協調性と自主性

日本人の美徳としてよく言われるものの一つに「協調性」というものがあります。 周りの空気を読んで、気付きや察しといった無言のコミュニケーションを大切にする文化だと私は思っています。

「おもてなし」もそうした文化に根付いたものであり、外国人観光客にも日本の文化のひとつとして高く評価されているのは既知の事実です。 相手を思いやる心があってこそ成り立つ、素晴らしいものだと思います。

しかし、その反面、行き過ぎた協調性は自主性を損なわせるということもあります。 「右に倣う」とか「長いものに巻かれる」というのは、そうした「みんなと同じように」という意識が根底にあるのではないでしょうか。

周りに合わせてしまうばかりに、自分の考えや行動を抑制してしまうことは、誰にも心当たりがあると思います。 ですが、結局、その先には「馴れ合い」とかなあなあと言われる怠惰な状況が待ち受けています。

協調性も自主性も、0か1かという白黒をつけるものではありません。 どちらも大切なものであり、そのバランスをとるというのが必要ではないかと思います。

私がそう思うようになったのは、ホリエモンの「本音で生きる」という著書を読んでからです。 本の中には「ホリエモンだからできるのでは?」と思うようなことも多くあったりします。 しかし、重要なのは、思ったことやアイデアを具現化しようと努力することではないかと感じました。

「こうだったらいいのにな」とか、「こうしたらもっと便利なのに」と思うようなことは日常に溢れています。 しかし、仕事中にひらめいても、そのままにしていることはないでしょうか?

すべてのシーンで本音を言う必要はないと思いますが、そういうことを軽んじてはいけません。 いろいろな決まりごとがある中で、現状を変えることには面倒や困難が付きまといます。 しかし、そのアイデアこそが「成長の芽」であり、原因や解決作を考えていくことが、「芽を育てる」ということになるのではないかと思います。

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