なお方!そしてあなた達、人間は彼の子供です!最強な方の子供は良い者です!あなたの罪は許されました!今日も頑張りましょう!」

    そうです今日も一日お仕事頑張りましょう!

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    祖父母と協力して行う子育てについて

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  •  現代日本は核家族はおろか単身世帯が当たり前になってきていますが、そんな状況だからこそ家族同士の結び付きはとても大事ですよね。たとえば最近よく耳にする「ラン活」は、小学校に入学する子どもや孫にランドセルのプレゼントをする活動全般を指しますが、こういった家族間でのコミュニケーションが大切なのはいうまでもないことでしょう。

     特に夫婦共働きが増加してきているため、夫婦の祖父母の子育てにおける存在感は強くなってきています。孫と一緒に出かける祖父母は街で普通によく見かけますし、夫婦が働いている間に子どもを預かるケースも少なくありません。今や子育ての一翼を担うのが祖父母であり、これからもそれは変わらないはずですよね。

     ただ、祖父母の子育て方針が夫婦と若干ズレていたり、元気過ぎるに孫に祖父母が体力的に消耗させられたりなど、祖父母の子育てに問題が皆無なわけではありません。もしも子育ての方針をめぐって祖父母と夫婦が険悪になってしまったら子どもは肩身が狭いですし、そうならないように気をつけないといけないです。

     家族間のコミュニケーションで大事なのは、誰が主体になっているかです。子育ての場合は、無論子どもが主体ですよね。このように考えていけば、潤滑な子育てができるのではないでしょうか?夫婦ともに仕事をしなければいけない世帯では、子育てをいかに乗り切るかが家族の向き合うべきテーマです。仕事に熱を入れることは大切ですが、子育てが疎かにならないよう祖父母とも協力しないといけないですよね。

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    娘の彼氏が家に話に来た事

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  • 社会人として、仕事を続ける中で家族は重要な役割をしています。家庭が安泰なら仕事に集中できます。逆に家庭に不協和音があると仕事の時も考えたりします。夫婦間、子供の問題やその他色々あります。

    そんな家庭の出発点が結婚です。結婚して家庭が生まれます。そんな私の家に先日、娘の彼氏がやって来ました。話をしたいという事でしたので、うすうす感じていました。私がかつて妻を嫁にもらう話をするために、妻の実家に行った時のことを思い出しました。相手の実家に話に行った経験は過去にもありましたが、この緊張感は半端ではありませんでした。

    自分なりに、こう言われたらこう言おうなどと、話を想定し、日にちを決めた日から、熟睡できない毎日が続きました。おそらく彼もそんな心境でしょう。そして彼がやって来ました。話を聞く側の私はとても冷静でした。逆に彼はスーツ姿で訪れ、ガチガチの緊張で、言葉も途切れ途切れでした。この時私が感じたのは、父親の心境でした。娘が幼い頃は、こんな日が来てほしくないと思っていましたが、この時はこの彼が息子になるのか?と何故か余裕でした。やがて話は終わり、私が緊張を解いてやると、ほっとした様子で笑顔が出ていました。

    彼は初めての出来事です。私は自分が経験したことであり、今度は受け入れる側です。過去を振り返って、こうも心境が違うものかと思いました。全く緊張もせず、緊張しきった彼、を受け入れることが出来ました。

    良く考えると仕事の中でも同じような事があります。営業にしろ、商談にしろ、新人の頃は毎回緊張します。しかし年数と経験を積み、度胸が据わり、頭も柔軟になります。こういえばこうだとか言うのは考えず、自分のやり方ででき始めます。年の功と言ってしまえばそれまでですが、やっぱり年数と経験はモノをいいます。自分のベテランの部類ですが、ベテランはベテランならではの味を仕事でも出していきたいと思います。

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    家事をしてくれる家族に感謝しよう

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  • ここのところ「家事」の重要性についてメディアやニュースで報じられることが多くなりましたよね。

    家事は、生活をしていくうえで誰かが必ず行わなければいけないものです。一人暮らしをしている人は別ですが、そうでなければこうして仕事をしている間に、家族の誰かが家事をしてくれているということが多いでしょう。仕事をしている間はどうしてもその事実を失念してしまいがちですが、家で家事をしてくれる家族がいるからこそ仕事に集中できるのは否定しようのない事実です。

    また、代表的な家事である「料理」「洗濯」「掃除」以外の名もなき家事についても、ここのところよくクローズアップされています。名もなき家事も家でやらなければいけないことに含まれていて、それが負担になっているという内容です。

    家事は経済活動ではありませんが、だからといって軽視してよいものではありませんよね。配偶者や親のように家で家事をしてくれている人には、最大限感謝しないといけないです。もしもそれを忘れて「仕事をしているほうが偉い」と勘違いしてしまったら、家庭内不和になりかねません。ですから、もしも仕事が上手くいったら、それは家で家事をしている人のお陰だと思って感謝するようにしましょう。

    仕事と家事で直接的なつながりはないかもしれませんが、だからといってまったくの無関係というわけでもありません。家で家事をしてくれている人がいるから仕事ができる、そのことを胸にとどめ、家族への感謝の気持ちを常に持ち続けることが大事です。

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    多頭飼いすると犬も嫉妬する

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  • 我が家には2匹のシーズーがいます。両方ともオスで親子です。父親3歳、子犬1歳です。子犬は小さい頃は、親犬の真似ばかりし、親犬に飛びかかっては、叱られるように吠えられていました。そんな子犬が成長し1歳をこえる辺りから嫉妬が始まりました。

    親犬を抱き上げたり、抱擁したりすると必ず子犬が寄って来て、自分にもやってくれと催促しだします。おやつも親犬に先に与えると催促するように寄って来ます。この辺は普通だと思いますが、親犬が室内でウンコをもよおした時、私が親犬だけ連れて外に出て帰って来た時に起こりました。

    子犬が出入り口で待ち構えていました。帰って来た親犬の方をじっと見つめています。そして親犬が室内に入ると、本気で吠えて怒り飛び掛かり噛みつき始めました。さすがに私が叱りましたが、同じことは再び起こりました。

    娘が親犬だけ車にのせてちょこっと外出した時です。室内の玄関で子犬はじっと伏せをして待っていました。やがて帰って来ると、親犬に向かって前回と同じように襲い掛かりました。私は完全に子犬が嫉妬していることがわかりました。それも飼い主には怒らず、親犬に怒っていました。このころから、親犬は子犬に対し我慢をするような光景を頻繁に見るようになりました。

    人間社会のいじめのようにも見えました。兄弟関係でもこのような事はありますが、兄弟に怒ることはあまりせず、一人ひねくれたりします。犬も人間も同じで、飼い主に一番に可愛がられたいと思うようです。人間社会の親によく見てもらいたい、先生によく見てもらいたい、上司や社長に良く見られたいなどの心境です。

    犬のこのような心理状態を見ると、理性の高い人間社会では、いかに人を平等に扱い、評価していくことが大事なのかがよくわかります。人間の場合は言いたくても言えない、怒りたくても怒れないなどの我慢をすることが多く、これが多くのストレスにつながります。やっぱりコミュニケーションは重要な事だと改めて感じました。

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    自然について子どもに教えることの大切さ

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  • 野山がまったくない建物ばかりに囲まれた街中は、子どもに自然について教える機会がなかなかありません。人は自然と共生しなければいけないのですが、それをついつい忘れてしまいます。普段の食生活にスポットを当てればわかることですが、自然の恵みがなければ人は生きていけませんよね。そんな根本的なことを子どもに教育するには、どうすれば良いでしょうか?

    今の子どもは自然のおもしろさに興味がまったくないのではないかと不安にななるかもしれませんが、そんなことはありません。野山や川に子どもを連れていけば、喜々としてはしゃぐ姿が見られます。子どもはおもしろそうなことや目新しいことに興味を向けますので、スマホやテレビやゲームだけではなく、野山や川にもおもしろそうなところがあれば、それで興味を持ってくれるんですよね。

    野山や川などの自然には、植物が自生してたり、天然の動物がいますよね。それを見せてあげるだけで、子どもに自然と向き合ってもらって教育するチャンスです。教育といっても難しくとらえる必要はなく、ただ遊ばせてあげるだけでも効果的だと思いますよ。

    どんなに都会のコンクリートジャングルで生活していたとしても、電車や車で1時間も移動すれば自然の残っている場所へは簡単に行けます。そうでなくても、自宅から徒歩の圏内で自然豊かな場所があるという人もいるでしょう。自然と触れ合うことは子どもだけではなく私たち大人にとっても良いストレス解消になりますし、家族との関係を深めるためにも頻繁に経験していきたいです。

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    子育てから学んだ営業のコツ

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  • 私には2歳になる息子がいますが、最近になってこの子のおかげで営業のコツがわかってきた気がします。

    子どもができて励みになったというような話ではありません。技術的な気づきがあったのです。

    1歳くらいから子どもも何かを「うーうー」喋るようになってきていましたが、当然何を言いたいかなんてわかりません。
    ただ妻は何を言っているかわかると主張しますのでそれも悔しいなと思って私も息子の話をしっかりと聞くようにしてみました。

    ですがやっぱりわかりません。当然ですよね、言葉になっていないのですから。

    しかし目線や手の動きにまで気をつけて見るようにしてみるとなんとなく察することができるようになってきました。
    それに相槌をうつことを意識してみると、さらにいろいろと喋ってくれるということもわかりました。

    これが営業にも通ずる技術でした。

    相手の顔をじっくりと見て相槌をうつことが習慣になっていたので、お客さんの所でも無意識のうちにそういった事をしていたようです。
    すると今まであまり喋ってくれなかったお客さんもいつもよりも多く喋ってくれるようになりました。

    私は元々喋るのが苦手なので、正直なところ営業も苦痛であったのですが、相手から喋ってくれるのであればかなり気が楽になりました。
    しかも相手は自分の要望を喋っていのですからそれにしっかりと応えることができれば、お客さんの満足度も上がっていきます。

    うまく言葉に出来ていない相手でも表情や動きでなんとなく予想ができるようになりました。

    まさかの発見を与えてくれた息子には感謝します。

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    都市部から地方への移住について考える

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  • 近頃、都市部から地方への移住に関するニュースがよく話題になっていますよね。東京を中心とした首都圏は、人口が年々増加傾向です。それの何がいけないのかと一瞬思うところですが、都市部では医療や介護の負担増加、保育園の不足、環境の悪化などが挙げられます。また、地方では過疎化による限界集落の増加、労働力の低下、税収の減少などが挙げられますよね。

    そうして問題を列挙してみるとテーマがあまりにも大きいのでピンとこないかもしれませんが、実はとても身近な問題だということがわかります。それなら、都市部の人が地方へ移住すれば良いわけですが、事はそう単純ではありません。移住して生活環境を変えるのは、とても大きな負担を強いられます。特に、すでに家族がいる立場の人だったら、移住をそう簡単には決められないでしょう。

    それこそ高齢化した両親の介護、あるいは小さい子どもたちの教育など、どこでそれらを行うかは非常に大きなポイントです。それだけに「都市部から地方へ移住しよう」と、簡単には決断できないのが普通です。この問題がなかなか解決しないのは、そんな事情を抱えているからです。

    また、私たちのように会社勤めの人間からすれば、移住すれば転職必至です。そうなればまた仕事を覚え直すわけですし、キャリアにも影響があります。社会生活全体を考えれば都市部から地方への移住は推奨されるべきなのでしょうが、現実的にみて実際にやるとなると難しいと言わざるを得ません。ただ、社会問題となっていることは確かですし、少しでも考えていくことが大切だと思いますから、みなさんも1度じっくり考える機会を持って欲しいです。

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    忖度は日常社会でもあるもの

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  • 忖度という言葉がある事件をきっかけに広まりました。忖度(そんたく)とは『他人の気持ちをおしはかること』という意味です。難しく考えないで、日常を見ると、私が妻が楽になると思い、勝手に家事をやってやったりします。これも忖度です。会社内でもそうです。この仕事で成果を出したら上司が喜ぶと思ってやれば忖度です。つまり誰かの為に黙って何かをやってやることこそが忖度です。

    しかし、今話題になっている忖度とは、ルールを破って成果を出して○○さんのためにやることです。会社内でも、上司を喜ばすため、社長に喜んでもらうため、データをねつ造したり、偽装などをしていい報告をすればルール破りとなります。

    昔から会社内においても、指示をしないと仕事をしない社員は良い評価を受けません。会社の方針や、上司の考えを察して、指示されなくても、仕事で実績を残し、結果を出す社員が評価されますし、そういう社員が多くないと会社は伸びません。逆に指示をしないと動かない社員ばかりでは、会社の先行きは見えません。社員に対し、いちいち指示を出して仕事を与えるという会社はほとんどないと思います。そして責任を取るのが上長であり、会社全体で言えば社長をはじめとする経営陣です。

    私は、この忖度という言葉が流行って、忖度は悪いような風潮が見られるのはおかしいと思っています。忖度=悪ではなく、いい意味での忖度は会社内でも家庭内でも、どんどんやるべきだと思いますし、私もどんどんやって行きたいと思います。

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    料理という工程から気が付いた、大切なこと

  • 追加
  • 皆さんは、「主婦休みの日」という日があったことをご存知でしょうか? 

    先月5月25日が、その主婦休みの日だったですが、私自身もそんな日があることを、直前まで知らなくて、でも知ったからには妻に少しでも主婦業を休んでもらおうと考えました。
    なので、その日は、妻に代わって、私が夕飯を作ることにしたのですが、そのときに気が付いたことを、今からお話しします。
    まず、夕飯を作るにあたって、レシピを色々と確認しました。普段料理をしていたわけじゃないので、たくさんあるレシピの中から、簡単な手順のものを選び、作りました。でも、ふとそこで思ったのです。
    例えば、家族からリクエストされたり、「あっさりしたものが食べたい」などざっくりとした希望を言われたときに、その料理を作るために、何が必要で、どんな手順で作ればいいか、私には全く想像がつかないな、と思ったのです。
    妻は、普段からレシピを見ながら料理するのではなく、私たち家族に食べたいものを聞いて、段取り良く作ってくれています。これは、仕事にも繋がることだ、と気が付きました。

    「料理」は「仕事の出来栄え」であり、「材料」は「与えられた課題、問題」だと。仕事の出来栄えや成果のために、どのようにして課題、問題をクリアしていくか。
    さらに、解決までの「手順」も、より正確に、よりスピーディーにすることによって、ゴールまでの時間も効率よく使えます。
    私には、料理でこの力は発揮できませんが、ここで発揮して、皆さんとともに、最高の成果を目指したいと思います。

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